聖女の光、セオドアの光
(ドラゴンの本性は案の定だったな)
可愛らしく装っても魔物は所詮魔物。セオドアは強引にでも引き離すのだったと歯噛みする。加えて、いつもの自分なら魔物相手に猶予など設けずにさっさと始末していたはずだ。
そうしなかったのはアリエルが大丈夫だと懸命に言い張ったからだ。渋々主張を聞き入れ様子見をしていたがその結果がこれで、自らの甘さに彼は後悔を禁じ得ない。
そんなセオドアは池の縁で多々良を踏んだ。腹立たしくも黄金竜は池の上を悠然と飛んでいく。セオドアにほとんど間を置かず駆け付けた教会組にリンドバーグ、王宮兵達も皆池で足止めを食らって苦々しい様子になる。
(アリエルは池に飛び込むつもりでいるようだが、あの服装で泳いで岸までとか難しいだろうに、全くどうしていつもいつも無謀な策に突っ走るんだ。考え無しとまでは言わないが危機感が薄いと言わざるを得ない。自力で何とかしたい気持ちはわからなくもないが、こっちが助けに行くまで待っていられないのか?)
もどかしさを圧し殺し、尚且つアリエルの意思をリンドバーグ達に説明している暇もなかったセオドアは、素早く上着を脱いで上はシャツ一枚になると腰の鞘から剣を引き抜く。同時にもう剣魔法を開始したので長い剣身には仄かな青白い輝きが灯った。
黄金竜が遠く離れ過ぎる前に、墜とす。
意図するのは遠方の獲物を追跡し正確無比に剣を突き刺す攻撃魔法で、広場で最後のワイバーンを仕留める際にも使ったものだ。
剣先だけに攻撃範囲が限定された一見不便なこの剣魔法だが、最大の利点はその攻撃力にある。どんなに硬い鱗でも貫く威力を秘めている。たとえ竜族の中でも極めて強靭と言われる黄金竜の鱗だろうと例外はない。
黄金竜との初実戦なので実際果たして百パー貫けるかどうかは彼自身……百パー自信を持って可と断言する。セオドア・ヘンドリックスとは元来そのような男だ。
一撃では倒せなくても敵が動揺してアリエルから離れれば目的は達成だ。無事に彼女を取り戻したその後で敵を成敗するだけの話。
(あれを殺したらアリエルは怒るかもしれないがな)
嘆いて涙をこぼすかもしれない。
セオドアは我知らず剣を握る手に余計な力を入れていたが、すぐに投擲の動作へと移った。靴が食い込むくらいに地面を強く踏み込む。
アリエルが竜の頭上に移動していたのは好都合だった。狙いは頭ではないので彼女に当たる心配はない。狙うは竜の心臓。
「アリエル、必ず助ける」
豪腕投手もかくやに全体重をかけて勢いよく腕を振り切れば、一筋の青白い閃光となって剣が真っ直ぐ標的へと風を切る。
もう命中を確信しているが故に彼は投げた直後にはもう水上を走り出していた。無論水に浮く簡単な魔法を掛けている。攻撃魔法以外はあまり得意ではないセオドアだが、今は剣を振るいながらではないのでさして難儀しなかった。
一刻も早く近くに行かなければアリエルは池に飛び込んでしまう。距離があればそれだけ引き上げるのが遅れ彼女は溺れてしまうかもしれない。
夜の池を走りながらセオドアはらしくなく焦るのを感じていた。
とうとうアリエルが魔法を使い池に飛び込んだのが見え、更には剣が黄金竜の片翼を貫通して見事背の鱗をも砕いてその奥へと突き刺さった。
黄金竜から短い悲鳴が上がった。
しかし心臓なら即死のはずが到達はしなかったようでまだ生きて片方の翼だけで辛うじて飛んでいる。
とは言え片翼を損傷したので無様に地上に墜ちるのも時間の問題だ。池か王宮の庭のどこかかはわからないが、逃げようと必ず仕留めてやると一瞥をくれたセオドアだ。
次の瞬間にはもう黄金竜への意識を断った。尚も全力で水面を走るのは、アリエルが落水したまま水面に上がってくる様子がなかったためだ。
流れてくる彼女の心の声も溺れる云々とわあわあと焦っていてとても騒がしい。カオスな思考には意味不明なものも多々あったがいちいち訝っているわけにもいかない。
(案の定だ……!)
あのドレスで上手く泳げるわけがないのだ。彼は躊躇なく水上から水中へと身を投じていた。嫌な予感と言うよりはアリエルの思考からこんな展開もあろうかと予測し上着を脱いでいたのは正解だった。
(どこにいるアリエル!)
全力で泳ぎアリエルを捜すセオドアは、途中離れた前方に白い光を見つけた。聖女の光に違いない。
月明かりが照らしてくれているとは言え基本視界の暗い池の中で彼女自身が発光してくれたのは天の助けだった。
彼女の息が続くうちに一刻も早く傍に行かなければ、でなければ命に関わる。彼女は訓練の賜で長めの潜水にも耐え得るセオドアとは違うのだ。
聖女の白い光はどんどん沈んでいく。
彼はともすれば不安に揺らぎそうになる自身を叱咤して水を掻いた。
その時、黄金竜の大きな影までもが沈んでいくのが見えた。ただそれは人型を取ったのか小さくなりアリエルが抱きしめるのが見えた。
彼女はもうあの竜を大事と思っているのだ。
セオドアは胃や胸の辺りがとても不快になり奥歯を噛み締めた。初めてではない。今日幾度と生じた感情だ。
アリエルは彼の追えない深さまで遠ざかって行こうとしている。よりにもよってあのいけ好かない竜なんかと共に。
どんどん。どんどん。どんどん。
(彼女は沢山の者を救っているのに、こんな時に私は何もできないのか……?)
心に忍び寄って来たのは寒々しいような絶望だ。こんな風に強く無力を感じたのは初めてだった。王宮での後継者争いや魔物との戦闘で苦戦しても彼はこれまでそんなものを感じたためしはなかった。
(諦めて堪るか。私が行くまで持ちこたえろアリエル。頼むから死ぬな!)
白い光が弱まっていく。
聞こえる思考も途切れ途切れで、彼女の意識が薄れているのは明白だ。
目印がなく真っ暗になってしまえば、こんな闇の中では到底もう探せない。
(聖女失格レベルで呆れるくらいに煩悩まみれでも構わないから、聖女じゃなくても構わないから、だからっ、行かないでくれっ!)
小さくなる光に向けて手を伸ばす。
届かないとわかっていてもそうせずにはいられなかった。
セオドアにとって今も昔もアリエル・ベルはとてもおかしな娘だ。きっとその認識は生涯変わらないだろう。そもそも心の声が聞こえてくる相手を普通に思えるわけがない。
彼女はセオドアをいつも飢えたような変な目で見てくるし、不機嫌にしても素っ気なくしても他の娘達のようにそそくさと逃げ出さず興奮さえする独特な性癖の持ち主で、セオドアは何度辟易したかわからない。
ある意味彼女は、優秀な国王としての役割を求められる息の詰まる王宮に吹き込んだ王宮を掻き回す旋風だ。セオドアの暗く醜い陰惨な王宮人生が霞んでしまう強烈な光を勝手に降らせ捩じ込んできた猛者だ。
出された紅茶の最後の一滴までを飲み干すまで居座る根性を目の当たりにして、こいつつえーな、と国王としては乱暴な言葉遣いで思ったりもした事も一度や二度ではない。
アリエル・ベルは決して神々しい聖女様などではないとセオドアは知っている。
……セオドアだけが知っているのだ。
彼女の煩悩攻めに疲れた日々が懐かしい。正直最初の頃は逃げ出したかった。なのにもうその煩わしさに慣れて当たり前になってしまった。居なくなるなど最早想像もできない。彼女に煩わされないのはきっと物足りない。
彼女を失えない。
失いたくない。
(私にもっと魔法が使えたらっ……そうだ、剣の魔法だ)
黄金竜に刺さっていた剣が抜けたならば一緒に沈んだはずと彼は魔力で繋がる自らの剣を呼び寄せる。
程なく彼の剣は主の手元に水中を戻ってきた。
(これなら行ける)
彼は剣の柄を握る手に力を、そして魔法を込めた。
剣先に渦ができ推進力を生む。
勢いのままにアリエルに追い付いて、既にほとんど意識のない彼女へと応急で生きるための空気をシェアした。
(アリエル、生きてくれ!)
唇を離し、今度は細い腰に腕を回して全速力で浮上する。彼女の意識は半分戻るもまだ夢うつつにも似た状態のようだが、少しでも戻って良かったと安堵する。
この人命救助の口付けをアリエルは覚えていないだろう。だがそれでいいとセオドアは思う。
(覚えていられたら、正面から顔を見れる気がしないからな)




