聖女、出張先で頑張る
会議から半月、その間あたしはリストの患者のうち先に王都やその近郊の人達から治した。そして今日からはリスト後半に纏まって載る患者達のいる施設、王国僻地に位置する軍病院へと出張した。
今回は特に遠方という事で、移動手段は時短のためにポータルで。つまり一瞬で遠くの地に移動できる魔法のゲートを通ったってわけ。
ふぉーっ、生まれて初めてのテレポートって浮かれちゃったけど、仕事現場を目にしたらそんな気分はどこかに吹き飛んだ。
軍病院と言ってもその実は王国東部、カナール山岳地方という魔物との戦闘最前線の一つにある野戦病院だ。
王宮隣りの立派な軍病院とは訳が違い、怪我人達は主に野外テントで治療を受け、テント内に設けられた簡易ベッドに寝かされていた。
カナール山岳地方は元々魔物の出現と襲撃が他地域よりも頻繁で、王国の激戦地とも呼ばれて久しい。
それだけでも大変なのに、更に悪い事にここ半年くらい前からは以前にも増して魔物が出るようになった。戦闘数が増えれば必然的に負傷者数も増えるのは明らかよね。
患者達は通常なら前線から離れた病院に運ばれて治療を続けているはずなんだけど、前述のように負傷者が倍増したせいで近隣の病院はどこも満床で、仕方がなくここで治療をしているみたい。
現状説明のために案内されたテント内は薄い血の臭いと濃い消毒薬の臭いがした。痛みに喘ぐ声呻く声すすり泣く声と様々な弱い声が上がって重なり、何を言っているのか個々には聞き取れない。
あたしは患者の一人へと耳を近付けた。
「聖女様、この者はリストには載っておりません」
教会が付けた女護衛が腕を横に上げてあたしを通せんぼする。
名前はモカ。
白い法衣に赤髪ロングの彼女の他に教会護衛はあと二人いる。テントはそんなに広くなくぞろぞろと入るのは患者の負担になると思ったのもあって二人には外で待機してもらっていた。
勿論王国軍からも精鋭達が六人程聖女護衛の任務に駆り出されている。モカ達が常に傍にいるからか彼らは少し遠巻きにして周囲を警護してくれていた。
あたしはモカの言葉に聞き分けよく理解を示すとベッドから離れた。テント内には案内の兵士や救護スタッフ、患者の目もあって猫被り聖女は外せない。
申し訳なさそうに微笑みながらもあたしは治してあげたい気持ちを押し込んだ。ここで軽はずみにリスト外の人を治してしまえば、私も私もと切りがなくなるからだ。
教会派遣の常駐の治癒術者だっている。彼らにはあたしのように即全治癒はできないけど、快癒までの助けになる小さな治癒魔法は使えて、大半の患者はそれで問題ないみたい。
ただ、今回の聖女任務は彼らだけでは最早足りないからこそ決まったもの。ここの負傷者数を一旦聖女の力で大幅に減らすのが目的なの。魔物急増への戦略なり態勢なりを改めるためにも一度負傷者急増以前の水準に戻したいんだとか。
「では早速始めたいので、リストの患者の元に案内して下さい」
あたしは案内の中年男性兵士を促した。病める者にとって時は健康な人以上に金なりだもの。生きていれば治癒できるけど、死んじゃったらさすがにあたしにもどうにもできない。
とは言えリストに載るのは今日明日が峠なんて緊急性はないけどすぐには治らない者達だ。
彼らの約半数が重要なポジションに就いていて、戦闘の経験値も高く部下からは早期復帰を熱望されている。
ここへの滞在期間は二週間程度を予定していた。それより掛かっても掛からなくても叱られたりはしない。
まあね、約二週間なんて期間があるのは百人なんていくらあたしでも一日で治せる人数じゃないもの。村での覚醒初日みたいに失神するまで力を使えってなら話は別だけど。
でも二度とあんな真似はしない。あの時は下手したら疲労の眠りじゃなくて永遠の眠りに就いてたかもしれなかったって後で聞いたっけ。必死過ぎかつ意図していなかったとは言え危なかったー。
だから最大十人まで、とそう教会側で一日辺りのボーダーラインを設けたのよね。あたしとしては早く皆を治してあげたいんだけどね。
「聖女様、十人をこなしてお疲れでしょう。本日はもうこれでお休み下さい」
そうして、初日予定人数をクリアしたあたしにモカが気遣いと労いをくれた。ただ、このテントにはあと三人だけが未治癒で残っている。しかも全員リスト患者。治癒の済んだ人達は安らかな表情で眠っていて表情は対照的だ。
「ありがとうモカ、でもあと三人はいけそうだからやるわ」
「ですが……」
「大丈夫、回復薬もあるし」
あたしが頑固な眼差しで譲らない意思を示していると、モカは折れた。
「本当にあと三人ですね? 初日から飛ばし過ぎると後々に響きかねませんので、必ずきっちり三人ですからね」
「はいはい、モカはいつも過保護なんだから。限界だと思ったら無理しないで休むから心配しないで。あ、メイとイザークには黙ってて? あの二人に知られたら面倒だし」
ややもするとモカ以上に過保護で融通の利かない護衛のメイとイザークはちょうど良くもまたテントの外で待機中だった。この場にいたのがあの二人だったら切り出せなかったわ。
あたしがじっと懇願の眼差しを向けるとモカは小さく嘆息した。了承の意ね。
この日、もう一仕事を終えたあたしは程よい疲労感のおかげなのかぐっすり眠れた。
リストの患者百人の治癒が完了したのは一週間後。何と滞在予定の半分でやり遂げた。
今日はその翌日。
任務は完了したから本来ならあたしは昨日のうちにポータルで王都にリターンしているはずなんだけど、そうはしなかった。周囲も何故聖女がまだ野戦病院に留まっているのかって不思議に思ってはいるみたい。さもあらん。
魔物襲撃もゼロではないここは危険地帯。追加滞在して万一何かあれば一大事だと懸念しているのは明白だ。そこは素直に申し訳なく感じるわ。
でもね、やるこたやったらさっさと帰るからそれまでは大目に見てほしいわね。
朝の支度の済んだあたしは、聖女用として提供されているテントの一つで護衛達三人を前にしていた。
「さてと、本当はね、こっそりやろうと思っていたんだけど、今日からはリスト外の患者もバンバン治すわよ」
「疲れた動きたくないとごねて滞在を延ばしたのはそのためですか。聖女様、ここには教会派遣の治癒術者達もおりますし、即完治はできませんが確実にコンディションは向上します。ですので聖女様はもっと御身の事をお考え下さい」
あたしを案じたモカが窘めてくる。
魔法力回復薬を摂取しようとさすがに蓄積した疲労はあるからよね。さっさと王都帰って休めって無言の圧をひしひしと感じる。
女護衛メイと、男護衛イザークもあたしとモカの会話を不安そうな面持ちで聞いている。
メイは新緑の五月を思わせる緑髪でショートカット、イザークは薄めの青髪ロングだ。モカもそうだけど、三人共に容姿は抜群。
「私で宜しければここに残って治癒の手伝いをして参りますから、聖女様は心配せずにお戻り下さい」
「モカ、それは駄目。あなたがいないとこの二人が纏まらないもの」
「「酷いです聖女様!」」
三人共護衛だから当然攻撃と防御魔法は使えるけど、もう一つ、治癒魔法が使えるからこそ教会に籍を置く。反対に初級だろうと治癒魔法の使えない者は教会には入れない。
聖女の能力も含めて治癒魔法全般は教会の専売特許と言って障りない。
故に教会は人々から信仰の対象以外でも一目置かれていたし、治癒魔法のおかげで権威も得られている。
聖女の護衛をするからには標準以上に物事に長けていなければならず、三人は条件を満たしているからこそあたしの護衛に抜擢されたの。超優秀なのよね実は。素のあたしをわかっているし彼らの前じゃ猫被りしなくていいから気が楽ね。
「メイとイザークも何か言って差し上げて」
「二人が何を言おうと無駄よ。あたしはもう決めたの」
声を荒らげずただ挑むように三人を順繰りに見つめる。
聖女の力の無断使用だって怒られても治しちゃえばこっちのものだし、何より魔物が近隣の市街地に行かないようにここ前線で日々食い止めてくれている兵士達の助けになりたい。一時的とは言え健康に動ける者が増えれば士気や気合いだって上がると思うから。
結論を言えば、あたしはリスト外の患者の治癒を始められた。三人は何だかんだであたしに甘いのよね。
野戦病院の皆にも否やはなかった。