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セオドアの欲しいもの

「無理……?」


 前に突き出した腕を下ろすのも忘れてセオドアは愕然としていた。ほろほろと崩れ砂になりかけてもいた。

 先のは脳内が色々とヤバいアリエル的にはレベルゼロのスキンシップだろうと疑わなかったが、まさかまさかで違っていたらしい。


 セオドアの方から迫られるなどとは微塵も想定していなかったようでもある。


 だとしても、完全想定外だったとしても、


「無理はないだろ……。人を散々弄んでおいて……」


 と、そう独り言ち、ようやく体の脇に腕を下ろすと手指を強く握り込む。

 批判や非難、侮蔑さえ何度も受けてきて他者から負の感情を向けられるのにはとっくに慣れたと思っていたのに、いつになく揺らいで落ち込んでいる自覚のあるセオドアだ。


 アリエルが開けていった扉から給仕達が気掛かりそうに彼を窺っていたが、彼はそんな視線には頓着せずに傍の椅子にドカッと腰を下ろす。

 ふと、半分残されたケーキに目が行った。

 アリエルには食べ物を粗末にするなと注意したばかりだ。

 仕方なしに彼は新たなフォークを給仕に持って来させると、律儀に全部を平らげた。


「甘いな……」


 けれど、程良い。ラズベリーの酸味のおかげだろう。

 ラズベリーを押し込んだ際のアリエルのびっくり顔を思い出し、今更ながら大胆行動への気恥ずかしさが込み上げる。同時に、彼女がシェアしたいと言ったこの甘酸っぱさがもう少しだけ舌に残ればいいと思いもした。


「どうも私をどこぞの小説の同名の登場人物になぞらえていて、真面目だと思われているのは決してマイナス点じゃない。しかし……」


 真実の自分を蔑ろにされているようで面白くなかった。

 ちゃんと目の前にいるセオドア・ヘンドリックスを見ろ、と勝手な幻想を無性に打ち砕いてやりたくて、だから少し彼女の煩悩の中の自分に倣ってみたのだ。意地が悪かったと言われれば反論できない。


「なのにあんな反応、私は痴漢か露出狂か?」


 しかもまだ聞こえる範囲にいるアリエルからは無理無理無理と思考されている。

 無理というのは生理的に無理の無理なのかもしれない。妄想と現実とのギャップを感じ幻滅した可能性は否定できない。無理という言葉一つが重ねられるごとにどこか大事な部分が抉られる気がするセオドアだ。

 こんな複雑な気分を味わう羽目になるなどと彼は少しも予想していなかった。


 正直に言えば結婚の提案に彼女はまさにレアな限定商品を手に入れたような満足顔で了承してくれると考えていた。

 それこそ推しを愛でられるとか何とかはしゃいで。


 しかし実際の彼女は純粋に困惑した。


 だから妙に焦ってしまい取り繕って契約という言葉を咄嗟に口走ってしまった。拒否されるのを恐れて安全策に逃げたのだ。苦し紛れの言い訳が通じて幸いだった。


「これは私が見誤ったと言うか、推しだ推しだと持ち上げられて自意識過剰だった。とは言え私から疎まれていると当たり前のように思っているとは思わなかった。は、自分のこれまでの態度を顧みれば当然か……」


 深い溜息が出た。

 聖女との婚姻に乗り気の臣下達にはしばらくは「契約」のついた結婚になりそうな旨を秘密にしておきたい。


「だがな見ていろ、近いうち必ず契約じゃない本物にしてやる」


 本物。

 彼は池での一件で想いを自覚したのだ。


 それまでは聖女としての熱心さに感心していたが、あくまでも聖女は王宮安定のための歯車の一つで、そこに個人の感情は持ち込まず、国王として節度を守って接していくつもりだった。

 しかし池に沈む様を目の当たりにして、無茶をして助けるくらいに大事な存在になっていたのだと悟った。


 アリエルを失えない、失いたくないと。


 聖女かどうかは関係ない。アリエルはアリエルだからこそ掛け替えのないと思うのだ。


 いつかは世継ぎを設ける国王の責務で結婚せざるを得ないと、彼は薄々そう思ってはいた。その頃は特に意中の娘もいなかったので臣下の提示する最も好条件の相手を選んで王妃に据えるのは仕方がないと。ただ、誰が相手でも面倒だったのでまだ先でいいと渋っていた。

 候補の中には途中から聖女たるアリエルも加わって最も有力株にもなったが、彼女を候補から外そうとは一度も思わなかった。

 反面、変な女だと思ったのは一度や二度ではないが。


 そしてここに来てどこか茫漠としていた展望が明確になった。


 どうせ愛のない政略結婚をするだろうと、そう信じてすらいたのに、結婚するなら彼女――アリエル・ベルがいい、と。


 とにかく、関係の進展を望むなら攻めの姿勢が肝心だ。

 あの生意気な黄金竜に邪魔されるだろうが、成竜ならともかく幼竜などライバル視する必要もない。

 竜の方は腹が立つくらいにアリエルに懐いて好いているようだが、彼女は全く恋愛対象としては見ていない。捜しに行った地下ではよもやと疑いもしたが結局は杞憂だった。


「ふ、所詮はペットの名前を付けただけはある」


 しかし、だからと言って余裕は持てない。アリエルは決して本気の恋愛相手としてセオドアを見てもいないからだ。

 ドキドキと興奮してもそれは究極、推し、だからで、それ以上でも以下でもない。


「だからこそ、押しに弱かったのは好都合だな」


 彼女の好みと言う強みを活かして振り向かせる自信のあるセオドアは、しかしふとその表情を曇らせる。


 歴史を鑑みても聖女はその能力故に平穏ではいられない。非合法にその力を欲する者は皆無ではないからだ。アリエル本人には独り歩きがどれだけ危険かまだ自覚がないようなのが頭の痛い問題だが、婚姻はそれの歯止めも兼ねた諸々の問題解決の最善策でもある。平民出の聖女に箔を付ける点からも有効だ。


 まあ何にせよ、意気込んでみても感じるのは、この恋は前途多難かもしれないという予感。


 何となくまだ腰掛けたまま無意味にフォークでケーキ皿を突いたりして無聊を慰めているとユージーンが静かに入ってきた。きっと状況を聞いてきたのだ。

 アリエルの事で何か苦言でも呈されるかと密かに身構えたが、近くにきた側近からの開口一番は違っていた。


「陛下、案の定水面下ではもう早々と昨晩の情報が拡散されている模様です。しかも聖女様への悪評になりかねない内容で」


 些か拍子抜けしたが、わざわざ説明する必要もないかと側近の持ってきた詳細な報告に集中した。王宮池の魔石の件は耳に入っていたがそこで仲良くピクニックをしたとは知らなかったのでピキリとこめかみに筋が浮いた。幸い前髪に隠れていたのもあり側近は気付かなかったようだ。

 セオドアは全て聞き終えて一つ嘲りにも似た息をつく。


「連中は聖女を王妃候補から外したいのだろうが、残念だったな。実はさっきプロポーズして、アリエルからも快い返事をもらった」


 ユージーンは目をぱちくりとさせた。次に穏やかに微笑する。


「それはまた、大変におめでとうございます。王宮の慶事ですが、陛下には恋の自覚があったのですねえ。密かにずっとやきもきしていたので良かったですよ」


 昨日自覚したばかりだったセオドアは複雑な気持ちになった。その前からもうユージーンにはわかっていたらしい。何故だと問いたい。


 ただ、契約結婚だとは彼にもまだ伏せておく。絶対に呆れられるからだ。


「陛下、苦労なさった分、どうかお幸せになって下さいね?」


 ユージーンが普段よりもほのぼのさ五割増しの穏やかスマイルを浮かべた。セオドアは不覚にもジーンとした。過去にはその笑顔が腹黒、不気味と思った事もあるのを心で詫びた。労苦を共にしてきたこの側近はアリエルとはまた違った位置で大切な存在だ。そんな男からの祝福に勇気が増える。


「ああ、当然」


 我ながら前途多難な恋とらしくなく弱腰になっていたのが吹き飛んだ。不安なんていつ以来だったろう。


 少なくとも王宮のテッペンを獲ると決めたここ何年は感じなかった。そう思ったら苦笑が浮かんだ。


(よもや私が恋の臆病風に吹かれそうになるとはな)


 それを齎したアリエルはやはり唯一無二の女性だ。


 国王の地位は個人的に欲したものではない。王子に生まれついた者の責務として、国の安定のため、そして他の兄弟に殺されないために必要だった。

 これまで人生のプラスに感じた事はなかったが、今はこの地位に感謝している。

 国王ではなく落ちぶれた一王子だったなら聖女と婚姻を望めるべくもなかっただろう。


 セオドアにできた初めて望んで手に入れたいもの、それがアリエルだ。


 乗り越えるべき問題はそこそこあるが、彼女の姿を思い出せば自然と口元が緩んだ。

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