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傀 その1

統合(とうごう)失調症(しっちょうしょう)です」

「え?統合……?」

数日続いた熱で、学校を休んで来た心療内科だった。

「極度の緊張に幻視と幻聴、それに不眠症状。統合失調症であると考えられます」

硬い口調の医師が俺にそう告げる。

「珍しい病気でもないので、しっかり治療していこうね」

中学生に向かって言っているのだと自覚したのか、急に柔らかい口調になる。

熱に加え不眠が続き、親の勧めでただの内科ではなく、心療内科に来ていた。熱や不眠は最近のことだが、幻視や幻聴は小さい頃から時々ある症状だ。

診察の結果、統合失調症と言われたが、これって病気なんだと思えるには実感がない。

俺は待合室で角っこの席に静かに座っている、白いおばあさんをじっと見つめた。

色素が白いのではなく、白いモヤのようなものに包まれている。そのせいで全体的に白く見えてる感じだ。

その人は頭から何かが剥がれて、立ち昇っているように見えるが、体の一部が減っている様子はない。のほほんと幸せそうに、ただ静かに座っている。

都久川(とくがわ)さん、都久川 岳斗(がくと)さーん」

はっと顔をあげて、急いで受付に向かう。

「お薬出ています。こちらは毎食後、こちらは夜眠る前で、こっちが……」

薬の説明をしてくれている受付の人の横に、今度は黒い人がいる。白衣を着た若い女性で、角に座っているおばあさんとは対照的に、不安そうな顔をしている。頭上からは、やはり剥がれて行くような揺らめき。煙のようにも見える。

黒いモヤのようなものに包まれている以外は、普通の人のように見える。

ただ、ちょっと気になるのは……

『怖い怖い怖い……ここはどこ……ここはどこ……わたしどうして、どうして、どうして……』

そんな声が一緒に聞こえるから、薬の説明なんてほとんど聞こえなかった。

「なんて読むんですか?」

「え?」

薬の説明が終わったようだったので聞いた。何の事か分からないといった様子に、名札の漢字を説明しようと首を傾げながら言った。

「看護師さんかな?えっと、百目(ひゃくめ)(おに)?」

受付の人はサッと顔色を変えて、恐ろしいものを見るような顔で俺を見る。

「……百目鬼(どうめき)さん、かしら」

そう言うと、無理に作ったような笑顔で続けた。

「前に来院されていたんですね。診察券、無くしちゃいました?」

そう言いながら笑う受付の人は、作られたばかりの診察券と保険証を押しつける様に差し出す。

実際にいた人なんだ。じゃあ記憶はないけど、やっぱりここに来た事があるんだ。

幻覚って凄いな。

かさりと薬袋が鳴り、俺は百目鬼さんから視線を外して頭を軽く下げた。

「お大事に」










心療内科を出て、家に向かって歩き始める。

白い息を吐きながら、冬の爽やかに晴れた青空を見上げた俺は、しばし考える。ややして、いつもは避けている交差点へ向かった。

黒いモノの中には、怖い雰囲気のモノがいる。

俺の経験上、白いモノは大丈夫で、黒いモノは危険だ。

実はその交差点を通るのは、通学路で一番の近道だ。しかし、俺はなるべく迂回するようにしている。寝坊した朝なんかは仕方なく通るけど、朝は()()()を避けて行けるから大丈夫。

学校はこの交差点より北東にあるから、何も考えずに歩いていると、帰りは必然的にその角に出る。

北東の交差点の角には黒いモノがずっといる。そいつが時々、自転車を引っ掛けたり、人の足を引っ掛けたりしている。転んで車に()かれそうになった歩行者を2回、自転車が転倒して怪我をした人を1回見ている。

角か南東に向かう横断歩道か、どちらかに素早く動いているのを何度か見た。

2年に1度くらいの頻度で、警察が立てる目撃者募集の看板があったり、花が供えられている事がある。パトカーを見ることは多いが、取り締まりなのか事故なのかは不明だ。警察官と一緒に車やバイクがあっても、なるべく詳細を見ないようにして通り過ぎる事にしていた。

目撃している以上に、事故の多い場所というだけでも、近寄りたくない。

もしかすると車でここを曲がるときには、歩行者には分からない、目に錯覚を起こす何かがあるのかも知れない。

ただの歩行者としても、車と同じ進行方向で横断歩道を渡るので、背後から左折の車が迫ってくるようで怖いんじゃないかな。

今も電柱の下には、枯れかけの花が置かれている。

加えて変なモノまで見えるとあっては、避けたくもなる。

何よりもその黒いモノは、人にしては手が異様に長く、(いびつ)な体つきだ。

「よかった、これただの幻覚なんだ」

「違うよ」

独り言に答える人がいて、飛び上がって驚いた。

「ここ、怖いもんね」

大学生くらいの男が、にこやかに俺を見下ろしていた。ふと、どこかで見たような気がしたが思い出せない。

「これって、病気じゃないの?」

「うん。他の人には見えないから分からないよね。心霊現象だよ、それ」

病気と同じくらいピンと来ない。

「心霊現象?」

じゃあ、薬を飲んでも治らないって事?

俺はさっき病院でもらった薬の袋を覗き込んだ。

「ちょっと見せて」

男はそう言って袋の中身を確認した。

「これは熱冷まし、こっちは胃薬だから飲んでいいよ。熱は早めに下げておかないと。風邪かな?最近寒いもんね」

ただの風邪だったら、どんなにいいだろう。

あまり聞き馴染みのない病名を、親に言うのが少し怖かった。

「それよりも君、百目鬼さんの知り合い?」

百目鬼さんって、さっき読み方を聞いた人だ。なんでそんな事聞くんだろう。

俺は黙って首を横に振った。

「じゃあ、見えてしまったんだ。無念でもあるんだろうね。かわいそうに」

「無念?」

なんかこの言い方ってまるで、百目鬼さんはすでに……

そう考えて、唐突に顔を上げた。

「心霊現象ってそういう事?百目鬼さんってもう死んでるんだ。じゃあ、あの角のおばあさんも?」

「ああ、あのおばあさん?」

「うん。百目鬼さんは受付の人の後ろで……え、お兄さんもあそこにいたの?」

そう問うと、男はにっこり微笑んで頷く。

「一緒の待合にいたんだけど、角のおばあさんに夢中で、僕のことは眼中になかったってことだよね。まあ病院の待合なんてそんなもんだよね」

意地悪く笑う男は、そう言って俺の腕をツンツンした。

「ご、ごめんなさい。あのおばあさん、白くて煙みたいなの出してたから、なんだろうと思って気になって見てたんだ。幻覚なら、なんで知らない人なんだろう、自分の頭はどうやってあの人を作り上げたんだろうって考えてた」

「そっかぁ。君には煙みたいに見えているんだね」

「お兄さんは違うの?」

「僕は煙みたいには見えていないかな。はっきり人に見える。あいつら怖いよね」

おばあさんは怖くなかったが、百目鬼さんは少し怖かったので、頷いておいた。

「おっと、もう少し話していたいけど、僕はそろそろ帰らなくちゃ。貴重なスピリット同士君、また話そうね」

腕時計を見てから立ち去るまでは、あっと言う間だった。

交差点の黒いモノ、スレスレを通って帰る姿が頼もしいと感じてしまう。

もう少し色々聞きかったが、熱っぽい体がそろそろ横になりたいと言っている様だった。











熱は数日で下がったが、不眠と幻覚は続いている。

あの日、こっちの薬は飲まなくて良いと言われて別にしてもらった薬も、不安が(まさ)って飲んでいる。

今のところは効果なしだが、また病院に行くべきだろうか。

あの人の言う様に、心霊現象だとしたら行くところを間違えている。でも、俺の頭が勝手に作り出した妄想だとしたら、きちんと通わねばならない。

ヒントが欲しくて、学校帰りにあの交差点へ向かう。

「さむ……」

東北の交差点に立ち、南側が青になっているのを見てしばし迷う。

角に今日も巣食うように存在する黒いモノから、なるべく距離を取って立つ。

アイツに背を向けて歩くなんて、怖くてできない。直視も怖いが、見ないのも怖い。

今のところ、一度も被害が出ていない、北西の方を見る。

角の黒いモノを警戒しつつ、西に向かう信号が変わるのを待った。

「渡らないの?」

背後から声をかけられて、それを期待していたのにも関わらず驚いた。

「あ、あの時の」

「こんにちは」

柔和な笑みを湛えた人が、俺を見下ろしている。

「こ、こんにちは」

「で、渡らないの?家、こっちじゃないんだ」

男は南を指差して聞いてくる。俺は頷きながら南西の方を指差した。

「あっちなので、先に西側に行こうと思って」

「ふうん……」

じっと見つめられて、その瞳が何故かと問うているようだった。俺は少し恥ずかしいのを我慢して口を開く。

「ここから南側に行くの、怖いんです」

「ここにいるヤツが原因?」

はっとなって男の顔を見た。

そうだ、この人にも見えているなら、恥ずかしがる必要ない。理由もわかってくれるだろうし。

「分かるよ。ここ、怖いもんね」

「やっぱり、そうですよね」

「うん。危ないと思う。じゃあ、まずは西側に行こうか。青だよ」

男は横に顔をむけ、西に向かう横断歩道に足を踏み入れる。

釣られるようにして俺もその背を追った。

「で、その後どう?熱は下がった?」

横断歩道の半ばで、男は少し振り返ってそう聞いていた。

「あ、はい。幻覚とかはまだありますけど、熱だけは下がりました」

「そう、よかった。幻覚ではないから、そっちはどうしようもないね。付き合って行くしかない」

「これって、治らないんですか」

「君くらいの年齢だと、まだ可能性はあるね。大人になって見えなくなる人もいるんじゃないかな」

「本当ですか!」

「うん。そう聞くよ」

「よかった〜」

ほーっと息を長く吐き出し、男に駆け寄り横に並ぶと、顔を上げて問いかける。

「お兄さんは?」

男は微笑んだまま、首を横に振った。

「僕は見えたままかな」

「怖くないんですか?」

「怖い?うーん、怖くはないかな」

「へえ、凄い!」

感嘆の声を上げながら、横断歩道を渡りきった。

俺は目をキラキラさせてその人を見てたと思う。男はそんな事には気が付かない様子で、俺に微笑みながら問いかけてくる。

「ところで、百目鬼さんのことなんだけど」

心療内科で見た黒い人のことだ。赤信号をチラリと見てから、なんだろうと男に目を向けた。

「あれから見かけた?」

「いえ。あれからあのクリニック行ってないので。百目鬼さんってあそこから出られるんですか?」

「いや、僕も見ていないから、君の想像通り、あそこから出られないのかも」

そうなんだと思いながら、ふと疑問が湧き出る。

「百目鬼さんってまだ若いですよね?何で死んだんですか」

「事故だって聞いたけど」

ドキッとした。

急に背中が寒くなって振り返る。

今日も手の長い黒いモノは、交差点で歩行者を狙うように(うごめ)いている。

黒いモノの行き着く先が、アレだとしたら、百目鬼さんもいつか、どこかの交差点に巣食うようになるのだろうか。

「どうやったら、成仏するんですかね」

「さあ、僕にも分からないなぁ」

男がそう呟いたところで、信号が青に変わる。

「じゃ、僕はこっちだから」

男は信号を渡らず、真っ直ぐ行くらしい。

「色が変わるまで待っててくれたんですね。ありがとうございます!」

ぺこっと頭を下げて礼を言い、手で別れの挨拶をしている男を見て、もう一度頭を下げて歩き始めた。


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