推しの逆襲
膝を上げ指輪を嵌めてくれようとするセオ様の長い手指を、あたしはふわふわした心地で見下ろした。
本編開始時には権力も固めてあって婚姻は彼の自由だろうけど、今はまだ色々と政治的な調整も慎重にすべき部分があるはずよ。
大臣達の反対を受けないのかしら……って、そうよ思うに、指輪なんて必須アイテムを持参していたって意味は、つまりあたしの意思にかかわらず既に契約結婚は王宮の決定事項だったのでは~……?
「中々に鋭いな。前々から話は持ち上がってはいたんだ。私がずっと渋っていただけで。だから大臣らの方は元々乗り気だ」
「そうなんですね。ところでどうして急に承諾する気に……?」
少し言い淀むような間があった。
「端的に言うと、アリエルが必要だと思ったからだよ」
「えっ……?」
どどどういう意味!? 動揺するあたしへと彼は「さあ? どういう意味だろうな」とらしくない狡い男な笑みを浮かべた。
もう誰よこの男は!
彼は本当にあたしが知っているセオドア・ヘンドリックスなの?
ヒロインに一途で誠実で、ヒロインも含めて女の子にはこんな風にはしない生真面目堅物キャラで、情熱家だけど狡猾な恋の駆け引きなんてしない男なのに。
……ああそっか、そもそも恋愛事じゃない。彼にとってあたしは女子括りじゃないのよね。
紛らわしいけどこれはビジネスモード。様々な折衝だったり取り決めをする時は国王としてしたたかにあらないといけないもの。
でもこんなの「腹黒陛下しゅき!」ってセオ様沼の底を突き抜けてコアまで掘っちゃうわ。
「そなたはまたよくわからない事を……」
そう呆れたように呟く彼は気を取り直してあたしの左手の薬指に指輪を嵌めてくれた。
「あれ、ピッタリ?」
緩そうだったのに指に嵌めたら何と指輪がキュッと縮まったように思う。
「大きさが調整される魔法だよ。これは代々王家に伝わる次期王妃が身につける指輪だからな。それと身を護るための魔法具でもある」
「代々って、国宝!? そんな大層な物は着けられませんっ。失くしたり壊したら大変ですもん!」
「形ある物はいつかは壊れるんだから、壊れても紛失してもそこは大した問題にはならない」
「大問題ですっ」
「ごねるのか? もう指輪はそなたを主人と認識したんだ。観念するんだな。あと、そなたはちゃんと女の子だよ」
「ええまあこの容姿はどうしたら男に見えるのよって感じですものね」
「……そういう意味じゃない。まあとにかく、そなたはこれからは私にしてほしい事を妄想するんじゃなく、直接問うべきだな」
すっと伸ばされた手があたしの頬に触れている。ラズベリーを押し込まれた時より何故だか無性に恥ずかしい。そう言えばどうしてラズベリーを押し込んできたのかしら。
「そうしたかったから」
「えっ……っ」
意図が読めないんですけど!
契約結婚の提案にしたって、この際もう愛がなくても旨味はあるからいいかって大満足なあたしがいるのは否定しない。血流が勢いよくなって顔が熱くなっていく。思考も呼吸も半ば止まりそうなのに。
言葉もないあたしへと、彼は今度は何故だか気が緩んだように柔らかにふっと笑った。
えーーーーっウソウソウソ、それヒロインにしか向けないやつッ!
ヒロインとの小説表紙でしか見た事のないカッコ良くも甘い笑み!
どういう風の吹き回しなのってあたふた思っていたら、彼は唇を耳元に近付けてきた!
「そなたは押してくるくせに、逆に押されるのには弱いだろ」
彼の笑い含んだ声音に何でか背筋がぞくぞくした。どうしようもない弱点を見つけられた気分なのは何でかしら。
目を見開くあたしに彼はもういつもみたいな冷静な眼差しを向けてくるけど、いつもみたいなあたしの際限ない煩悩に呆れて冷めたような気配はない。ふっ、ずっと見ているおかげでそこまで察せる自分万歳ね。
なーんて余裕ぶっこいている暇はなかったわ。煩悩三昧して迷惑は掛けられない。とにかく思考よ止まれーっ。閉じろゴマー!
「またか」
「へ?」
「煩悩を無理に抑え込まなくていいと言った」
「でもこの子を見逃してくれる条件の一つでしたし……」
「条件の一つ?」
彼はわからないというように眉を寄せる。
「そなたが何でもするというのが唯一の条件だったはずだが?」
そうだったっけ?
「ま、これからは妄想する必要はなくなるだろうがな。それに契約結婚とは言え、世間には仲睦まじい夫婦だと思わせないとな。だろう?」
セオ様は真正面から顔を覗き込んできた。
何て至近距離。加えて本物が放つ、等身大パネルとか抱き枕なんて比じゃない圧倒的な存在感。色気。空気から伝わってくる体温っっ。
あたしは息さえ止まって瞬きも忘れてセオドア・ヘンドリックス国王陛下を見つめるしかできない。
「この距離感にも慣れてもらうぞ、ん?」
セオ様は更に小首を傾げるようにした。角度を付けた眼差しが彼の色っぽさ増し増しよお~っ。
「……………………っっっ」
――――――――無理ッ。
一も二もなく勢いよく椅子を蹴立てて立ち上がったあたしはルウルウを小脇に抱えると何も考えず猛ダッシュ。
無理無理無理無理無理無理無理無理もう全部無理ーーーーっっ!!!!
と、逃走した。
「アリエル!?」
仰天声が背中に聞こえたけど無視した。
無理無理無理無理無理無理無理無理ムリムリッ!
あたしの宮殿までどうやって戻ったのかはほぼ記憶にない。
とにかく全部無理で、部屋の扉をしっかり閉めて鍵を掛けてその前に座り込む。凄い勢いでバクバクバクバク心臓が躍っている。あたしを追いかけてきたモカ達護衛は扉の向こうから聖女様って慌てたように呼び掛けてくる。彼らに構う余裕はなかった。
大人しくあたしに通勤鞄宜しく運ばれたルウルウだけが今は傍らで心配そうな目をしている。
運ばれる間はこの子もこの子で不可解そうに何かを考え込んでいて小難しい顔をしていたけど、それももう普通に戻っている。
これまで何千何万回推し尊しや~ってときめいてきたけど、ここまで激しい動悸は初めてだった。前世の夫にすらこんなのはなかった。ちゃんと愛していたのに不思議よね。でも逆にセオ様には元夫に感じたような包み込むような愛情の静けさみたいなものは感じない。
たぶん恋愛って同じじゃないんだわ。
無論あたしがもう前世のあたしじゃないのもあるんだろうけど、例えばチョコレートとそのフレーバーに似ているかも。イチゴフレーバーもキャラメルフレーバーも好きだけど味わいは異なる。
相手が違えば感じ方も変わる。
鏡を見なくてもわかる。顔は真っ赤。耳や首までもきっと。
さっきまで全然平気でいられたのが嘘みたい。
指摘された通り、自分から行って大興奮するのはありなのに、向こうから来られるのには免疫がなかったなんて……っ。
さっきのあれは多分セオ様のちょいふざけだろうけど、心臓に悪過ぎる。大体、契約結婚なんだしあたし一人で盛り上がっても馬鹿を見るだけなのに、それでも嬉しいなんて救いようがない。惚れた弱味よね。
婚約指輪だって身に余る。嘘んこの愛ならそこらの露店で売っている安物で十分なのにね。まあだけど体面もあるのか。
「はあ~あ、明日から顔見れないかも~」
「だいじょうぶかアリエル?」
ああもうあたしったら駄目ね。ルウルウにまで心配掛けちゃって。
「なあアリエル?」
あたしはじっと子役ブレイク間違いなしキュートルウルウを見つめた。
「お主は究極に可愛いのおおーーーーっ」
「わわあっ!?」
もちもちほっぺに頬擦りして自分を落ち着かせる。
信じられないくらいに妄想じゃ愛を囁くのに、リアルだと恥ずかし過ぎて動けないのが悔しいなんて、この子に言ってもしょうがない。
推しの逆襲、まんまと食らいました。




