気付かない兆し
推しは神様。
あたしアリエル・ベルはそう自信を持って言える。
王宮池で溺れたあたしを助けてくれたのは、誰でもないまさにそのあたしの神様セオドア・ヘンドリックス様だった。
正直、もう冗談抜きに駄目かと思ったわ。だけど気付けば彼がイルカよろしくあたしを水面まで連れて行ってくれたの。彼の剣が水を割るような勢いでトルネード流を起こしていて、剣魔法なんだろうそれのおかげでね。
……ただねえ、その前に口から肺に空気が入ってきたような気がしないでもなかったけど、朦朧としていてよく覚えていないのよね。
あたしの顔のすぐ近くにセオ様の案じるような表情があったのはぼんやりと記憶に残ってはいるんだけども。
何はともあれ助かって良かった~。命の恩人セオ様に大感謝!
彼は片手であたしの腰を支え、もう片方は剣を握り締めてトビウオかって具合に水上に躍り出て、出たと同時にあたしは本格的に覚醒してぷはあーって思いっ切り空気を吸ったのよね。刹那激しく咳き込んだけど……。
更にセオ様は持っていた剣を操って足場にしてそこから大きくひとっ跳び。見事華麗に岸に着地した。あたしはお腹が圧迫されて無様にぐええって一瞬白目を剥いたわ。
芝の上に下ろされて何度も咳込みながらも、あたしは腕に抱えたルウルウだけは放さなかった。
セオ様はとりあえず一番近くの岸に跳んだみたいで、他の皆はやや離れた場所から池に沿ってあたし達の所に向かってくる。
ようやくあたしの呼吸が落ち着いたのを見計らってか、セオ様がすぐ前に膝を突く。
あたしはぺたんと両脚を地面に着けてへたり込んでいたから目線をわざわざ合わせてくれたみたい。
「怪我はないか?」
「あ、はい。助けて頂きありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
本心から心底感激しつつ、反面では苦くもあった。
人の事を言えた義理じゃないけど服を着たまま夜の池になんて危ない以外の何物でもない。彼がこんな風に自らを危険に晒すなんて思わなかった。ワイバーンの時もほとんどを兵士達に任せていたのに。
あなたは国王なのよってついつい責めるように見つめていたら彼はスッと目を細めた。
「聖女アリエル」
「は、はいごめんなさい!」
魔物に甘い顔をするからだとか何とか怒られるのは目に見えていて、あたしは背筋を伸ばして殊勝な態度を心掛ける。でも怪我をして意識のないルウルウは放さない。
セオ様はルウルウに温度のない目を向けただけ。文句や小言を言ってくる様子はない。
だからこそ緊張する。顔色一つ変えないでサクッとこの子を排除しそうな気がするから。彼にはそれができるから。ギュッと抱きしめる腕に我知らず力が籠った。
前世でも珍しく夫を怒らせた時があって、しかもあたしが悪かったからこそお詫びに何でも一つ言う事をきくわって言ったら、怒りがポッキリ折れたように機嫌を直してめっちゃ甘えられたっけ。
あたしに甘い夫でもないセオ様にその手は使えないけど。
「ええっとその、改めましてこの度はご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございませんでした。全責任はあたしにあります!」
とにかく何か誠意をとあたしは正座をすると勢い良く頭を下げた。
正直まさかルウルウがこんな暴挙に出るなんて思わなかった。それでもあたしはこの子を突き放せない。
「もうそれを気にするのはやめろ」
台詞の割にはその声音は決して強くなくて、ふっと顔を上げて気付く。彼は怒っているわけじゃなさそうだった。
今更ながらに安堵を実感したような、そんな顔。
ええとどうしたの……? キョトンとしていたら、何を思ったか彼から頬に張り付いていた髪を耳に掛けられた。
え、何? みすぼらしく見えた?
「私には詫びに何でも一つ言う事をきいてくれたりはしないのか?」
「え、はい? えーっと……はい?」
「……そなたは妄想は得意なくせに、リアルは全然駄目だよな」
「え、あの、一体何の話でしょう?」
不服げなセオ様は「だから」とまるで焦れたように続けようとして、
「聖女様あああ~っ! よかったですご無事でえええ~っ!」
池からザバリと上がってきたイザークの叫びに遮られた。
「は、えっ、池で何して!?」
「ひっ酷いですよおおお~っ、どう見ても聖女様を助けに行ったって感じでしょおおおう!?」
泣きべそイザークはいつも以上の情けない顔付きになる。
「聖女様の所までとメイとモカに魔法で投げてもらったんですけど、目測を誤って見当違いの場所に落ちたんです」
「あ、へええ……」
二人に投げられ池ぼちゃしたイザークの図が難無く想像できた。セオ様もできたのかちょっと遠い目になった。
「ところで聖女様、そのちびドラゴンはどうしたんですか? ぐったりしていますけれど……ああっ、もしや美聖女パワーでお仕置きを?」
「してないわよそんな事っ」
イザークはあたしに一体どんな印象持っているのかしらね。竜族は魔物の中でも特に強いらしいけど今更ながらこの子の怪我が心配になった。確か背中から出血していたわよね。
そっと芝の上に下ろしてやってよく見れば、背中からの出血はほとんどもう止まっていたけど傷口は何かの刃物が刺さったみたいだった。
この子の鱗を貫ける刃物って……。
「私の剣だ」
彼の鋭く冷淡な声にあたしは何も言い返せない。酷いと思わないわけじゃない。だけどセオ様を責めるなんてできない。むしろ責められるべきは楽観的だったあたしだ。落ちたら痛いなんて自己保身のためにあたしがもたもたしていたから……。
忸怩たる思いに駆られていると、セオ様は「何はともあれ無事だったから良かったよ」って直前の言い方がキツかったのを詫びるみたいにあたしの頭を撫でた。
やっやだちょっといつになく優しいって言うか何コレあたし明日死ぬの!? ううん今すぐ心臓爆発して昇天しちゃいそうっ!
「それにしてもこいつは運がいい。思ったよりも鱗が硬かったせいで致命傷にはならなかったようだからな」
硬い? 血の気のないルウルウを見下ろしてあたしはその頬を触ってみる。ぷにぷにだわ。
「ドラゴンはそんなに硬いんですか?」
「当然だろう。金属や岩を触る感触がするはずだ」
「え、でもこの子は初めからずっとぷにぷにでしたよ? ドラゴン姿でもそこまで硬い感じはしませんでしたし」
「それはそなたが擦り傷や何かを作らないよう、表面を人間に優しい仕様にしていたからだろうな。連れ去ろうとするくらいに随分と気に入られているようだしな」
「えっあたしのために?」
そうだったのね。池じゃ聖女パワーで清められた水でダメージを受けていたようだし色々とごめんねルウルウ。
「全くそなたは……。勝手に間違った自責をするな。元はと言えばそいつが悪い」
セオ様は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
聖女が魔物を心配するなんて言語道断だものね。
この子は確かに暴挙に出た。でも、このままにはできない。治癒魔法は使えなくても安静にしてあげてこの子の回復力を見守るしかない。竜族は自己回復力が優れているって言うもの。現に池の水で負った肌表面の傷はもう薄くなって消えかかっている。
「あの、陛下」
「駄目だ」
「まだ何も言ってません。……ってデジャブ」
「養生させろと言うんだろう? むしろ黄金竜なんぞこの機に殺しておくべきだ。イザーク神父、聖女アリエルを捕まえておいてくれ」
「そんなっ! イザーク従ったらフルボッコよ!」
「ええええ板挟みいぃ~っ」
セオ様は端からイザークには期待していなかったのか、ルウルウのすぐ傍に立ち構えた。剣が青白い魔法の光を帯び始める。
「止めて下さい陛下っ」
「聖女様危ないですから!」
「なっ放して!」
イザークはあたふたしたものの、そもそも彼も職業柄魔物相手に情けは不要と疑問なく考える人間で、剣であたしが怪我をしないかだけを案じてあたしの動きを封じた。




