視察と歓迎パーティ
ごしごし、と汚れた鍋や食器を洗う。
結局その日は離宮には帰れず、紐の切れてしまったペンダントをポケットに入れている。
早く直したい、そう考える度に昨日の出来事が頭に浮かんだ。
(…やっぱり、)
黒髪、この国では見ない髪色だった。佇まいや服装から間違いなく他国の高貴な方だと。
「あの帝国から来た騎士達はやはり見た目から違うな」
「流石軍事国家だな…あんなに大きな馬は初めて見た」
衛兵達が零した“帝国”という名。私でも分かる。
帝国ヴォルフラムはこの大陸一の国だ。
山岳地帯で作物は育たないがその代わり軍事力はとてつもなく、周辺諸国は属国になるほど。逆らえる国は少なく、この国ファールハイトも二つ国を挟んでいるのに穀物協定を結ぶほど帝国を恐れている。
(あの人は…視察で訪れた騎士か文官の一人かもしれない)
そういえば今日はパーティーがあるとソフィーリアとメイド達が張り切っていた。
てっきり王侯貴族かと思っていたけれど、帝国ヴォルフラムの視察団をもてなす歓迎パーティーかもしれない。
でも会うことはない。私がメイドとしてパーティーには出ないし、昨日以上に一人でやるには山積みの仕事を押し付けられている。きっと終わる頃にはパーティーは終わっているだろう。
そんな事より、早く仕事を片付けて母様のペンダントを治さなくちゃ。今日は打たれる回数も少ないし、そう考えながら必死に手元を動かす。
「姫様お似合いです!」
「やはりローズピンクが一番映えますね」
「何言ってるのよ、それはドレスではなくて姫様が美しいからよ」
上機嫌に鏡の前に立つソフィーリア。賛辞は当たり前だとその笑みが物語っている。
ソフィーリアはふた月前に十四歳の誕生日パーティーをしたばかりだ。
私はひとつ歳上なので十五歳。まぁ言わなくてもわかると思うけれど、勿論私はしていない。メイドとしてパーティーに参加した事さえ一度もない。
「お義姉様、今日の私どう?」
花瓶の水を変えていたアイリスの方へ、ソフィーリアがドレスを翻しながら振り返った。
「…とてもお美しいです」
「まぁ、ありがとう!」
嬉しそうに可愛らしい笑みを浮かべた。
でもアイリスには、わざとドレスを褒めさせて、お前には着る機会なんてないでしょう?と蔑んでいるように見える。
現にこうやって新しいドレスを作る度にソフィーリアは必ず私に聞くのだ。
…そんな事言われなくても分かっている、パーティーに参加したいとも、ドレスを着る気もないのに。
きゃっきゃっ、とソフィーリアをもてはやすメイド達の後ろでせっせと片付ける。
「そういえば視察で来ている王弟殿下は婚約者が決まっていないとか」
王弟殿下…?
そんな御方が視察で来るなんて、詳細は分からないけど余程重要な協議があるのだろう。という事は…穀物協定に関する視察?
成程、今日のパーティーは豪勢に違いない。どうりで庭師が忙しく薔薇を摘んでいたわけだ。あの帝国の機嫌を損ねてしまわないように城中が必死なのだろう。
確かに、女の私から見ても美しい人だと思った。
思い浮かぶのは昨日会った黒髪の男性。
王弟殿下に同行しているなら上流階級だろう、あれだけ威厳もあり顔立ちも整っているなら間違いない。
帝国にはそんな人がごろごろいるのだろうか、ファールハイトであれ程優れた容姿は……母様以外に見かけた事がないけれど。
あ、母様はこの国の人じゃなかったわ。
「姫様が見初められてしまったらどうしましょう」
「この国では姫様の美しさに釣り合う御方はいませんもの」
あぁ、だからソフィーリアもいつもより時間をかけて準備をしているのね。
納得した。義妹は相手の顔で選ぶタイプだ、でも顔が良くても自分より地位の低い貴族、相手が公爵でさえ降下するのを嫌がる。他国の王族からの良縁を心待ちにしているのだ。
あのヴォルフラム帝国、しかも王弟殿下が来るとあれば気に入られたいのだろう。
なんとまぁ夢見がちな義妹らしい。現にアクセサリーが決まらなくて先程から「うーん」と何個も付け替えている。
「あ!そうだわ、サファイアのネックレスは無い?」
(…帝国ヴォルフラム産の宝石を選ぶなんて)
ブルー系のドレスや宝石は滅多に付けたがらないのに…まだ成人もしていないのに、本当に妃の座を狙っているのかもしれない。そんなソフィーリアの言葉にぴくりと宝石を管理していたメイドの肩が揺れた。
「あ…それは、」
右往左往しながら、宝石箱に触れるその手がぷるぷると震えていた。
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