案外推しは押しが強い
長椅子の上でルウルウを抱き枕よろしく抱きしめるあたしはまだ頭の中がプラズマみたいになっていた。
どうしよどうしよどうしよーっ明日からどんな顔してセオ様に会えばいいのーっっ。
……でも、明日?
あたしは明日まで話半分に逃げてきたままな状況を放置するつもりなの? セオ様が怒って無しだ無しって白紙撤回するかもしれないのに?
そうよ普通だったら何て失礼なって激怒よ失望よ。
ああもう馬鹿。契約だろうと推しと結婚なんてチャンス他にないのにっ。無かった事にされたくない。
「戻らなきゃ」
「アリエル~?」
ルウルウが不思議そうにする。そんなこの子を抱っこしたまま部屋から出ると、リンドバーグと教会組がホッとした顔をした。
「ええと皆、取り乱してごめんなさい。今からもう一度陛下の所に行って来るわ」
四人は初めてあたしの左手にある指輪に気付いて目を丸くする。
「せせせ聖女様、その左手の薬指に輝く物はまさか!?」
「あらまあ、晩餐の席でプロポーズされたのですね!」
「うそーっあの国王陛下にそんな甲斐性があったんですか!?」
イザーク、モカ、メイの順で言って、リンドバーグだけは最後のメイの言い種に苦笑いするも余計な発言を控えたみたい。
あたしも苦笑しつつ頷いてみせた。
こっちの勝手で行ったり来たりさせて悪いかと同行はリンドバーグだけにしようと思っていたんだけど、当然のように全員付いてきた。
皆とても喜んでくれたからありがたい反面、後ろめたくもあった。
彼らには契約結婚だとは明かしていない。
国王の婚姻は政略的重要事項だろうからセオ様の不利にならないよう、話すにしても彼の同意を得てからよ。
ルウルウには晩餐での話は誰にも内緒よって部屋を出る前にお願いして応じてくれたから良かった。……約束を破ったらこめかみぐりぐりよ~って釘を刺したら焦った顔で「絶対破らない!」だって。あれは種族を問わずちびっ子には効果絶大なのかも。
話を戻すと、照れてろくに話ができないかもと危ぶんだけど、行ったら行ったで何の事はなかった。
案内されたのは執務室。まだ仕事するつもりなのって半分呆れて半分感心したわ。で、足を運んだそこで彼の顔を見たらおどおどなんて全くせずに通常運転よ。煩悩を我慢しなくていいってセオ様本人からの言葉もあったからか、遠慮なんて言葉はあたしの辞書から一時消滅していたわ。
セオ様は暫し耐えるように頬を引き攣らせていたものの、気を取り直してあたし以外の全員に退室を促した。ルウルウは残るつもりだったみたいだけどセオ様が断固拒否。あたしからもお願いして渋々退室してもらった。執務室にはユージーン氏もいたけど意外にも彼も退室を言い渡されていた。
改めて密室に二人だけになって、今までなら独り占めヤッホーイと舞い上がったろうに、今は猛烈に気まずいっ。
目が合うとセオ様はじろりと不機嫌な睥睨をくれた。そりゃあね、デザートの途中で失礼を仕りましたものね。
そうよまずはきちんと謝らないと。
「アリエル。ドラゴンをペットにしてもいいが、檻に入れておけ」
「え? へ?」
「不要な接触はやめるんだ」
機先を制されるように全く想定外の言葉を掛けられポカンとしちゃったわ。
「ええと、あの子は本当に危険じゃないですよ」
「あの子、じゃない。思考も恐ろしく達者だし、外見だけで子供扱いするのは大きな間違いだ。これ以上毒される前に放り出せ。そなたには警戒心がなさ過ぎる。大体な、ベタベタと触るな。あれはオスなんだ」
「オスって……そこは特に警戒しなくても大丈夫かと思いますけど」
当初の予想とは斜めった会話に困惑して謝りそびれてしまえば、執務机の奥のセオ様は別段謝罪を望んではいないのか、つかつかと机を回ってくるとあたしの真ん前に立つ。
「ならもしも私が魔物で、これが人に擬態した姿だとして、そなたは相手からこんな風に迫られても身の危険を感じないと?」
セオ様は少し上体を傾けてあたしの耳元で囁いた。
「ん、どうなんだ?」
声も息も近い。遅ればせながら首を竦めてぎこちなく彼の聖なる息の掛かった片方の耳を押さえた。
「ル、ルウルウはっ、男の子ッですけど、あっあなたは大人の男っですからッ、扱いが違いますっ」
「ふうん、違うのか。具体的にはどう違う?」
「そっ、れはっ……!」
何だか満足そうに見えるセオ様は尚もこっちを見下ろしてくる。見つめられているだけで決して触られてはいないのにドキドキ興奮は無限大。
ああんこれで腰砕けにならないなんて無理でしょ無理。
この色気に抗うなんて土台無理いいいーーーーっ!
「無理って、そっちか……」
何が可笑しかったのかハハハッとセオ様は快活に笑った。安堵も見える。
え、ええ……と?
やっぱり今夜の推しはどこかおかしい。
こんな近くて甘いスキンシップ、昨日までの彼なら考えられないわ。……あれ、でも昨日池の中でもとても近かったような?
ああ、そっか幻覚か。
「現実だよ。そなたの息が続かないと思って吹き込んだ。言わないでおこうと思ったが、気が変わった」
「え……? 何を吹き込んだんです?」
「空気を」
「空気を……あたしに?」
セオ様はしかと頷く。
どうやって、なんて愚問だろう。
あたしは瞬間湯沸かし器になった。
両手で顔を押さえてしゃがみ込もうとしたけど、セオ様に肘を支えられて阻まれる。
「アリエル、人命救助はキスに数えないからそう動揺しないでくれ。だが、契約結婚とは言え式では誓いのキスはしないとならない。そこは受け入れてほしい」
ああ確かにそれは必須よね。
「それと、私達の結婚が契約なのは極秘だ。ユージーンですら知らない。よって周囲には本当に好き合っているんだと思わせる必要がある。そのためにも親密な距離感に慣れておかないとならない。そう思わないか?」
「な、なるほどそうですよね……ってそそそそんなミッション急に言われてもっ、心の準備がっ!」
「明日、緊急の王宮会議がある」
「あああ明日!?」
「目下では婚約式、その後の結婚式についての日取りなんかもそこで決める予定だ。二人揃って出席するのがベストだろう。そこでギクシャクしていたら関係を疑われる」
「えっでででもですね、今日の明日って急ぎ過ぎでは!?」
「善は急げというだろう?」
「急がば回れとも言いますよ!」
セオ様は不満も露わに目を細めた。
「アリエルは聖女演技はできても、恋人演技はできないと?」
「そっ、ういうわけでは……」
ううっ今だって心臓爆発して死にそうなのよっ! もっとレベルアップしたら心臓どころか全身で超新星爆発しちゃうわよ!
「超新星爆発……?」
彼は聞き慣れない言葉に怪訝にするけどそんな顔でも一生見つめていたい。ああもう誰かを好きになるってこんなにも大変。
だけど、心の底から光が溢れ出るみたい。
こんな役得本当にいいの? 実は夢なんじゃないの? これこそ本当に幻覚かもしれない。
「言っておくが現実だよ。その指輪を嵌めた時点でそなたはもう立派な私の婚約者だ。万一余所見するなら覚悟しておくように。その時は私に集中できるように指導する」
指導……て?
不思議に思っていると、セオ様は片方の口角を上げてにやりとした。
「これまでのバリエーション豊かなそなたの妄想を実行する」
「はいいーっ!?」
それは極めてヤバいでしょっ。何故って?
R指定入ってるからよーーーーっ!
「でっ、あのっ、ちょっ、契約結婚なのに子供できちゃったら大変じゃないですかあっ!! 夜這いはNGって言っていましたよね?」
ヒロインにアプローチするのにもハードル上がるでしょそれはっ。勿論ヒロインはセオ様がバツイチ子持ちだろうと告白には真剣に悩んで考えて答えを出してくれるだろうけど。
全身から湯気を立てそうなあたしが考え直すように促すと、セオ様は不可解な表情もしながらも、どこか声が甘い。
「子供、か。それなら尚疑われなくていいだろ。地下では皆にがっかりさせたからな。デキても構わない」
「いやいやいやいや!」
「ところで、子持ちはわかるが、バツイチとは?」
ああ、こっちでは無い言葉よね。
「一回離婚歴があるという意味で……」
「――離婚はしない」
「え?」
でも契約結婚って普通結婚期間を定めるものじゃないの?




