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鼻血と聖女

 とろりとして独特の甘さのある小瓶の中身は万能回復薬だった。


「全く、毒だって? そなたは本当に私をどんな人間だと思っているんだ」

「ご、ごめんなさい」


 あたしは反省するサルみたいにセオ様の前に立っている。

 彼は国王限定で携帯を認められている貴重な薬を惜し気もなくあたしに使ってくれたの。それは昔の聖女作の治癒薬で、現存するのが十あるかないかの代物だった。大した怪我もなかったのに申し訳なさと感動がごちゃまぜだわ。

 俯いていたら視界にハンカチが差し出された。血を拭けって意味ね。お礼を言おうと顔を上げると、思いの外真剣な眼差しと出合う。


「アリエル、もう怪我なんてするなよ」

「あ、は……い」


 塩対応のいつもとはどこか違う感情の深みのある声音。しかもアリエルって呼んだ? たまたま聖女を付け忘れただけかもしれないけど、無意識にいい子の返事しちゃってたじゃないの。

 はあああっもうっ推しラブバーーーースト!!

 あたしは受け取ったハンカチを鼻に当てた。

 怪我は薬が効いてすっかりもう痛くない。

 だけど、何故だか効かなかったとこもある。

 イザークが切羽詰まった面持ちで両手で自身の頬を挟んだ。


「聖女様あああっ、鼻からの血だけが止まりませんよおおお~っ」

「……しばらくつまんでおくわ」


 嗚呼、いつかあたしの煩悩はあたしを殺すかもしれない。






 あたしは鼻血の処置もあって地面の出っ張りに座っている。鼻の穴に詰め物をしたあたしは聖女らしからぬ面白い事になっていて、兵士達は笑いたそうなのが半分、聖女イメージが崩れて複雑そうなのが半分。


「せいじょごめんな、ぼくのせいで」

「これはあなたのせいじゃないわ。だからそんな顔しないで」


 あたしの隣りにちょこんと座る黄金竜は眉尻を下げてしょげた子犬みたい。へへへ可愛いその顔をもっと泣きに歪ませてやろうか……ってやだやだ変な道に目覚めたらどうしてくれるのよもう。可愛いって罪ね。

 セオ様の方は見たいけど見ない見ない。どんな顔をしているか想像つくもの。


 皆にはこの子はあたしとセオ様の隠し子じゃないってのはわかってもらえた。


 でも魔物確定後は兵士の誰も好意的な目をしなかった。少しでも怪しい動きをすれば容赦しないって空気をビシバシ感じるわ。

 前世を思い出さないままだったなら、多分あたしも彼らと同じような態度を取っていたと思う。


「何度も言うけれど暴れるのは駄目よ?」

「うむ。せいじょがたのむからがまんする。ところで、あのおとこはセオドアというのか。セオドア……ヘンドリックス?」

「あら、知っているの? もしかして竜族ってその手の知識を持って生まれるの?」

「あるていどは。けどこれはぼくがぼくだからだ」

「ふうんそうなの」


 彼は少し大人びた風に微笑した。どうにもできない虚しさのようなものも薄ら重ねて。あたしはどうしたのって聞こうとして、だけど何となくやめた。

 そんなあたしの戸惑いを感じたのか彼はこっちを見つめて変な空気を払拭するかのように得意気に歯を見せて笑う。


「ふん、やはりセオドアか、あいつはぼくのあしもとにもおよばないおとこだ」

「こーらー彼の悪口は許しまへんで~」

「ふあわあわっ、ひぇいひょひゃへひょ~」


 このふくふくちゃんも魔物一般の例に漏れずアンチ人間みたいね。それでもあたしのお願いを聞いて攻撃しないでくれているのは幸いだわ。忍耐を要するのかぎゅっとあたしの服の裾を掴んでいて、可愛くてついついほっぺを撫で繰り回しちゃった。


「聖女様、血はほとんど止まりました」


 パニクっていたイザークを押し退けてテキパキと手当てをしてくれたメイからは、鼻の詰め物は念のためにまだしているよう言われた。


「ありがとうメイ。あたしのために待たせてごめんね?」

「いいえ滅相もございません。聖女様のコンディションを整えるのが最優先の使命ですから!」


 やや熱血傾向のあるメイは快活な笑みを浮かべると、ふとあたしの横の黄金竜をじっと凝視する。


「確かに魔物ですね。でしたらお二人の隠し子は今どちらに?」


 え。まだそれ引っ張るの?


「聖女とはそういう仲じゃない」


 やや離れて佇んでいた腕組みセオ様がさっくり否定した。さすがはヒロイン以外にはデレを見せない鉄壁ぶりだわ。彼の醸す大きな不機嫌のおかげでその話題はそこで終わった。


「せいじょ。ほんとうにもうどこもいたくないのか?」


 肩におぶさってきた黄金竜がふくふくした顔を後ろから覗かせる。同じくらいの人間の子供より明らかに軽いのは魔物の何か不思議能力なのかしらね。

 加えて、猫が擦り寄るのにも似た甘えん坊な部分は元夫を彷彿とさせる。彼はソファーでは必ず隣りに座って寄り掛かってくるような人で、掛け値無しに優しかった。


「もう大丈夫。心配してくれてありがとう」


 頭を撫で撫でしてあげたら「ぼくのせいだしな」なんて言いながら、嬉しそうにはにかんでより頭を寄せてくる。

 嗚呼、元夫って言うより慣れっこい孫の一人とこんな風に毎日仲良し甘甘なスキンシップをしていたのを思い出してほろり。

 まあ現在は別の方向で甘いスキンシップをしたい方がいますけどー?


 ちらっと愛しの推しメンを見やったら彼は何故かむすっとしてこっちを見ている。


 えっでも珍しい、見た瞬間にバッチリ目が合った。いつもほとんどあたしの視線圧を向こうが察知して渋々見てくるから合っていたのに。

 まままさか終にあたしの愛が通じたの……?

 その通りだったのか、彼が歩み寄ってくるなり顔を寄せてきた。

 ええっ、本当に!?


「そろそろ上に戻るぞ」


 額を軽く指先で押された。彼は単にあたしの煩悩を窘めただけだった。相変わらず素っ気ない推し様は兵士達に指示を出し始めたわ。


「……やっぱりあいついやなやつだな。なあせいじょ、ここからでるのか?」

「勿論そうよ」

「そうか!」


 黄金竜は目を輝かせた。

 いつから卵でいたのかは知らないけど、この空間から出られるのが心底嬉しいって表情が物語っている。

 何故か最近見ていた夢を思い出した。泣いていた金色。もしかしてあれはこの子を暗示していたのかもしれない。


「せいじょ、ドラゴンすがたにもどるからぼくのせなかにのれ! ひとっとびでちじょうまでおおきくぶちこわしてやる!」

「えっ!? 待って待って駄目! 皆と一緒に小規模に出るの、わかった?」


 地下から地上までぶち壊すとか、まさに本編の破壊竜道まっしぐらでしょ。


「だめなのか?」

「駄~目。あなたが悪者にされちゃうもの」

「べつにかまわないぞ。どうせてきだ」


 わー、ぶれない魔物発言。まあここを出たら人里から遠い遠い仲間の黄金竜の所に行くんだろうし過去は振り返らねえって感じなのかも。


「でもせいじょ、きみはちがうぞ。ぼくはきめたのだ。こっちではきみといっしょにいる。このせかいならきみがいい!」

「うん? よくわからないけどありがとう?」


 社交辞令的なものかしら。でもあたしへの好意はたぶん本物だと思う。懐かれて素直にうれしい。


「ねえ、そういえばあなたの名前は?」

「なまえ? ……いまはないぞ。ゴールデンドラゴンぞくにはないのだ」

「ならどうやってお互いを区別するの?」

「にんげんのきぞくみたいにじょれつがあって、それがなまえみたいなものだ」

「なら伯爵とか男爵って呼び合うの?」

「うむ。キングとクイーンもある。ふうふじゃないけどな」

「へえ、魔物サイドって面白い識別方法なのね」

「つよさがすべてだからな。けどたいはんのほかのしゅぞくはしきべつがひつようない、というかできない。あたまがわるいからな。いちりつによわいし」


 ああそっか、知能が低い魔物は本能のままに行動するから名前は必要ないのかも。広場に現れたワイバーンみたいに。


「ならあなたの事はどう呼べばいいの?」

「キング!」


 ふふっか~わいっ。王様ごっこ?

 でもそっか、先に思った通りこの子は男の子なのね。

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