王宮図書館
結局あたしの王宮図書館行きが叶ったのは三日後だった。
モカ、メイ、イザークの三人がまだ駄目ってあたしをベッドから出してくれなかったのよね。実際昨日までは疲労のせいか微熱があったから。
これがセオ様からのまだ起きるなって甘い引き留めなら喜んで従うのに。
そのセオ様とは目覚めて以来顔を合わせていない。
もう平気だなと思われて放置されているのは明白だった。折角近くにいるのに三日も会えないのは長いわ。
まあでもやっと過保護看護から解放されたから顔を見に行っちゃおうかしら。
大事を取ってと朝食まではベッドで食べさせられたあたしは、食後一人なのもあってごろんと横になってぼんやりと窓の外を眺めた。
「はー、聖女の治癒能力が聖女自身には効かないのが恨めしいわ。作者ったらどうしてこんな不便な設定にしたのよ」
まだ本編開始前だし、設定に大きな影響はないからか推しに迷惑をかけたりと結構好き勝手できるみたいだけど、聖女能力みたいに動かせない部分もある。
でも、いくら設定でもあたしは闇落ち聖女にはならないぞって決意はしかとある。
大体ね、もうセオ様沼にどっぷり落ちて浸かっているし、これ以上どこに落ちろって言うのよね。
「設定と言えば、王宮図書館って作中で何かあったような……?」
思い出しかけたところでノック音がして、メイとモカが着替えを運んできてくれた。
普段は聖女のための特別デザインの神々しい法衣を着ているんだけど、今日からの普段着は法衣半分ドレス半分って女の子らしいデザインの服だった。療養中は可愛くもない寝間着だったからテンション上がるわ。
それもあって先の思考はどこかに霧散しちゃった。
その後、法衣ドレスにウキウキ気分で足取りも軽いあたしは、警護兵の案内でモカ達三人と王宮図書館へと赴いた。
王宮図書館は一言で言うと、デカッ、だった。
あたしは芝生の中に堂々と佇む荘厳な建築物の前でほわああ~っと大興奮。一見するとヨーロッパの有名博物館みたいなんだもの。宮殿一つ取っても素晴らしく豪華なんだし図書館一つにだって抜かりなし。
昔の王様達が建てさせたものだけど、改めて権力ってものを考えちゃうわ。
作中で出てくるここはヒロイン達が必要あって本を読むシーンが少し描かれる程度だから、実物を前に目新しさしかない。
王宮の一画を占め雨の日でも濡れずに行けるようにと渡り廊下で他の建物と軒だけは繋がっているけど、独立した建物と言っていい。
奥行きがあり、入口から一番奥の書棚が見えるものの本の一冊一冊は見分けられないくらいに遠い。
各階が高く取られた二階建ての図書館のアーチ天井は所々明かり取りのためにガラス張りになっていて、壁にも大きな窓が並んでいるから室内は想像以上に爽やかに明るい。とは言え直射日光は本を傷めるからか日の射し込む場所には書棚は置かれていなかった。
入口から最奥までは吹き抜けの太い一本通路が通っていて、その両脇に数え切れない書棚が林立して横方向に伸びている。書棚の置き方は二階部分でも同じみたい。
教会の書庫も結構なものだったけど、ここはその比じゃない。教会に置ける図書には制約があるからなんだろうけど、それにしても所蔵数は十倍か二十倍か、ううんそれ以上はあるんじゃない?
因みに閲覧席は中央通路真ん中に一直線と、二階席は手摺に沿ってズラリと机と椅子が並んでいる。
これはお目当ての本を探すのがとても大変そう……なーんて思うかもしれない。ふふふ、だけどここには有能な図書館職員――司書達がいるからご安心めされ!
本編でもヒロインが本を探す手助けをしていた彼らはあたし達の姿を認めると早速と近付いてきた。
高い書棚へも台や梯子で上るからだろう、動きやすいように男女問わずパンツルックだし基本エプロンをしているからすぐに司書だってわかる。
彼らとは反対にここまで案内してくれた警護兵は入口で待機しますって恭しく一礼をして離れていく。
警護が一人なのは決して手抜きしているわけじゃなく、基本王宮は警備が強固だから一人で十分ってわけ。それ以前にあたしにはモカ達もいるしね。
「あ、リンドバーグ卿、時間が掛かるでしょうから通常の仕事に戻って下さい。ここを出る際には改めて誰かを呼びますから」
「そういうわけには参りません。陛下から直々に聖女様の警護と案内を仰せ遣っております故、どうぞこちらの事は気にせずごゆるりと読書をなさって下さい。何時間でも!」
実直そうな三十路手前の兵士リンドバーグは少し微笑んでから扉の横に立ちピンと背筋を伸ばすと、きっちり正面を向いて顔付きを仕事モードの締まったものにした。あれは説得しても動かないタイプね。
生真面目なリンドバーグをモカが甚く感心したようにして見つめる。……乙女な眼差しで。
刈り上げた茶色い髪と茶色い瞳の男らしい顔付きのリンドバーグは逞しいの一言に尽きる。モカは彼みたいな男性が好みなのかあ~。この国じゃ聖女と違って聖職者の結婚前提の恋愛は自由だし、頑張れモカ!
「来訪の旨は聞き及んでおりました。ようこそ聖女様方。どうぞ心置きなく書物と戯れていって下さいませ。私めは館長兼司書長を務めさせて頂いておりますノートンと申します」
傍まで来て足を止めた白髪で年配の男性司書ノートンが相好を崩す。
書物と戯れるってちょっと変わった独特の言い回しは、それだけ本をこよなく愛する人の証なのかもしれない。
「本日は宜しくお願いします、ノートン卿」
「どうかノートン、とお呼び下さい」
「わかりました、ノートン」
あたしは聖女スマイル全開で一歩を進み出て握手を求めた。
彼は意外そうに青灰色の目を丸くしたけど、少し照れたように握手を返してくれた。きっとここを訪れる貴族のほとんどが握手なんて求めないに違いない。
「あの、実は調べ物があって来たのですが、本を探すのを手伝って頂けませんか?」
「勿論ですとも。聖女様のおんために我々図書館職員一同、心より尽力させて頂きます故、何なりとお申し付け下され。ここでは調べられないものはないとまで言われておりますから、ご期待に添えるかと」
「ありがとう。あと、調べ物とは別に沢山読みたいと思っているので図書館の案内も頼みますね」
「それは光栄です。とは言えこの広さと通路の多さなので歩きますが」
「ふふっ甘い物は別腹と言うのと同じで、読書のための体力は別体力です。ですから張り切って行きましょう。確かここは……地上二階地下三階まであるのでしたよね?」
設定ではそうなっていたはず。地上階は誰でも閲覧可、地下階は許可を取らないと読めない希少本や珍書が所蔵されているんだっけ。
「ふむむ地下三階ですか? あのぅ聖女様、地下は二階部分までとなっておりますが」
「へ? そうなの?」
思わず素で返しちゃって慌てて咳払いで誤魔化した。
でも、あれえー、地下三階じゃなかったっけ?
司書長がそう言うんだしあたしの記憶違いかも。まあ何にせよ有意義な時間を過ごせそう。
そんなわけで、まずは聖女能力アップについてが書かれていそうな本を司書達に探してもらっている間に、あたしは司書長に連れられて内部をぐるりと歩いて回った。
午前中のせいか、中にいるのはパッと見職員と学者か学生だろう人がちらほらいただけ。王宮を訪れた誰でも自由に入館できるからもっと人がいるかと思っていたのになあ。まあ貴族は朝が遅いって言うし、人が増えても午後からかもしれない。
地上部分をさらりと一回りするのだけでも思った以上の時間が掛かっちゃったけど、興味のあるジャンルがどの辺りにあるのかを把握できたから良かった。
地下はやっぱり二階までしかなかった。
地下階は地上階より面積は大幅に小さくなっていて、所蔵数も上の一割くらいなんだって。
大まかなジャンル毎に分けられた閲覧室は鍵付きの部屋になっているから、あたしは部屋前の通路を通っただけ。
石の床や壁でできた地下階は足音がよく響いた。地下二階なんてより音が冴えた。
奇妙なまでの静寂の中をノートンの手短な説明と共に進みながら観察したけど、どこを見ても地下三階に下りる階段も通路も見当たらなかったから本当にあたしの記憶違いだったみたい。