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王宮地下のその下で

 見知らぬ娘が殻から落ちたのはわかっていたが、彼女の異変を察知したのは彼が卵から飛び出した直後だ。

 彼女が床で頭でも打ったのか動かないでいるのを悟れば、何か恐ろしい寒さで凍り付くような錯覚を覚えた。

 

 直前までは気にしない無視だとそう思っていたはずが、まじまじ見てしまう。

 気を失っただけで死んではいないようだとわかってホッとした。

 本能的に人間は憎いはずなのに、力なく倒れている姿に一瞬酷く動揺してしまったのは彼女が自分の解放者でもあるからだろうか。

 とにかく彼は渾身の力で体に引っ掛かっていた残りの殻を全て脱ぎ捨てた。


 顕現したのは黄金に光るボディ。


 気高き魔物の最上位種の一つ黄金竜(ゴールデンドラゴン)だ。


 全身の鱗は勿論、尾も翼も黄金色。魔物特有で目だけは赤い。

 既に姿形は成竜と同じだが、大きさは天と地程の差がある。象よりは格段に大きいがまだまだ子供竜の範疇で未熟のうち。

 他の生物同様に多くのエネルギーを摂取しなければろくな成長も見込めない。竜の能力は必ずしも大きさにはよらないがどうせなら大きい方がカッコいいと彼は思う。

 早く力を付けたい。弱いままではそれ以前にまた捕まってしまうかもしれないし、ワイバーン達のように討伐されてしまうかもしれない。

 残忍な人間に、聖なる力に。

 そうだ災厄の芽は早々に摘んでおく方がいい。そこに倒れているのはあの女と同じ力を持つ娘だ。今の自分なら一踏みすればイチコロだと彼は考える。


 古より、魔物にとっての憎き天敵――聖女。


 仲間のためにも後顧の憂いは断っておく方がいい。

 きっと聖女かそれに準じる存在なのだろう娘は動かない。手など剥き出しの肌には擦り傷ができていた。どうしてかツキリと胸が痛んだ。

 人間だった頃の理性が魔物としての暴虐性を抑えているおかげもあって慎重になりながらも彼女を案じ、純粋にこの世界の人間への好奇心もあって恐る恐る覗き込む。


(これが倒すべき人間の聖なる女……)


 とても目がチカチカした。

 この世界の人間はこんななのかと。


 こんな風にキラキラして宝石みたいに目を離せない存在なのかと。


 よりにもよって天敵が。


 踏みにじってやろうと思っていたのに、彼の脚はもう一ミリも上がらなかった。

 不思議な気持ちが込み上げてもっと近付いて顔を覗き込んでいた。触ったら起きるだろうか。起きたら驚くだろうか。ああそうだ驚く。この姿なら怖がられる。硬い鱗では卵にしてくれたような馴れ馴れしいすりすりだってしたくはないだろう。今更だが怪我は大丈夫なのだろうか。どうしよう、どうするべきか、どうしたらいい。


 どうやったらこの柔らかそうな彼女にもっと近付けるだろう?


 鋭い爪では繊細な白い皮膚を切り裂いてしまうから寸分足りとも触れられない。

 ならばこの際、姿だけでも真似てみようか。竜からすれば恐ろしくも軟弱な人間のそれに。


(……そうすれば少なくとも触ったっていいはずだ。もう爪は脅威にはならないのだし。けれど、この娘が受け入れてくれる姿とはどんなだろう……?)


 ふと、前世の妻がまだ小さかった孫を膝に抱っこしてとても幸せそうな顔をしていた姿を思い出した。

 洞窟の壁に伸びる大きな影が収縮していく。

 終には形が定まり、伸ばした小さな手でぺたりと聖女の頬を触った。今の指先には尖った爪はないから安心だ。ピンク色のまあるい小ぶりな爪があるだけだ。


 人間の子供のそれが。


 四、五歳程の姿にした。衣服がなかったので、とりあえず自分の卵の殻を適当にちぎって腰回りに巻いてみた。一応は前世の羞恥心が残っていたので局部を隠したのだ。

 因みに卵の殻はそれまでの効力を失ってただの切れ端同然だったので、残りは口から吐いた炎で燃やした。


(うむ、よし、これが無難なはず!)


 そうして彼は娘の頬をぺちぺちと叩き始める。


「だいじょうぶか?」


 人間の発音に慣れなくてたどたどしい言葉になってしまったが、もっと一杯喋る練習をすれば流暢になるはずだ。


「なあ」


 中々彼女は目覚めない。人間は竜の尾に当たっただけでも絶命する脆弱な生き物だ。彼女の怪我が死んでしまうものならどうしようと思い至れば自然声が細くなった。目を開けてほしい。起きてほしい。そう願って頬を叩く。

 聖女が終に身じろぎをした。


「う……ん……」

「おきたか!」

「――失せろ魔物!」


 喜んだのも束の間、近くの岩の上から飛び下り急激に接近してきた何者かからの剣撃を受けた。魔法と落下の勢いを利用しての攻撃に彼は瞬間的に本来の硬い鱗の本質に戻した腕を交差させ相手の剣を跳ね返す。

 キンッと甲高い音が薄暗い地下空間に上がった。


「弾いたか」

「けんをおとさなかったのはほめてやってもいい」


 そう言えば先程天井のどこかが崩れたような大きな音が聞こえていた。おそらくそこから入ってきたのだろう。


「だがしかし、おまえはれいぎをしらないとみえる」


 ゆっくりと憤りと牽制を兼ねて視線と首を動かした。

 血のように赤い瞳で睨み据える。

 相手はまだ若い男だった。

 赤い瞳に映るその男の容姿。


「おまえは――っ!?」

「何だ急に?」


 大きな驚きと同時に殺気立った。


 大嫌いな顔だった。前世では世界一。


 ――セオドア・ヘンドリックス。


 彼の妻はずっと心にセオドアを秘めていた。セオ様セオ様と口癖のように語った。目を輝かせて頬をほんのり染めて。

 愛する人を常に絶対に勝てない相手に盗られているような気持ちは生涯拭えなかった。愚かな嫉妬なのは自覚している。


 偶然にも容姿の似た男なのだろう。何しろセオドアは創作の中の登場人物だ。この世界が前世でのファンタジー世界と同類の世界でも、まさかセオドアは存在しないだろう。馬鹿げた考えで集中力を切らすなと自らにそう言い聞かせる。


 しかし目の前で怪訝にしているセオドア激似の男が本人だろうと別人だろうと、この分では嫌いになるだろう、いや既にそうだ。何しろ魔物だからと話し合いもせず傲慢にも先制攻撃を仕掛けてきた。


 殻越しの仲間の言葉を思い出す。


 この世界は人間だけのものでも魔物だけのものでもない。ただ、いつも先に領分を侵すのは人間の方だ、と。


(ふん、まさしくそうだな!)


「魔物め、彼女に何をした?」


 黒髪の男は剣の切っ先を突き出して憎々しげに睨んできた。

 その癖、娘の方には案じる以上の何かを孕んだ眼差しを向けた。どうしてそんな目で彼女を見るのか。何故か無性にムカムカした。


「……ぶれいだな、おまえ」


 容姿だけではなく気に食わない。

 排除すべきとそう決めて仕留めようと肌色素足の裏に力を入れた時、ふわりと抱き寄せられた。


「……?」


 花のような良い匂いに包まれる。あと擦過傷からの微かな血の臭いと。

 さらりとした銀の髪が視界で揺れる。


「きゃあわゆ~い~。こんな所でどうしたのボク~? 迷子お~? お姉さんと遊ぼっかあ~?」


 殺気は一瞬にして霧散した。何故か無礼な男の方のも。

 気付けば彼は意識を取り戻した娘から膝上に抱っこされていた。

 彼女のギラギラ……キラキラした明るい緑色の瞳と至近距離で目が合っている。彼女はとても嬉しそうににこりとして頭を撫で撫でしてきた。すりすりではないが温かい手の温もりが言い表せないくらいに心地良い。


「き、きみはせいじょ、なのか?」

「ええそうよ」


 予想通り。だが微笑む彼女を目の前にしていたらそんな事実などどうでもよくなった。本当は今までずーっと孤独に耐えていた。けれどもう耐えられない、こんな愛撫をされては本当にもう……。


「せいじょ、これからもずっとこうしていてほしいのだ」


 相手が天敵でもいい。


 この彼女なら、格別に。


 彼は自分の見開いた両目が潤むのを感じた。ぐしっと鼻を啜って彼女の胸に顔を埋める。


「怖かったの? ふふ、もう大丈夫だからね。あたしもセオ様もここにいるもの。この国最強の二人がよ?」


 だから安心してと優しい声が降ってくる。


(セオ様……だと? やはりこいつはセオドア・ヘンドリックス?)


 疑問だったが今は深く考えないようにした。彼女さえここにいればそれでいいと思った。

 と、ここで外野――まだ近くに立っていた黒髪の男からの声が聞こえた。


「守備範囲広……」


(守備範囲?)


 男はどこか途方に暮れた声で言って、直前の鬼気迫った様子からすれば奇妙にも、この上ないような青い顔で聖女を見つめていた。

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