変な卵にもふもふした日
どことも知れない闇の中、金色の光が目の前にいる。
大きなまっくろくろすけが金色になったらきっとこんな感じね。
その光は酷く傷付いていて、寂しい助けてもう心が痛いよって叫んでいる。
あたしは自分がどこにいてどうなっているのかの不安よりも、まずは慰めてあげたいって強く思った。
話しかけても光は反応しなかったけど、言葉が通じなくても何かは伝わると信じて掌でそっと撫でた。撫でるとは言っても光だからか実体がなくて、大体の形に沿ってみたって感じで。
拒絶はされなかった。でもまだ震えて泣いている。
どうしたら励ませる?
あたしはこんな時はどうされたっけ?
故郷の家族は温かくて、あたしが落ち込むとよく抱き締めてくれた。前世でだって同じ。
それでいいのかはわからない。だけど回せるだけ回した両腕で抱き締めてみた。慰めるだけはできるから、そうした。抵抗はされなかった。
「よしよし泣かないで。お姉さんが一緒にいてあげるから」
――はたと意識がハッキリ覚醒したのはこの時。
どのくらい気を失っていたのかはわからない。
わかるのは……体の下がふかふかとして柔らかいって事。
「良かった~、何か毛布とか布団の上に落ちたのね」
最初は手触りの良いそれの正体に全然想像も付かなかった。
だけど、どこかの開けた空間にいるのは認識できた。剥き出しの床や壁の岩石がぼんやりと発光し始めたから、その不思議な魔法のおかげでね。
あたしは呆然としつつも、うつ伏せになっていた何かから起き上がって視線を下ろす。
感触からわかっていたけど、もふもふした表面は手で押すとクッションみたいに一度沈んで後はゆっくりと戻った。まるで低反発仕様ね。
大きなそれはベッドみたいに平らじゃなくて緩やかに丸みを帯びている。まるで大きな熊さんのお腹みたい。
でも、お腹じゃなかった。
よく見なくても、それは巨大な卵だった。
「こっ、こっ、これはっっ」
皆大好き――トトロのお腹!
あたしが乗っかっているそれは絶対的に毛の生えた何かの卵だったけど、描く曲面とサイズともふもふ具合がまさに夢にまで見たそれだった。
ただ、元祖のお腹程は弾まなかったおかげで地面に転げ落ちなかったのは幸いね。
「ええと、ちょっとだけ、いいかしら……?」
誰もいなそうだしこれが魔物の卵なら親魔物がいつ現れるかもわからないけど、欲望を抑えられないあたしは思い切りバフッと全身で巨大毛卵に埋没した。
もふもふもふもふもふもふもふもふーーーーっっ!!
そうしてあたしは心行くまで卵の上を頬擦りして転がったのでした。
セオドアは、アリエルが閲覧許可を求めて宮殿にやってくるのを早々に把握していた。だからこそ最優先で許可証を用意してユージーンに託したのだ。
彼女と顔を合わせるつもりはなかった。会うのがどこか気まずかったのだ。
ただ、書類を受け取った彼女がすんなりと宮殿を後にしたのは些か意外だった。妄想は変わらず激しかったので、ともすれば謝意を表したいとかの強引な理由で顔を見にくるかもしれないと半分くらい思っていたからだ。
こんな日もあるかと後は平和に執務室で過ごしていたそんな彼の所に意外な相手――司書長ノートンが大至急の謁見を求めてきたのは、図書館が閉館して間もない時分だ。
珍しくもノートン自らが大至急などと、きっと看過できない何事かが図書館で起きたのだ。
しかもよりにもよって第二級書物をアリエルに閲覧する許可を与えて半日も経たずに。
(聖女が何かやらかして、それでもう入館禁止にしろとの直談判か?)
半ば本気でそう考えつつノートンを執務室まで通すよう命じた。
セオドアは、アリエルが図書館に向かったきっかけは自らの能力向上という健全な目的のためだったと知っている。
リンドバーグからそう報告を受けていた。
聖女としての使命感を持ち、三日の昏倒と三日の養生の翌日にはもう誰かのためにと積極的な行動に出た彼女に感心や誇らしささえ感じたセオドアは、更には広場に出たワイバーンの一件で、その原因を彼女が詳しく調べようとしているとの報告も受け感動さえした。
煩悩云々にさえ目を瞑れば、中々どうして素晴らしい聖女だと評価したい。
しかしまだ見ぬ状況は評価を真逆にするかもしれない。
ユージーンの案内で執務室に入ってきたノートンは、まずは国王への敬意を表して礼を取った。
顔を上げすぐにでも発言したそうにしたが、律儀にも身分の下の者が国王の許しもなく発言するのを気にしてか、両手を体の前に重ねて立ちながら促されるのを黙して待っている。
話すように促すと、途端彼は誰と競うわけでもないのだが急いたように口を開いた。
「陛下大変にございます! 聖女様が、聖女様がっ、消えてしまわれました!」
セオドアはあたかも埒外の言語を聞いたように思わず眉を怪訝に動かした。
「消えた……?」
「はい。重大時故にまだ内々にと判断し、聖女様の護衛お三方とリンドバーグ卿にしか知らせてはおりません。彼らはもうそれぞれに捜索を開始しております」
「聖女はまた勝手にお忍び歩きに出掛けたのか。しかしよくもまあ警備の厳重な王宮を抜け出せたものだよ」
「お忍び歩き……? いっいいえいいえそうではございません! 聖女様は王宮図書館で失踪なさったのです! まさに私めの目の前で!」
「……何?」
セオドアはてっきり巧みに王宮からも脱走したのだと思っていただけに、図書館そしてノートンの目の前で消えたとなれば話は違ってくる。
「誰かに連れ去られたのか?」
「少なくとも私めと聖女様以外にはあの場にはおりませんでした。陛下もご存知のように図書館の警備上侵入者がいた可能性は低いかと。人ではなく未知の魔法陣が突然現れどこかへと消えてしまわれたのです!」
側近のユージーンが「魔法陣ですって!?」と驚いて小さく叫ぶ。
「王宮図書館に未知の魔法陣があったと言うのか? その手のものは仕掛けられればすぐにわかるはずだが」
警備上、王宮敷地内のあらゆる場所は規定とは関係のない魔法干渉を厳しく制限、管理されている。そこを蔑ろにすれば反逆心を抱く者に付け入る隙を与えかねない。例えばテレポート魔法を悪用されれば容易に敵に攻め込まれるだろう。
「探知魔法でも露見しない高度な魔法陣だと仮定していいだろうな」
「何者かが聖女様を狙ったのでしょうか。ただ現場は地下二階でしたので、そこまで聖女様がいらっしゃるのは予見できないかとは思うのですが」
「それはまだ何とも言えないだろうな」
セオドアは執務椅子から腰を上げる。
「事は急を要する。ユージーンは図書館前に警備兵を集めておいてくれ」
「まさか先にお一人で向かわれるおつもりで?」
ユージーンは少し咎めるようにする。当然だ。何があるかわからない。聖女を囮にして実は巧みにセオドアを狙ったものかもしれないのだ。
セオドアの国王即位における王宮のやや強引な掌握には水面下での反発が皆無ではなかったせいだ。黙らせた悪徳貴族は少なくない。
「ユージーン、頼んだからな」
しれっとしたセオドアからの念押しにユージーンは深く溜息をつくとわかりましたと請け合った。返事の直後にはもうノートンを連れて足早に執務室を出た主君を、ユージーンは少し苦笑を浮かべて見送ってしまう。
「いざという時にはこうも行動が迅速なんですからねえ。素直じゃないなあ」
そう呟くと、ユージーンは彼も急ぎ足で執務室を出て行った。