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月並みな子供たち -桜井音羽の場合-【壱】


「や、やめてくれ。もうこれ以上は……」

「ふっふっふ。馬鹿なやつめ。ワナだとも知らず、我々のアジトに乗り込んでくるとは」

「許して下さい、僕が悪かったんです。なんでもします。なんでもしますから、どうか命だけは――」

「ごめんで済んだら警察はいらんのじゃー! くらえ、コッペパンメテオスマーッシュ!!」

「ぐわぁああああああ!」


 ばたり。

 畳の上に倒れ込む。

 次いで、ずんと背中に可愛らしい重みが加わった。

 襟草はイグサの匂いをかぎながら、背中越しに問いかけた。


「監督、今の演技は何点ですか?」

「んー」


 背中にまたがった少女は、腕を組んで少し考えると、やがて両手をパーにして前に突き出した。


「……十点?」

「んーん、五十五点」

「しびれるくらい辛い採点だね」


 今の演技も辛口監督のお気に召さなかったらしい。

 小さい子は感受性も豊かだからな。上っ面だけの演技はすぐにバレてしまうんだろう。

 

「襟草ちゃんの演技はなんだか冷たいの。もっとジョウカンを込めてジョーネツテキに演じてくれなきゃ」

「勉強になります」

「いーい? 次は私がやってみせるから、襟草ちゃんは敵のボス役を――」

「こらしずくっ! 何やってるの!」


 ひょいっと背中の重みがなくなった。

 振り返ると、木下カエデが娘の雫を抱え上げたところだった。


「すみません襟草さん、うちの子が失礼な真似を……」

「いえいえ、気にしないでください。僕も楽しんでましたから」

「そーだよお母さん。今、襟草ちゃんに演技シドーしてたんだから」

「襟草ちゃんじゃなくて『お兄さん』でしょ?」

「もうすぐ『お父さん』になるかもしれないのに?」

「もう、変なこと言わないの……」


 羞恥に頬を染めたカエデの腕の中からサッと抜け出し、雫は襟草の膝の上に収まった。

 そして、襟草の耳元に口を近づけて、


「お母さん、襟草ちゃんにハの字なんだよ。もうちょっとで落とせるから頑張ってね」


 それを言うならホの字だろう。

 あと、絶妙に言葉のチョイスが古臭いのはなんでなんだ。

 ふと下を見ると、タブレット端末を開いて少女漫画を読み出していた。

 なるほど、そういう言葉を使いたいお年頃なのだなと、襟草は納得した。


「すみません、お忙しい中来てもらったのに雫の相手をしてもらって。この子ったら、襟草さんのことが大好きみたいで。毎日毎日、襟草さんに会いたい会いたいって――」

「そういうタテマエ(・・・・)があった方が、お母さんも喜ぶかなって思って」

「……雫?」

「なんでもないよーだ」


 ませた発言に苦笑しつつ、襟草は言う。


「僕もあの後のことが気になってたので。こうして呼んでいただけて、嬉しいです」


 襟草が捕らわれ、カエデが脅迫された事件は、まだ記憶に新しい。

 気を失っていたカエデが目を覚ました時には、既に襟草の手によって雫は助け出されており、何事もなかったかのように平穏な日常が戻ってきた。


 あれから一か月。

 襟草は万が一のことを考えて、今日のように木下家に足繫く通っていたのだが――


「あれから何か、変わったことはありませんか?」

「いえ、まったく。この子も、あの時のことはほとんど覚えていないみたいで」

「それは良かったです」


 見知らぬ大人に誘拐され、半日以上監禁されていたなんて、下手をすればトラウマになりかねない。幸いなことに雫はぐっすりと眠らされていて、事件のことは記憶にないようだった。


 もう、大丈夫かなと、襟草は内心胸をなでおろした。

 これだけ時間が経てば、木下親子は安泰だろう。


「あ、襟草さん、指が……」

「ん? ああ、切れちゃってますね」


 さっき雫と遊んでいた時にどこかに擦ったらしい。

 人差し指から、じんわりと血が出ていた。


「大変……ちょっと待っていてくださいね。すぐに絆創膏を持ってきますから」

「これくらいなら、舐めれば治りますよ」

「ダメですよ。ばい菌が入ったりしたら事ですから」


 カエデはパタパタと駆けて行ったかと思うと、絆創膏と消毒液をもって戻ってきた。

 そして、華奢な両手を差し出して、


「指、出してください」

「……いや、さすがにそれは」

「片手でやるのは、難しいですから」


 そう言うと、カエデは襟草の手をそっと引き寄せ、処置を始めた。

 てきぱきとした手際を感心して眺めながら、襟草は不思議な気分に包まれていた。

 傷を治してもらうなんて行為、いつ以来だろうか。


「……襟草さん」

「なんですか?」

「えぇっと……」


 カエデは少し逡巡し、やがて思い出すようにゆっくりと話し始めた。


「私、あの時の記憶があいまいなんです。特に最後の方は、みっともないくらいに取り乱してしまって……」

「仕方がないですよ。あんな状況で冷静でいられる方が、どうかしてます」

「……襟草さん……私あの時、あなたのことを――」

「大丈夫ですよ」


 襟草は微笑んだ。


「言ったじゃないですか。たまたま縛っていた鎖が緩んだおかげで、脱出できたって。あとは警察に通報して、雫ちゃんを助けてもらったんです。それが、全部です」

「そう、ですよね……」


 カエデの両手が、襟草の指を撫でた。

 きっと彼女の中には、まだ消化しきれていない思いがあるだろう。

 ナイフが体を貫いた感覚や、生暖かい血の感触が残っているのかもしれない。

 自分が襟草を殺してしまったのではないかという疑念が、胸の内で渦巻いているのかもしれない。


 けれど、襟草は嘘を突き通す。

 皮膚を引きちぎりながら鎖の拘束を抜け、監視しているだろう犯人を油断させるためにカエデに自分を殺させて、その後、倉庫内にいるであろう犯人を捜して血まみれの体を引きずった。


 そんな真実を伝える必要はない。

 彼女に罪悪感を背負わせるだけだ。


「ねーねー」


 膝の上から声がして、襟草は視線を下げた。

 タブレットを抱えた雫が、襟草の指を眺めていた。

 随分と長い間繋がれたままになっていた手が、そこにはあった。


「雫、お邪魔だったらどこか行ってようか?」


 カエデは慌てて手を放し、襟草は苦笑した。

 やはり真実なんて伝えない方がいい。

 死なない人間のことなんて、知らない方がいいのだから。





 やがて日も暮れて来たということで、襟草は木下家からお暇することにした。

 

「えー、もう帰っちゃうの?」

「うん。もう夜も遅いからね」


 小さな頭を撫でると、雫は気持ちよさそうな顔をして、そしてまた思い出したように頬を膨らました。

 せわしなく変わる表情がおかしくて、襟草は小さく笑った。

 このまますくすくと大きくなってくれればいいなと思った。


「それじゃあ、失礼します」


 そう言って一歩足を踏み出した、その時。


「あの」


 カエデの手が、襟草の袖をつかんだ。


「どうしました?」

「あっ、す、すみません……。その、なんて言ったらいいのか……」


 カエデはおろおろと視線を惑わせて、やがてぽつりとつぶやいた。


「ま、また、会えますよね?」

「……」


 そういえば今日は「それじゃあ、また」とは言わなかったなと、襟草は気付いた。

 そんな些細な変化に気付かれたことに、少し驚いた。


 そして、言い淀む。

 もうこの家族には、関わらないつもりだったから。

 自然の摂理から外れに外れた自分が、これ以上深入りしてはいけないと感じたから。


 だから――


「ちょっと、襟草ちゃん?」


 鈴を転がしたみたいな声が、責めるように言う。


「私の演技シドー、まだ終わってないんだけど? まさか五十五点のまま、満足するつもりじゃないよね?」

「……」

「そういうの、テキゼントーボーって言うんだよ。私はそんなかっこ悪い襟草ちゃん、見たくないな」

「……」


 きっとここが、分岐点だ。

 分かりやすく提示された、合理的な理由に。

 わざわざ作ってくれた、逃げ道に。

 足を踏み入れるかどうかの。


「……もう、遊んでくれないの?」

 

 ぷくっとお餅みたいに頬を膨らませた雫と、袖をつかんだままのカエデ。

 二人の姿をその目に捉えた時。

 襟草は、


「もちろん、また来ますよ。お邪魔でなければ」


 そう答えた。

 

 ああ、そうさ。

 また来たって構わないだろう。

 もう少しくらい、一緒に至って構わないだろう。 


 だって。

 小さい子の相手をするのは、嫌いじゃないのだから。 

 

 ぱっと花が咲いたみたいに笑う二人を眺めながら、襟草は心の中でそんな言い訳をした。



 ※



 目を開けると、たくさんの顔がのぞき込んでいた。

 齢十歳にも満たない子供たちの、顔、顔、顔……。


「あー、お兄ちゃん起きたー」

「起きた起きたー!」

「お兄ちゃんあそぼー!」

「あそぼあそぼー!」


 起き上がり、朦朧もうろうとする頭を何度か振った。

 いったい何がどうなっているんだ……?


 最後の記憶は、木下家からの帰り道で途切れている。

 そしてこの不自然な記憶の飛び方は、おそらく――


「……っ」


 顔を上げると、自分を見上げる小さな子供達の姿があった。

 数にして、およそ十名。

 その誰もがあどけない表情を襟草に向け、



 手にナイフを持(・・・・・・・)()ていた(・・・)



 その両手は。

 体は。

 床は。

 壁は。

 扉は。

 ソファーは。

 絨毯は。

 本棚は。

 キッチンは。

 真っ赤な液体で染まっていた。


「ふぅ……」


 天井を見上げ、息を吐いた。

 確かに小さい子供の相手をするのは嫌いじゃないと言ったけれど。

 だからと言って、この展開はないだろう。


「お兄ちゃん、どうしたのー?」「ねえねえ、遊ぼうよー」


 無邪気な声が、凄惨な部屋の中に飛び交っている。

 その異様な光景に、襟草はそっとため息をついた。


 どうやら、素直にならなかった罰が当たったみたいだ。



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