プロローグ
バシャ、とティーカップから琥珀色の紅茶が零れた。
「あら、手が滑ったわ」
そう言ってわざとらしく、故意にぷらぷらと空になったティーカップを揺らすのはこの国の王妹、ソフィーリア。
ゆるく巻かれた金髪、エメラルドグリーンの瞳。ピンク色の可愛らしいドレスに身を包むその姿はピンクローズと噂される程の美貌の持ち主である。
「片付けてくれる?」
「…はい」
じわじわと絨毯に染み込んでいくのを無心で拭いていたら頬に激しく扇子を当てられた、唇を結んでうめき声を抑える。
「…ちょっと。誰がヴェールから顔を出せと言ったの?」
どうやら跪いて拭いていたせいか、ヴェールの隙間から見えてしまったらしい。「申し訳ございません」と床に座ったまま頭を下げた。
「床の掃除もろくに出来ないなんて、本当に使えないわねーーお義姉様」
そう言って跪く私を心底楽しそうに見下ろした。
そう、私アイリスはこの国妹ソフィーリアの義姉である。
今は亡きファールハイト国王と踊子の母アウローラとの間に産まれたのが私、アイリス・ファールハイト。
当時剣舞を披露した母に国王が一目惚れしたらしい。
私と母様と一緒に、メイドのマリーと奥の離宮でひっそり暮らしていた。でもお父様である国王に会ったこともなかった、どうして会えないのか聞いた事がある。
でもメイドのマリーから母様が各国を旅をしていた旅芸人だったけれど国王に見初められてここに居ると聞いてからは、私はもうその言葉を口にする事はやめた。
ああ、きっと鳥のようだった母様は、私のせいで籠の鳥になってしまったのだと。
「…母様がいたところはファールハイトじゃないのよね」
「そうよ、ずうと遠い所」
「どのくらい遠いの?どんな所なの?」
「そうね…ほとんど毎日雪が降っててね、綺麗なところよ。あ、でもすごく寒いからアイリは凍っちゃうかも」
「そんなに寒がりじゃないもん!」
「そう?」
母様は本当に美人だった。
青みがかった白銀の髪、夜明けのような美しいグラデーションの瞳。
「アイリ」
名前を呼ばれて微笑みかけてくれるたびに、その瞳に吸い込まれるようで本当に大好きだった、娘の私も同じ瞳なのが自慢だった。
いつも優しくて、ちょっぴり怖くて、陽だまりのようで。だから外から乖離された離宮でも母様と過ごす毎日は幸せな時間だった。
ーー母様が死ぬまでは。
「お前はここから出る事は許さん」
六歳の時、初めて会った国王はそう言って離宮から出ていった。母様の遺灰の入ったペンダントを渡して。
何それ。
一度も離宮に来なかったくせに、母様が死んだ後に来るの?今更?…まさか、母様に似てる私を見て同情でもしてるの?怒りでペンダントを持っていた手が震えた。
(母様…)
涙が溢れる。
両手でペンダントを大事に胸に抱えた。
そうよ、あんな人の事なんか忘れて母様の事を考えた方がいい。
どうせ母様と過ごした離宮から出るつもりもない。庭だって畑だって、母様との思い出がある。
定期的に送られてくる食糧や品々に嫌になりながらも離宮の庭をマリーと手入れをしながら過ごしていた、そんなある日だった。
「…あの女に子供が居たことも腹ただしいのに、お前が、私の義姉ですって?」
突然現れた庭には合わない着飾ったドレス、義妹は苛立ちを隠さずに私を睨み付けていた。