出会い
「…はぁ、」
積み上げられた洗濯物、汚れた食器。
あかぎれだらけの手を動かす度に、冷え切った井戸水がピリピリと沁みる。
(なにがピンクローズよ。黒薔薇の方がお似合いじゃない)
いつもああやって、少しでも嫌なことがあれば私を虐げてストレス発散をする。あのお得意の扇子も私を叩く為の特注品だ、本当にため息しか出ない。
きっと今は上機嫌で新しいドレスでも選んでいるに違いない。
「うっ、」
バサ、と突然頭の上に大量のシーツを投げ付けられた。よろめく身体に慌てて地面に手を付いた。
「それ午後までにやっといて」
「……」
「ねぇ早く、大広間に行きましょ」
「せっかく騎士達が来てるのに見逃しても知らないわよ」
待ってよ、と彼女達がパタパタと廊下を駆けていく。私はやっとシーツの山から顔を出した。
毎日話した事もない相手に陰口を叩かれることも、仕事を押し付けられるのも今に始まったことじゃない、反抗しても無駄なことも。だから黙って増えたシーツも一緒に、手元の洗濯物を再開する。
私が二人の王族と血が繋がっているのを知っているのは王妹付きの宮にいる人達と、上層部の人間だけだ。
それでも、虐げられているのは城中の人間なら誰でも知ってる。
このヴェールのせいか、顔も見せられない醜い女だと陰口と共に冷たい視線を送られる。
そんな出来損ないの私に仕事を与えているソフィーリアは慈悲深い、なんて言われている。呆れてを通り越して笑えてくる。
このヴェールを付けた本人なのに、今だに理由は分からないけれど。
(…確かに母様は美人だったし、私よりソフィーリアの方が整っていると思うけど)
中庭にシーツを干していく。
そういえば、今日は押し付けられる物が多い気がする。何かあるのだろうか。
大広間、騎士達。メイド達がそう言っていた気がするけど分からない。ソフィーリアは私がいる前では蔑むばかり、毎日山積みの仕事で考える余裕もない。
「ふぅ」
そんな事を考えていたらいつの間にか、全部干し終わっていた。
やっと空になった桶を持とうとしてピリ、と指先が擦れてあかぎれが傷んだ。よく見たらヒビ割れて血が出ている。このままじゃせっかく洗った洗濯物にまで付いてしまう、マリーに貰った軟膏を出そうと服に手を入れた時だった。
突然の突風に思わず身体を固くした。その時、首元でブチと嫌な音がした。
「…ッ、あ!」
母様のペンダント。
紐が切れてしまった、風に乗って中庭の外へと転がってしまう。嘘、だめ、だめ…!
この生活で心の拠り所だったペンダントを必死に追いかける、中庭から出て城内へ続く廊下に出る。
(お願い…止まって…!)
コロコロと転がったそれがピタリと、ちょうど真中に止まった。安堵して駆け寄ろうとしたら私の手が届くより誰かの手がペンダントを拾い上げた。
「!」
声が出なかった。ただ目の前に現れた人に思わず息を飲む。
綺麗な黒髪、まるで薄氷のように澄んだ瞳。そこらの騎士よりも体格も背も高く、佇むその姿は威厳に満ちていた。
気が付けば頭を下げていた、その誰かがヴェール越しでも、上流階級の人間であると分かったからだ。
「このペンダントは…君の?」
「は、はい、あの」
高貴な男性は私とペンダントを見比べていた。少しの間、そうしていたかと思えばゆったりとこちらに歩いていき、アイリスの手の上に優しく置いた。
「あ、ありがとうございます…私の、大切なものなんです…」
ぎゅう、と胸元に当てて両手で握る。
本当に良かった、このペンダントが無くなってしまったらと思うと生きた心地がしない。
本当にありがとうございます、吐息のようにか細い声だったのに届いていたのか、彼はまるで自分の事のように「それは良かった」と微笑んだ。
「…?」
思わずぱちくりとしてしまった。
それが何故自分に向けられているのかよく分からなかった。そういえば、誰かに微笑まれるのはいつぶりだろうか。ここ数年は蔑まれたりするのが当たり前の日常で、マリーも悲しい顔ばかりだった。
「でも紐が切れてしまっているね、今度私が直そう」
「……え?」
「ああ、大丈夫。そのペンダントを傷付けるような事はしないよ」
更に頭が混乱した、この人は、何を言っているの?
笑顔を浮かべて見つめてくる瞳、ヴェールを被っているのにまるで視線があっているかのようだった。困惑したアイリスに彼は微笑むと優雅に廊下を後にした。
そこではた、とある事に気づく。
「……今度?」
アイリスの疑問に答えるものはいなかった。