今は正しい邪魔立て
どうしてセオ様がここに!?
あたしもイザーク同様に息を呑む。
怒っていますよね……なんて聞かなくてもわかる。
控えめな廊下の照明の下、フードでやや翳る顔の陰影がこれまた彼のシリアスさを物語っていた。
規則破りは事後報告しようとは考えていたけど、その前に見つかってしまって猛烈に気まずい。
それに、はぅっ――ダークな感じも素敵過ぎるっっ!!
「……アリエル」
「うぅ、色んな意味でごめんなさいっ」
その瞬間のセオ様の砂漠の如き乾いた眼差しは忘れない。ああもうあたしはどうしてこんな場面でさえも推しに萌えるのよ!
一人頭を抱えて内心嘆いていると影が射す。
顔を上げればセオ様だ。
「すぐに王宮に帰るぞ」
彼はちょうど椅子から腰を浮かせていたあたしの手首を掴んで引いた。痛くはなかったけど周囲から見たら強引にも見えただろう。あたしはあたしで椅子を離れて必然彼に付いていく形になる。
真っ先に激高したのは気を利かせてモカ達と壁近くの長椅子にいたルウルウで、彼は文字通り飛んで来るとあたしのもう片方の手を掴んで引き留めようとする。こらこら普通の子供じゃないってもろバレでしょーっ!
「おいセオドア・ヘンドリックス! アリエルに乱暴するな!」
「していない。それよりその手を放せ、ぶりっ子ペット」
「お前が放せ、厚顔国王」
目を白黒させて家族も教会組も成り行きを見守るようにした。フード男の正体を聞いて両親なんかは仰天してすっかり恐縮したわ。他方、上の弟シドニーは命の恩人だって目を輝かせた。魔物熊から助けに入ったセオ様は弟には世紀のヒーローに見えていたんだろう。わかるわその気持ち!
「ええと二人共落ち着いて? ね?」
セオ様は傍目には表情を崩さないけど多分気持ちは落ち着いてはいないと思う。目が怖い。睨み返すルウルウも同じ。
「アリエル、身内のみならずこいつまで連れてくるとは用心がなさ過ぎる。数々の王都の噂はまずはこういう場所で広まるんだ。幸いバレて騒ぎにはなっていないようだがな」
「そ、うなんですか!?」
言われてみればそうかもしれない。ここは情報交換の場であると同時に拡散の場でもあるんだわ。
聖女が黄金竜と連れ歩き、しかも規則を蔑ろにして親族と密会していたなんてあたしへの格好の攻撃材料よ。
あたしは何て中途半端。もしもどうしても密会したいなら徹底的に極秘にしないといけなかったのに。
「ごめんなさい、すぐに出ます」
急ぎフードを頭に被り支度をすると、メイが慌ててセオ様の前に来て深く頭を下げた。
「すいませんわたしの考えが甘かったせいです!」
「メイのせいじゃないわ。元はと言えばあたしが無理言ったからだもの。それにこうして家族と会えたのは真っ先にあなたが協力してくれたおかげよ。ありがとう。モカとイザークも」
改めてセオ様に向き直る。
「行く前に少し時間を下さい」
彼は静かに手を離すと扉口に凭れて腕を組んだ。察したルウルウも離れたわ。あたしは一歩だけ戻るようにして家族を見つめる。
「お父さんお母さん、シドニー、シュシュ、リック、あたしを心配してここまで来てくれてどうもありがとう。婚約はね、好きでしたの。お父さんとお母さんは向こうにいた時からあたしがセオ様しか眼中にないって気付いていたでしょう?」
二人の肯定に、セオ様は薄い驚きを顔に浮かべた。こいつ実は重い女とか思ったのかもしれない。
「ちゃんと食べているし寝てもいるし心配無用よ。だから皆も元気でいてね。聖女アリエルのこの先の活躍を見ていてほしい。あ、今日ここでの事は勿論内緒だからね?」
本当はとーっても名残惜しい。家族だってもっと砕けた会話をしたいだろう。
「モカ達にお願いがあるんだけど、家族に王都を案内してあげてほしいの。あたしの暮らす所がどんな街かを知ってもらいたいから。頼める?」
狡い問いかけだと我ながら思う。こんなの話の流れからして断れないわ。
内心で申し訳なくも思いつつ彼らの返答を確信するあたしは「それじゃあ元気でね」ととびきりの笑顔を見せた。
いつかスーパー聖女になれたら規則の例外として家族に自由に会えるようになるかもしれない。そうなるように願って今は耐えて聖女道を突き進むわ。
踵を返す時、視界の端で母親は思わず踏み出そうとしたけど、父親に止められて堪えるように顔を俯けた。弟妹達も戸惑っていたようだけど空気を察してか黙っていた。
あたしも振り向くとうっかり泣いちゃうから前だけを見ていた。特にセオ様のご尊顔を。
個室を出るとセオ様が先導するように歩いて、彼の後ろをあたし、ルウルウの順で付いていく。モカ達は三人で即座に役割を決めたらしく、メイが家族と残ってくれた。
個室の並ぶ廊下を抜けてホールに出る。ぞろぞろと一列になって歩くあたし達は目立つかと思いきや、がやがやと雑談雑音に賑やかしい店内は出入りも頻繁かつ立っている客も多く別段注目されたりはしなかった。
ゴチャ付く店内では誰かの裾を踏ん付けてしまって転びそうにもなったけど、セオ様が即座に支えてくれてセーフだった。剣を振るう太い腕に抱き寄せられて耳元で「大丈夫か」って低く囁かれて別の意味で倒れそうだったけどん。ルウルウは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
店の外には極力目立たないようにして私服の王宮兵と覆面馬車が待機していた。
あたしとルウルウはセオ様と馬車に、モカとイザークは馬で王宮まで戻った。やっぱり怒っているのかセオ様の表情はずっと硬かった。
「あれは聖女だったよな」
賢者の頬杖のホール内、一人の若い貴族が喧騒に紛れて昼間から酒を飲んでいた。
下級貴族の嫡男の彼は最近大きな失態をして家長たる父親から役立たずと非難され、ここのところ連日飲んだくれているのだ。
国王は聖女と婚約したが、それでもまだ都の貴族達は自分の娘を妃にせんと虎視眈々だ。歴代国王を見れば妻は一人だけとは限らないからだ。故に彼の妹も父親は王宮に送り込みたいと望んでいた。
しかし先日、お宅の息子が粗相したので当面王宮へは出禁だと王宮から実父へと怒りの手紙が届いたと言う。
妹は詰んだ。彼は激怒する実父から一体何をやらかしたのだと責められ、その時はすっかり顔色をなくしたものだ。
原因には大いに思い当たった。
国王を王宮庭園で怒らせたあれだろう、と。
聖女などに軽弾みに色目を使わなければと後悔した。妹が事情を知ればゴミでも見るような目で兄の自分を見るだろうとは容易に想像できる。
このままでは跡取りの座も危ういかもしれない。この国では爵位は女性でも継げるのだ。優秀な妹に奪われかねなかった。
発端は聖女。そう全ては聖女のせいだ。いつしか彼はそう思うようになっていた。
悶々として過ごしていたそんな時、たまたまだった、本当に。
ぼんやりとして眺めていた店内風景の中、店を出て行こうとしていたフードの人物が転びそうになった一瞬、フードが緩んで顔が見えたのだ。
彼女を支える男の背格好はセオドア国王に似ていたし、何より窓の外には偶然にも顔を知っている王宮兵が私服姿でいた。
「あのちっこい子供は噂のドラゴンだろうな」
庭園では凄まれてそそくさと退散した彼はまだ黄金竜の姿を見た事はなかったが、推測するのは簡単だった。
「ドラゴンを鎖にも繋がず連れ歩くとは、犬か何かと一緒くたに考えているんだろう。これだから田舎出の聖女は」
グラスを呷り先の光景を思い返して悪態をつく男の目が、ふと店内を移動する一団へと向く。
家族連れだろう。表向きは普通の喫茶店なのでそういう客も珍しくはない。
ただ少し銀髪の男性が気になった。銀髪は聖女アリエルと同じ髪色だ。王都では比較的見掛けるのが珍しく、だからこそ目で追ってしまった。銀髪男性の娘だろうか、十歳くらいの女児が何かを尋ねているのが聞こえた。
「ねえお父さん、アリエルお姉ちゃんにまた会えるんでしょ?」
と。男性はどこかぎこちなくもまた会えると答えていた。
アリエル、とその名に男はハッとする。
少し前までここには聖女アリエルがいた。聖女の親族かもしれない銀髪の中年男性とその家族。彼らの出で立ちは聖女の出自同様田舎の平民のそれだ。
「まさか……?」
これは汚名返上の良い機会かもしれないと、にやりと口角を引き上げた。




