第5章 第25話 遺言 前編
〇神無
2019年 4月4日(木) 16:47
「主水さんっ! 主水さんっ! 主水さんっ!」
階段の踊り場でリルさんが悲痛な叫びを上げる。だが傍らで倒れている大矢主水の首や脚はありえない方向に曲がっており、呼びかけたところで意味がある行為だとは思えなかった。
「ちがっ……わ、た……そんな……つもりじゃ……!」
かんなの隣で、黄冬瑠璃がへなへなと尻もちをついた。大矢主水がああなったのもこの子がここから突き飛ばしたからだが、だからといって罪に値するかは怪しいところだ。
なんせ黄冬瑠璃があんな凶行に走ったのも、かんなの刷り込みによる結果。でも「ほしいならどんな手を使ってでも手に入れるべき」くらいしか言っていないのに、ここまでのことをするとは思わなかった。
「よくぞやってくれましたわ。お礼に記憶を消してさしあげましょう」
実体化したハロウちゃんが黄冬瑠璃の額に触れると、一瞬の内に彼女は眠ってしまった。人目がなく、監視カメラもない部室棟の階段では本人の認識を変えるだけで万事解決だ。
まぁ色々あったけどかんな的にはオールオッケー。そしてハロウちゃん的にも最高の結果と言えるだろう。なんせ、
「大矢様を生き返らせてほしいですか?」
これでリルさんを楽に殺せるようになった。
「ご察知の通り、これは神無様の行動による結果。神無様に干渉できないあなたでは、大矢様を生き返らせることはできませんわ」
再び天使化したのだろう。ハロウちゃんが足音を立てずに階段を下りていく。
「そこでわたくしから慈悲の提案をしてさしあげましょう」
涙を流しながらも、強い瞳をしているリルさんの胸に触れ、ハロウちゃんは言う。
「今から1分間。なんにも抵抗しないでくださいまし。それだけでわたくしが大矢様を生き返らせてさしあげますわ」
その提案はとても魅力的なようで。
死の宣告に他ならなかった。
「もちろん嫌なら構いませんわ。あなたに本気で逃げられたらわたくしじゃ追えませんし、別の人間を観察……」
「お願いしますっ! 主水さんを助けてあげてくださいっ!」
ハロウちゃんが言うには、天使からすれば人間なんてその辺の虫と変わらないらしい。かんなだって思う。人間1人と、天使1人の命は釣り合わない。
それでもリルさんは一つも迷うことなく、自分の命を犠牲にして大矢主水を救う選択をした。
「それは残念ですわ。まぁ安心してくださいまし。殺す気はありませんわ。たった1分であなたを殺せるはずありませんもの。なので……神無様、例のあれを」
ハロウちゃんに呼ばれ、かんなは上着のポケットにしまっておいた貰い物を取り出しながら階段を下りる。
それはいたって普通の粘土に見える。手のひらに収まるほどの大きさの、どこにでも売っている普通の粘土。
それなのにリルさんは、かんなでもわかるほどの動揺を見せた。
「それ……それ、だけは……!」
「あら。ならいいんですのよ。約束を破棄されても」
「ぁ……あぁ……」
まるで死刑執行を当日に告げられた死刑囚のように、リルさんはへなへなと尻もちをつき、おかしな方向に向いてしまっている大矢主水の手を両手で握りしめた。
「これ何がそんなに……」
「説明していませんでしたか。それは『シールソイル』。簡単に言えば地獄の土ですわ」
地獄の……土……?
「人間の認識がどうかは知りませんが、天国と地獄って割と仲いいんですのよ。同業他社みたいなものですわね」
同業他社って……。ずいぶん陳腐な言い回しだ。
「だからもらってるんですのよ。罪を犯した天使への罰……人間でいう禁錮に相当する刑を執行するための道具を」
「まぁ天国の法律的に咎人はそうそう生まれませんし、滅多に使用しませんが」とハロウちゃんは言い、笑う。
「天使にとって、人間界の土ですら毒。それがさらに底、地獄の土となれば苦痛は比ではありませんわ」
つまりその毒を、リルちゃんに与えようということか。
「少し違いますわね」
かんなの思考を読んだハロウちゃんは、さらに笑みを深める。
「この土は、天使に触れると広がり、包む。そして固まり、閉じ込めることができるんですわ。毒を与えるというより、決して死なないよう施されて宇宙空間に放り出されるようなもの。わたくしも一度その様子を見たことがありますが……どんな罪人でもこんな刑を与えるなんてかわいそう、と思いましたわ」
そんな恐ろしいものを、使おうとしているのか。ハロウちゃんは。
そしてリルさんは、その文字通り地獄の責め苦を受けようとしている。
「たすけて……。たすけて、主水さん……」
既に事切れてしまった大矢主水の腕に、宝石よりも綺麗な涙がいくつも零れた。
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