不穏な噂と不当な視線
当面の問題は、演技するなら徹底的にってセオ様の完璧主義よね。
現実はハード! 色々もたない~っ。
ああんもうっセオ様ってばまだこっち見てくるしっ。心臓に毛が生えて早死にしたらどうしてくれるっ!
「アリエルくらいだと、早死にはしないだろ。こっちの方が余程……」
「うふふふ、わたくしくらいってどういう意味ですうー?」
あとセオ様は長生きするはずだから安心してっ!
しれっとしていて表情を変えないから彼が自分は長生きするって信じたかどうかはわからないけど、何故か急に足を止めた。
そうかと思えばステッキの代わりのように手に提げていた綺麗なレース付き日傘を手早くポンッと開く。
「セオ様?」
あたしが持参した物だけど庭園を二人で歩き出して早々彼が持つって強引に手から攫っていったの。見せ付けるためにも腕を組もうってね。だから今の今まで差せなかった。はああ~紫外線はお肌の大敵なのに。
あ、そっか、きっと彼も美白に目覚め――
「――チッ」
あ……? セオ様ってば舌打ちした? 貴様如きが俺の肌問題に口を出すなって?
そんなっ、あなたのお肌はあたしの視力維持にだって貢献しているのよっ。推しの毛穴まで見たいって不純な動機から意欲的に日々遠くを見るようにしているのにっ。
あなたのお肌はあなた一人のものじゃないのよーっ!
セオ様は呆れた目をちらとこっちに向けた。
だけどすぐに別の所を向いちゃった。そっちに何かあるの?
同じ方を見ようとしたら、くるりと優雅に回された日傘で視界を遮られた。
そもそもどうして日傘を開いたの?
訝りを浮かべていると、日傘の向こうから声が聞こえてきた。
「食事の隙を狙うとは卑怯だぞ間男めー!」
いやいや間男って……。一応は婚約者よ。
この怒っても可愛い声はルウルウね。
驚異の学習能力でほんの半月で随分流暢になった。勉強熱心にも次は読み書きだって言って毎日勉強もしている。ホント世にも珍しい魔物らしくない魔物よね。
食事は終わったのかしら。メモ書きを残す暇もなかったから、大方仮住まいの宮殿に戻ってあたしがいなくて寂しくて捜しに来たんだろう。良くも悪くもあの子はあたしにべったりだもの。
ただ、ドップラー効果を伴った声の近付き具合と周囲のどよめきがねえー……嫌な予感。
セオ様があたしの視界を遮ったのも、早々とルウルウが来るってわかったからよね。あたしは気を抜いていて魔物の気配に疎くなっていたわ。ちょっと反省。その魔物たるルウルウが上位魔物特権と言うか能力で雑魚は追い払ってくれているとは言え、いつ何時ピンチが訪れるかわからないってのに。
傘を押し退けると、背中にミニ翼を生やした貴族のお坊ちゃん服の金髪幼児が空を飛んでくるのが見えた。
もーっ、いくら瞳を青くしたってあれじゃどう見ても人の子じゃないってバレバレでしょーがっ。
「ルウルウ人様の前で飛んだら駄目でしょ!」
「アリエル~!」
彼はあたしの注意なんぞ気にしていないみたい。目が合うと表情をぱっと明るいものにして嬉しそうにした。
「早くアリエルに会いたかったのだーっ。いちいち曲がったり扉を開けたりするのは面倒だぞ。けど怒ったならごめんアリエル~」
今度は健気な顔をする。あたしがその手に弱いのをわかっていての確信犯ね。はあ、わかっているのにあたしも大概だわ。
「はいはい、とりあえず飛ぶのはもうなしにしてね?」
たぶんあたし達の居候する宮殿から最短の直線ルートで来たんだろうルウルウは、両腕を掲げたあたしの胸に真っ直ぐ飛び込もうとして、サッと眼前に突き出された日傘に邪魔された。
勿論犯人はセオ様。彼が日傘を戻すと直前とは正反対の不機嫌ルウルウが現れる。
「それ以上近付くな、魔物」
何だろう、セオ様も時々大人げない……って思ったら睨まれた。はいすみません、これは魔物に対する基本的警戒ですよね。幼稚にも個人的に気に食わないとかじゃあな……って何で余計に睨んでくるんです?
「おいっあそこだ!」
「ようやく追い付いたあああっ!」
「陛下!? 聖女様も!」
ルウルウの食事にも一緒に付いて行き、常に動向を見張っている王宮警備兵達が遅れてわらわらと庭園に現れる。花壇や灌木や生垣を飛び越えて来た彼らは皆一様に息を切らしていた。
あたし達がいるとは微塵も思っていなかったらしくまるで大きな失態を見つかったみたいに狼狽えている。
ルウルウの監視は彼らの有志であってセオ様が命じた訳じゃないんだから動揺する必要はないのに、律儀な兵士諸君だこと。因みに彼らはこの子が池の中で何を食べているのかは知らない。魚でも捕っていると思っているに違いない。魔石の存在は公には秘密だもの。
警備兵達はあたしとセオ様の手前かもうルウルウをどうこうしようとはしないけど、ここが外部の人間もいる場所ってのを失念しているのか、あからさまに警戒を促してくる。
他の来園者達はもう完全に足を止めて一体何事なのかって遠巻きながら事の成り行きを見守っている。
その半分くらいは何かを悟ったような顔をしていた。
箝口令が敷かれたとは言え人の口に戸は立てられないのが人の世の常。
――王宮には竜がいて、聖女に飼われているらしい。
王都には既にそんな噂が広まっている。
しかも尾ひれが付いてあたしの力までが怪しいなんて囁かれてもいる。魔物に影響されて弱くなったとか悪いものに変質したとかね。
治癒仕事を再開してまだ十日と経ってはいないものの、出先で不安そうな目で見られる率が高くなっているのはそのせいだ。聖女の奇跡を施した途端それは安堵に変わるけど。
さっきまであたしへの露骨な態度は控えていた衆人は、ルウルウが現れると打って代わって嫌悪や戦慄をその目に隠し切れないようにした。ミニ翼と飛行能力から例の魔物竜だってわかったからよね。
「どうして魔物などに肩入れを……」
「あれで本当に聖女なのか?」
猜疑を孕んだ呟きも風に乗って聞こえてきて、あたしは眉間と肩にぐっと力を入れていた。
あたしを非難するのはいい、いやぶっちゃけ良くはないけど喧嘩なら受けて立つ所存よ。
でもルウルウは……。魔物だから悪って偏見だわ。
最近の主立った魔物達の鎮静や撤退は全部この子の追い払いのおかげなのよ。情報が伏せられているから知らないだろうけどっ。
「この子はっ」
「――アリエル、今日は切り上げた方が良さそうだ。こいつのおかげでな」
あ……。
ルウルウへの皮肉を忘れないセオ様と、周囲の様子を悟ってかあたしの顔を窺い見て一瞬気まずげにしたルウルウとが静かに睨み合う。
ややハラハラしているとセオ様が意図してまた下げた日傘があたしの視界を遮ってくれた。あたしの自由にしろと日傘を手渡してもくれる。周りの景色からと言うかネガティブな視線達から遮断されて冷静さを取り戻す。
一方、傘差し抱っこはあたしの負担になるからと遠慮したのかルウルウは地面に降りた。
「そうですね。戻りましょう」
あたしはそう言うと帰る道順へと爪先を向けた。
「リンドバーグ、アリエルを宮殿まで頼む。無論教会護衛の面々も一緒にな」
「セオ様?」
彼は何故か離れて控えていた彼らに声掛けしてあたしだけを促した。
「私はまだここに残る。どうやらこいつが何か言いたいようだからな」
「え、ルウルウが?」
当のルウルウを見ると彼もうむと小さく頷く。
え、え、何なの? あたしを遠ざけて取っ組み合いの喧嘩でもするつもり?
「心配しなくても現状こいつと戦う予定はない」
「僕もだアリエル。折角エネルギー補給した後で無駄に消耗するつもりはないぞ」
「それならいいけど」
そんなわけであたしは護衛ズと先に庭園を後にした。
歩いていると段々と気が紛れた。真実を伝えずにここで一方的に吠えてもかえって不信感を招くだけだったろう。的確に止めてくれたセオ様には感謝だわ。




