煩悩は睡魔に勝てない時もある
当初の滞在予定日までの残り一週間、あたしはこの野戦病院で過ごした。
王都へと帰る日には戦闘に参加できないような怪我人や病人はいなくなって、案の定士気は右肩上がり。カナール地方の魔物との攻防は当分優位に立てると思う。
「は~~~~あ、づがれだああぁぁぁ~~~~」
「全く、ご無理をなさるからですよ」
ポータルでひとっ飛びして王都に帰ってきたあたしの向かいでモカが小言を口にしたけど、台詞とは裏腹に綺麗な小顔に憂いを浮かべた。
あたし達聖女一行は現在馬車に揺られて王宮へと向かっている。斜向かいには心配顔のイザークが泣きべそを掻いていて、隣にはメイが座って怒りんぼの子供みたいにぷくりと頬を膨らませている。
「うっ、ぐすっ、聖女様あなたはいつもすぐにそうやって自分を蔑ろにするんですからっ」
「イザークの言う通りですよっ聖女様っ」
「うおう、泣いて怒って好対照~」
「「真面目に聞いて下さい!!」」
「あたしは完璧主義者なのー」
「聖女様、そのダルダルさで言われても説得力を感じませんよ」
「疲れのせいよモカのイケズ~」
背凭れにぺたぁ~っと頬をくっ付けるあたしを今度は何か残念なものを見る目で見てくるモカが一人溜息をつく。
まあねー、ポータル前ではほとんど皆に涙で見送られたくらいに感謝されたし、気持ち的にもやり切った感があったけど、ポータルを出て乗り込んだ馬車じゃ燃え尽き症候群なのか、座席にあたしの全てを投げ出すようにしてダレていた。ゾンビ聖女とも言うかしら。
今回の出張任務じゃ個人的な物も含め持っていった高回復薬を全部消費した。それらは超貴重な万能薬エリクシールじゃあないものの聖女じゃなかったら人生で一滴だって飲めたかどうかもわからない高価な代物だわ。
ただね、魔法力の回復薬だから臨時アウトドアライフでじわじわ使った体力はそのまんま。向こうじゃ寝ても生憎スッキリとは疲れが取れなくてげっそりしちゃったのよね。目の下にクマもできちゃった。
「まあでも本当に大丈夫。後は王宮で報告するだけだしね」
今回は出張があったから一月ぶりにセオ様のご尊顔を拝するんだけど、一目見ればきっと疲れなんて一発で宇宙の彼方に飛んでいくわよ。
……と、そう思っていた王宮では、執務室でセオ様を前にしていてさえ寝そうになった。いや、ううん、完全白目剥いて寝てたわね。それで途中彼の咳払いで気付いて慌てて両目をこじ開けたけど、結局のところ寄せては返す波の如き睡魔には勝てなかった。よりにもよって話しながら何度も居眠りした。
愛する推しが目の前にいるのにぐーすか時間を無駄にしたなんて自分でも信じられない。ああん、一秒でも長く彼の美顔を眺めていたいのにー……ぐー。
「聖女アリエル」
「――はっ! すみませんあたしったらまた!」
カナール地方でのあれこれを報告中なのに、彼の声掛けで起こされたのこれで何度目っ!
謝罪と情けなさで頭を抱えていると、セオ様は小さく溜息をついた。
「今日はもういい。帰還早々に来させるべきじゃなかったな。既にざっくりとだが話は聞いている。リスト外の患者まで治したそうじゃないか。ホントにな……無茶をする」
セオ様は眉間を揉んだ。
「そなたはもう下がれ」
「えっそんなぁ」
ええーん何て酷い男なのーっ、ある意味あなたの芸術的な美声が子守唄にもなって睡魔が一向に去らないってのに帰れって言うの? ララバイじゃなくバイバイって? 今回の聖女任務で枯渇したあたしの推し愛ゲージをどうやって回復させろって言うのこの鬼畜ーっ。
……ん、でも、鬼畜なセオ様もそれはそれで……。きゃーっそんな駄目ですこんな所で強引に奪うなんてセオ様あああーん!
「ごほっ、どうやらそなたは長旅の疲れが相当溜って脳みそにまで支障を来しているようだな。今すぐ教会に帰ってしっかり一月は養生しろ。その間治癒仕事はしなくていいし、ここに来る必要もない。一切」
こ、これはあれよね、お前の体はお前一人だけのものじゃない俺の物でもあるから大事にしろってやつ!
「……曲解するな」
彼は口の端を引き攣らせている。
煩悩聞こえてるって暴露からこっち、彼の毒舌度は増し増し増し増しーって感じであたしだってさすがにウザがられているのはわかる。
疲れているのだってあたしが勝手に体力消耗したからよ。勝手して申し訳ございませんでしたって土下座するべき? でも善意にケチを付けられたくないからこのまま何も言わず教会に帰って休む方が精神的には楽よね。また一月も会えないのは寂しいけど。
くすん、あなたとのランデブーは夢の中で我慢します。
「……そなたは駄々漏れという言葉の意味を本当に理解しているのか?」
我が推し様は今度は脱力している。あらやだそうだった全部筒抜けてるんだった。あたしの小狡さに怒る気も失せたのかもしれない。ああそんな顔もナイスガ~イ。
まあバレているなら話は早い。あたしは顎を引くとソファーから腰を上げた。
「それでは陛下のお言葉に従ってそろそろ失礼致します。美味なお紅茶、おご馳走さまでしたん」
いつもは時間稼ぎに最後の一滴までを残らず嘗め取っていくのに今は全然手を付けていなかった。だからなのかセオ様ってばポカンとしている。
あ、急過ぎた? ならもうちょっとあなたの滑らかなお肌を隅々までチェックしてから帰っても損はないかしら~。
「今回の出張は大変にご苦労だった。兵士達のために無理をしてくれた事は感謝する」
またまた煩悩を聞き取ったらしい彼が半眼できっぱりと幕を引いた。
「……心に響く労いをありがとうございます」
ふんだ、このあしらい、いつも通りの展開ね。内心で何度踏みつけられても挫けないって雑草根性を新たにしつつ、服に付くと一個一個手で取らないと面倒なペンペン草よろしくこの先も推しにくっ付く所存のあたしは、愛想良く振る舞って執務室を辞する。
「けどな、もうするなよ」
「え、あ、はい」
その間際に掛けられた予想外の言葉とその優しい響きに、あたしはポカンとしてしまってろくな返しもできないままに出てきてしまった。
もうするなって、無理を?
それにあの上機嫌、きっと宝くじにでも当たったんだわ。
教会に戻ってセオ様から言われた通り休養はした。たっぷり三日間。
三日間が多いか少ないかは人によると思う。あたしにとっては十分過ぎる三日間だった。ぶっちゃけもう仕事を再開してもいいわ。
だって聖女を一月も休むのは信条に反するんだもの。早速と教会の事務所から新規治癒者リストを強奪してきて癒しを必要としている人の元に出向いて回った。
セオ様は休養を命じたけど、新規リストはこの三日のうちにとっくに届けられているはずって読みは当たったわ。
人間の生活はたとえあたしが一年寝ていても滞りなく続いていく。でも何もせず寝ているよりは誰かが少しはマシになった方がいい。
陛下にはまだ内緒にするよう頼んだ。一応ね。
でも王宮のスパイか何かがあたしには張り付いているだろうから、聖女アリエルが聖女活動を再開しましたーって報告はとっくに彼の元に上がってると思う。まあ文句を垂れ込んでこないって事は黙認しているって受け取っていいのかな。そもそも承認リストを教会に送っている時点でいつでも再開宜しくって下心を感じるわ。
しばらくそうして過ごして、今日は一日オフにしてもらった。
本日は国王セオドア陛下の演説日なんだもの。