月並みな子供たち -桜井音羽の場合-【弐】
「よおし、じゃあ順番に名前を言ってみて」
「こいぬま おのえ!」「はりもと れみ!」「ののくら みその!」「ばば くにお!」「きりとう いとよ!」「だいわ よう!」「れんじょう のん!」「かきたに ののか!」「みなみした つくよ!」「……桜井音羽」
よし、無理だ。
早々に諦めて、質問を変える。
「じゃあ、年はいくつ?」
「ごさい!」「よんさい!」「ろくさい!」「ごさい!」「よんさい!」「ごさい!」「よんさい!」「ごさい!」「ろくさい!」「……八歳」
なるほど、おおむね同じ年ということか。
一番小さい子で小学校入学前。一番大きい子で小学校三年生。
いずれにしても、かなり幼い。何が起こっているのか、正しく理解できていないだろう。
意識を取り戻してまず初めに襟草がしたことは、子供たちからナイフを取り上げることだった。
体に残った傷跡の深さから考えて、子供たちの腕力では到底たどり着かないところまで傷が達していることに襟草は気付いた。
つまりこの子たちは、襟草を傷つけてはいない。
ただ、死んだ襟草と同じ空間に入れられて、ナイフを渡されただけだ。
これらのことが意味するところはただ一つ。
襟草を殺した犯人は、子供たちに罪を被せようとしたのだ。
まだ年端も行かない子供たちに。
「いくらなんでも、ちょっと悪趣味すぎるんじゃない?」
壁にこびりついた液体に指を這わせ、確認する。
血だと思っていた液体は、赤いペンキだった。
子供たちは赤いペンキ缶を使って、好き勝手に壁中に色を塗っていたというわけだ。
『この部屋でなら何をしてもいいよ。ゲームもおもちゃもお菓子もある。お絵描きが好きな子は好きなところに好きなだけ描けばいい』
子供たちの話を統合すると、およそこのようなことを言われたらしかった。
こうして襟草が目覚めるまで、子供たちが泣いたりわめいたりしていなかったのも、この辺りに原因がある。
要するに、楽しかったのだ。
そしてこれまでうんともすんとも言わなかった大人が一人起きて、遊び相手が増えた。
子供たちの認識は、その程度の物だろう。
残る問題は、親元を離れて不安ではないのかというところだが……
「怖くないよ! お留守番くらい、一人でできるもん!」
みな、口々にそう言った。
両親が忙しく、一人で遊ぶことに慣れている。そういう子供を集中的に狙ったらしい。
同い年の友達がいる分、この空間の方が楽しかった可能性すらある。
随分と周到で狡猾で、そして手の込んだ犯罪だ。
今すぐにでも外に抜け出して、子供たちを安全なところに運びたい。
だが、そういうわけにはいかなかった。
「……ほんと、手が込んでるよなあ」
窓の外を眺める。
巨大な暗闇が広がっていた。
いや、よく目を凝らせば、ちらちらと揺れる何かが見える。
波だ。
そのうねりに合わせ、部屋の中が不定期に揺れている。
そう、ここは船の中なのだ。
正確には、沖合に釣りに出る際に使われるような、中に小さな部屋のついた小型船だった。
既に、この船に子供たちと襟草以外の人間がいないことは確認済みだ。
そしておそらく燃料もない。あったとしても、船舶免許のない襟草には、到底動かすことなどできないが。
さらには無線の類も動く気配はなく、スマートフォンも見当たらない。
役満だった。
何の連絡手段もない海の上。
完全に孤島と化した船の中で、襟草と子供たちは取り残されていた。
「ねえねえお兄ちゃん」
「ん、どうしたの?」
「おなかすいたー」
襟草は少年の頭を一つ撫で、「ちょっと待っててね」と笑顔を向けた。
キッチンの棚を開ける。
いくらかの食料は入っているが、この人数では三日と保たないことは容易に想像できた。
「じゃあ、カレーでも食べようか」
「かれー! かれー大好き!」
少年は無邪気に喜んで、その喜びは子供たちの間に伝播した。
襟草はコンロに火をかけて、レトルトカレーを温め始めた。
今はまだ、数に余裕がある。だが、このままいけば……。
しばらくしてカレーが完成すると、良い匂いに釣られて子供たちが集まり始めた。
楽しさにかまけて忘れていた空腹を、思い出したみたいだった。
両手についたペンキを洗わせ、簡易の卓上テーブルの上にカレーを並べた。
海上では、水の量も限られている。節約しないとな。
「おいしー!」「んまー!」「お兄さんお料理上手―!」
「ただ温めただけだよ。レトルトだからね」
「れとるとってなあに?」
「とっても簡単に作れる料理ってことだよ」
少年はふうん? と小首をかしげ、またカレーをむしゃむしゃと食べた。
ふと目をあげると、あまり食が進んでいない女の子がいることに気付いた。
周りの子供たちからは少し距離を置いて、義務のようにスプーンを運んでいる。
「お腹、空いてないの?」
「別に……」
「じゃあ、カレーが嫌いだった?」
「別に……」
会話はあまり、弾まなかった。
よくよく思い返してみれば、この打って響かない感じには覚えがあった。
最初に名前を聞いた時、やけに物静かに名乗った女の子。
確か名前は……桜井音羽、だったかな。
「音羽ちゃん、だっけ?」
「……気安く呼ばないで」
これは手厳しい。
よくよく見てみれば、他の子よりもほんの少し年上のようだ。
あまり他人に干渉されたくない。そういう年頃なのかもしれない。
「…………の……せに」
「……?」
少女は何かをつぶやいたようだったけれど、襟草は深く追求せずにその場を立った。
彼女のことは、もう少しだけ様子を見よう。
「ねえねえおにーちゃん、お代わりはー?」
席に戻ると、一人の少年が言った。
口周りにべっとりついたカレーをティッシュでふき取りながら、襟草は答える。
「ごめんね、今日の分はこれでおしまいなんだ」
「えー、もっと食べたいよぉ」
「また明日、何か作ってあげるから。それまで我慢してね」
「やだやだぁ、お腹すいたよぉ」
少年が不満そうに駄々をこねる。
子供とはいえ、食べ盛りの子もいるらしい。量の配分を間違ったかもしれない。
明日はもう少し作る量を増やして――
「……ちょっとごめんね」
襟草は少年の顎と首にそっと手を添え、のぞき込むようにして近づいた。
「うぉっ!? ちょ、おにーちゃん、急になんだよー!」
「……一つ、聞きたいんだけど」
「な、なに?」
「この船に乗る前、誰かに首を触られなかった?」
「くび?」
「うん。この辺り」
「うひゃひゃひゃ! く、くすぐったいよぉ!」
首は敏感らしい。
けたけたと笑う少年とは別の子が、隣から声を挟んだ。
「ボク、さわられたよー」
「そうなんだ。痛かった?」
「んーん。なんかねー、ちょっぴり冷たかった」
「そうなんだ。ちょっとだけ、見せてもらってもいい?」
「いいよー」
襟草は少年の首を見た。眉間にしわが寄る。
「……君の名前、なんだったっけ?」
「う? だいわ れい、だよ?」
「だいわ、れい君」
「どうかしたの?」
「……なんでもないよ。ほら、冷める前に食べないと。ご飯はあったかいうちが美味しいんだからさ」
そう言って子供たちの注意をそらし、襟草はそっと席を立った。
そして船室に備え付けられていたメモ帳とペンを手に取ると、子供たちの背後に回り、名前を聞きながらメモを取った。
やがて全員分のメモを取り終えると、鏡で自分の首を確認し、子供たちから少し離れたところに腰を下ろした。
子供たちの首には、ある共通した「ハンコ」が押されていた。
それは――数字。
黒い墨のようなもので押されたそれは、1から10までの数字を、被りなく、すべての子供に割り振られていた。
話を聞く限り、犯人が子供たちに付けたもので間違いないだろう。
そして自分の首には付けられていない。
数と名前の一覧は、以下のようになった
1=こいぬま おのえ
3=はりもと れみ
6=ののくら みその
8=ばば くにお
9=きりとう いとよ
10=だいわ よう
2=れんじょう のん
4=かきたに ののか
5=みなみした つくよ
7=さくらい おとは
少しの間、番号と名前の関連性を考える。
誘拐された順番か? あるいはこの後、何らかの実験を施す予定があって、そのための番号を割り振っているのだろうか。あるいは――
「……はは」
やがて一つの法則性に気付いた襟草は、思わず笑った。
「なんだよこれ……」
深く考える必要なんてなかった。
ともすれば小学生でも分かるような、実に簡単な暗号。
暗号とも言えないような、遊び。
まず、割り振られた数の通りに子供たちの名前を並べる。
1=こいぬま おのえ
2=れんじょう のん
3=はりもと れみ
4=かきたに ののか
5=みなみした つくよ
6=ののくら みその
7=さくらい おとは
8=ばば くにお
9=きりとう いとよ
10=だいわ よう
そして、苗字と名前の頭文字を取り、並べる。
ただそれだけだ。
「つくづく……ふざけてるよなあ……」
襟草は浮かび上がった文章を眺め、苦々しくつぶやいた。
【これはかみのさばきだ おのれのつみおくいよ】
適切に直すと、おそらくこうだ。
【これは神の裁きだ 己の罪を悔いよ】
「誰に向かって言ってんだか……」
襟草はそっと、ため息をついた。