推しはいつも素っ気ない
「案内どうもありがとうございました」
「いえいえ、自分は当然の務めを果たしたまでです」
あたしはセオ様の右腕たる青年秘書ユージーン氏に猫被りスマイルを向ける。茶髪の優男風の彼とは最早顔馴染みと言っていい。セオ様が仏頂面をしていても彼の方はいつもニコニコとしていて対照的で、怒ったりする姿を想像できない。だから逆に彼を怒らせたら最後って気がするわ。
表面上は微笑み合いながらも、さあ今からは推しとの至福の時間よと張り切ってセオ様に目を向けると、彼はこっちを見据えて眉根を寄せていた。今日はもうご機嫌斜めなのね。そんな顔ですら毎秒惚れ直しちゃうわ。
「セオドア陛下、ご機嫌麗しく。聖女アリエル・ベルが御前に参りました」
こっちの挨拶にはたと我に返ったらしいセオ様は、彼自身でも戸惑ったような面持ちで軽く咳払いする。どうかしたの?
「とりあえず掛けてくれ。まだ早いが定期会議を始めてしまおう」
「わかりました」
セオ様はそれまでいた執務机から立って応接用ソファーに腰掛けた。
言われるままあたしも彼の向かいのソファーの一つに腰かける。最早対面時の定位置となっているソファーに。予定時間まで彼のデスクワーク姿を眺めて過ごそうと目論んでいただけに少し残念ね。
入念な書類チェックに真剣な顔をした彼が白いワイシャツを着て、袖捲りした腕には高級時計がキラリと光るCEOバージョンを想像したら、あ~んもうダメ鼻血出そ――おっとここまでにしなきゃ。セオ様が微かに頬を引き攣らせちゃったわ。CEOなんて言葉はわからなくても不埒なものは感じたに違いない。あたしが笑顔で取り繕うと向こうはこほんと一つ咳払いした。
「さてと、今回もご苦労だった。今月のリストの全員が快癒したとの報告はもらっている。それに加えて今日は臨時リストの患者の方に出向いていたそうだが、どこまで完了したのか教えてくれ」
「わかりました。臨時リストの方々は全員治して参りましたわ」
「は……?」
「え? ですから、リスト全員の治癒が済みました」
「……今日一日だけで?」
「はい、今日一日だけで」
セオ様は何故か苛立ったように深い溜息をついた。控えている秘書ユージーン氏もびっくりしたようにあたしを見つめている。
通常でも臨時でも、リストはあたしの体力や体調に合わせて人数や治癒難易度が調整されている。
「聖女アリエル、そなたもあの臨時リストは一日でこなすべき量じゃないのをわかっているはずだろう? 何故そう無理をする」
「陛下、お言葉ですけれど、あなたの尊い兵士達を量とか言うのは感心しません」
「……言葉のあやだ」
ユージーン氏が小さく噴き出した。
「何だユージーン?」
「い、いえ何でもありませんよ。……素直に無茶するなと仰られれば宜しいものを」
後半部分の小さな呟きを聞き取ったのか、セオ様がじろりとユージーン氏を睨む。えっえっそれってセオ様ってばあたしを案じてくれて……なーんて考えたら次にあたしも睨まれた。
まあ、そうよね、彼が個人的にあたしを気に掛けてくれているわけないか。
聖女なんて彼の駒の一つに過ぎないもの。
この時少しだけセオ様が顔色を変えたように見えた。
「聖女そなたは……」
「はい?」
「……いや、臨時リストの方もご苦労だった」
「はい!」
ユージーン氏はどこか困ったような顔をしたけど、何も言わなかった。
とりあえず、セオ様からの労い頂きましたーっ! ふぉーっ!
「……そなたは本当に変わっている」
セオ様のどこか感心さえ滲ませた独り言がバッチリ聞こえたけど、え、これ褒められているのか微妙な線よね。
この場は定期会議なんて銘打たれているけど実際は議論をするわけでもなく、国王から任務を拝命する場も同然だ。基本的に半月毎の月二回あって、必要ならその合間合間にも入る。
いつもと同じくあたしからの業務報告を聞き終えた彼は一つ頷くと、脇に置いていた封書をテーブルへと置いた。
「次に治す者達のリストだ。宜しく頼む。ただし無理はするなよ」
「はい、任せて下さい」
あたしは封筒を受け取ると明るく頼れる聖女っぽく拳を握ってみせた。
「それでは解散にしよう。ユージーン、彼女を別室に案内して回復薬を用意してやってくれ。こうも疲弊させたまま教会に帰すわけにもいかないだろう」
「畏まりました。では聖女様、こちらへ」
「え、もうですか? それにそこまで疲れたわけでも……」
「こちらの必要な連絡事項は告げたからな」
いつもの如く素っ気ないセオ様は言いながら立ち上がって、言い終わる頃には執務室の扉を開けていた。
颯爽とした足取り、行動の迅速さ、足の長さがなせる業だわ。それではな、と最後に一言付け加えると引き留める暇もなくユージーン氏を残して出て行ってしまった。
セオ様が先に退室しちゃうのはいつもの事。
執務室に残ってもいいはずなのに、出て行った。
たぶんあたしとはなるべく一緒にいたくないんだわ。
煩悩まみれの変な女だものね。あたしが彼でも同じように振る舞うわ。
取り残されてしばらく呆気としていたけど平素を取り戻して青年秘書を振り返る。
「ユージーンさん、回復薬は教会にありますし不要です。このまま帰りますね。教会までの馬車の手配をお願いします」
「かしこまりました」
ユージーン氏は回復薬は主命だから飲んでいけとは主張せず、滑らかな声と控えめな微笑を浮かべた。
正式に聖女になって一年足らず。会議の度に治癒者リストが渡される。教会に送ってきても良さそうなのに手渡しなのは、無駄な情報漏洩を防ぐのと、体を張るも同然のあたしへの彼なりの誠意なのかもしれない。
でも、世の中には回復薬があるんだし、それさえ飲めば短期でこなせる仕事だわ。今日は終わった後に飲んでいなかったからセオ様にはお疲れだと思われたようね。次からはそこも配慮しなきゃね。
ユージーン氏に付いて執務室を出て歩きながら、封書を胸に抱き締める。
どんなに追い払われても引き下がるなんて選択肢はない。
だって折角この世界に生まれたんだもの。
幸運にも聖女になれて、彼に手の届く場所にいられるんだもの。
冷たいけど、故郷では自分を顧みず弟を助けてくれたし倒れたあたしを彼が自ら寝台まで運んでくれたんだって知ってるし、煩悩聖女ってバレたのに干されない。
国王だから真面目で厳しい面が多いけど、温かい面も沢山ある。
多忙で疲れて見える日もあって、そんな時はあたしが彼の癒しになれればいいのにって思う。
そうは言っても推し愛プールにずぶずぶ浸っているわけにもいかない。当面は新規リスト者を治すのに専念しなくちゃね。
教会に戻って封筒中身を読み込むと、通常通りに治癒する相手は王都やその近郊に暮らす人がほとんどだったけど、今回は一件だけ王都から離れた場所にある病院が記載されていた。
魔物と戦う最前線の一つに建つ軍の病院で、多少の危険を伴うので王宮からそこそこ護衛を連れていかないといけないみたい。
何であれ、何事もなく治癒任務を終えられるといい。
沢山の安堵と喜びの笑みと、セオ様からの労いがもらえれば今はそれで十分。それがセオ様のより良い治世の一助になるなら聖女になった甲斐があると思える。
「よっし、頑張ろう、アリエル!」
彼の塩対応に実は少し落ち込んでいたあたしは、窓から外を眺めて漠然とだけど自分への叱咤激励と、そんな淡い願いのようなものを抱いていた。