新たに踏み出す推しとの一歩
「離婚はしないって、どういう意味ですか?」
「別に言葉通りで他に意味はないが?」
「え、ですが契約期間は必要なのでは……?」
刹那、ぐいっと腰に手を回されて抱き寄せられた。切ない表情をした真面目な顔が目の前にある。
「――アリエル、好きだ」
「………………予行練習、ですよね?」
間違わない勘違いしないっと内心で叫びつつも思い切り動転していると、セオ様は少し残念そうにした。え、何で?
「まだまだだな、そなたの演技は」
「――っ、――っ、だだだって今のは不意打ちですよーっ」
ハハハ、と無邪気さ全開で軽やかにセオ様が笑う。あたしは半分憤慨しつつ、すぐに赦した。直前の話題を曖昧にされた感がなくもなかったけど、まあまだ契約結婚をしようって決めたばかりで彼も明確にいついつまでって期限を定めるには時期尚早だと思っているんだろう。
きっと聖女との婚姻反対派だったり外交だったりと絡みは少なくない。だからまた折を見て話し合えばいいか。
だけど信じられないわ。彼にこんなふざけたりする普通の男の人みたいな可愛い一面があったなんて。
……ううん、違う、彼もこの世界に生きる普通の男の人なのよね。立場とか役回りが特別なだけで。
小説からだけじゃ知り得なかった彼の魅力にどんどん惹かれて酔ってしまいそう。
すると、くすりと優しく苦笑された。何今の、今の何?
「またおかしな思考をして。まあこれからは存分に見つめて触れてもらって構わない。……それで私により沼ってくれるならな」
「へっ? 最後の辺りすいませんもう一度」
「時間は戻らない。まっ、そんなわけだからアリエル、これからも宜しく頼むよ」
「え……はい。こちらこそ、宜しくお願いします」
彼の視線があたしの手元に移った。
「改めて言うが、その指輪は遠慮せずそなたが着けていてくれ」
「こんな国宝を、本当の本当にいいんですか?」
「ああ。そなただからこそ。防具でもあるから私も着けていてくれる方が安心できる」
あたしだからこそってよくわからないけど、あたしはこれでも聖女だし対外的に見せ付ける事で説得力や何かしらの効果はあるのかも。
いつかこれが真に彼の求める女性の指に嵌められるのだとしても。
「アリエル」
「はい?」
不意打ちでちゅっとおでこに口付けられた。
思わずこれも練習でしゅかセオしゃま~ってとろメキモードになったけど、キスをしておいてそのくせ全然彼は甘い顔なんてしていなかった。むしろ半眼なんですが?
「私に他の女がとか、そういう無駄な思考は禁止な。次それやったら額にじゃ済まさない」
「――っ!?」
本気か冗談か、彼はするりとあたしの銀の髪を一房掬うとその毛先にもキスを落とした。
しかも誘うような上目遣いまでしてくる。
「――っっ!!??」
蓋を開けてみればあたしの知るキャラ設定からは遠く掛け離れて変質していて、なんって恋愛に余裕な男なのって狼狽えてしまったあたしはだけど、彼の耳先も赤くなっているのに気付いた。ポーカーフェイスなくせに耳は隠せていないのね。
あ、何だ、変わっていたわけじゃないんだわ。
彼なりに「演技」を頑張ってくれていたんだわ。
そこはあたしと同じなのねって思ったら気が抜けて頬が緩んだ。彼は何かまた言いかけたようだったけど、あたしの笑い顔を見たまま結局何も言わなかった。
気が緩んだら緩んだでムクムクと悪戯心が芽を出してくる。
あたしは彼の腰に両腕を回して抱き締めた。思った通り向こうは緊張してか体を固くしたわ。へへへピュアセオ様発見~。
「アリエル……全く、どうなっても知らないからな」
「ふふふ負け惜しみですか~?」
きゃあんそうムッとしてもクール! どんどん新しい推しを知れて嬉しい限りだわ。
ほくほくとしていたらどうしてか溜息をつかれた。
「セオ様、あたしからも一つ。もしも契約中に他の女に目を向けたら、そっちこそ覚悟して下さいね、無理矢理こっちを向いてもらいますからね」
「ふっ、上等」
今度は互いに挑発的に見据え合って、あたし達は確かに偽恋人としてのスタートを切った。
翌日、あたしはセオ様と並んで王宮会議が行われる大会議室前に立っていた。勿論聖女の正装で。皆に恋人関係を示すためにわざわざ彼と腕を組んでもいる。まるで舞踏会の入場時みたいにね。
分厚い両開きの大きな扉にはどことなく圧迫感。大事な会議だしルウルウはさすがにお留守番。反対に教会側の代表としてイザークには同席してもらうわ。先に入って待っていると思う。メイとモカはリンドバーグと同じく待機組。
「そう緊張するな。大臣達と顔を合わせるのは初めてでもないだろうに」
「そっちは緊張していませんよ。あたし、こほん、わたくしが緊張しているのは――」
「私が皆の前で際どい真似をしないか、だろう?」
ええ、ええ、そうですとも。駄々漏れ万歳ですー。
「心配せずとも露骨な真似はしない。……そなたのキュン顔は他の者には見せたくないからな」
「え、はい?」
後半の方が聞き取れなかったわ。
昨日もだけど、セオ様って実は意外と独り言の多い男なのかしら。まあ些細な事だけど。あ、少し睨まれちゃったーん。
因みに扉の前に立つ兵士二人は敢えて自分達は何も聞いておりませーんな顔をしている。兵士達には王宮での守秘義務があって、口が軽いと首が飛ぶ事だってあるから慎重にもなるわよね。
「国王陛下、聖女様、どうぞお入り下さい」
扉の開閉も任されている兵士二人は慇懃に扉を開けてくれた。
「さあ行くか、アリエル」
「はい、セオ様」
踵がこつりと新たな一歩を踏み出した。
誰が見てもラブラブなあたしとセオ様の恋人ライフ、さあ皆様とくとご覧あれ。
そう意気込みながら、思考の片隅ではこの先どこが本来の小説と合致して、どれくらいまで乖離していくんだろうってそんな事を思った。
一つ言えるのは、愛する推しの隣で闇落ちなんてするわけがないって事かしらね。
するのはそこに愛のない契約結婚だけど、あたしからの一方的な大き過ぎる愛で満たしていたら、もしかしたらいつかは押し切られてくれて……なんて仄かな打算がないわけでもない。
ふほほほ、あーこれで誰に文句を言われずそのハンサムフェイスをペロペロできるわー……って麗しの横顔を見上げていたら、ちょっとこっちを見たセオ様がやや引いた呆れ目をした。
正式にセオ様の婚約者になっておよそ半月。
最近王宮には各地から、魔物の活動が極端に弱まったり、或いは王都方向から逃げるようにどこかへと姿を消したりする魔物の報告例が多数上がっているみたい。激戦地カナール地方でも魔物が活動を低下させたみたいだし。
ふっふっふっ、確実にルウルウの追い払い効果が出ているじゃないの。
小説の挿し絵で描かれていた悪逆非道の黄金竜。
本編じゃその存在と彼の命令の咆哮が夥しい数の魔物達を王都に呼び寄せた。
それが今は可愛い男の子の姿であたしの傍にいる。
そんなルウルウにはまだ仲間と会う気はないみたい。純粋にあたしとの時間を楽しんでくれている。それもいつかは成長と共に独り立ちと言うのかそんな気持ちになって巣立っていくんじゃないかしらね。セオ様は警戒を怠るなっていつも注意してきてあたしとは違う見解をお持ちみたいだけど。
最愛の推しが居るのに可愛いからって乗り換えたりしないのに、信用ないなあ。思考が伝わる意味がないわ。
ルウルウについて、あたしはセオ様に一つ提案もしていた。
黄金竜キングのルウルウが睨みを利かすだけで、ほとんどの魔物は怯んで退散するでしょ。だからルウルウに全国各地を回ってもらって一度徹底的に追い払ってもらったらどうかってね。
ぶっちゃけね、ただ王宮に置いてタダ飯を食わせるわけにいかないもの。
先に本人にその話をしたら、それであたしと居られるなら安いものだって了承してくれたわ。後は王宮側と言うかセオ様がどうするかよね。
思うに、そうやって率先して魔物撃退や退治を推進していけば、本編みたいな魔物跋扈の展開にもならないんじゃない?
これならこの国の一部の人達が本編にあったような悲劇――村や町が全滅なんて憂き目にも遭わないわ。
とにもかくにも、少なくとも本編開始時期に当たる今から二年後まで、あたしはきっと健全な聖女としてやっていってみせるって、そう強く誓った。




