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第8話 言い訳

誤解を解きたいが、孝は契約書の力によってただの言い逃れしかできない。二人の溝はただ深まるばかりである。

孝は恵美との距離がますます離れてしまったと感じていた。もはや修復不可能かもと思っていた。

孝「あ、そういえば!」

孝はさっきまであきなと待ち合わせをしていたという事を忘れていて、突然思い出した。しかし、結局あきなは待ち合わせの場所に現れなかった。恵美との仲が余計に悪くなったあげく、あきなに初めてデートをすっぽかされてしまい、孝にとっては最低の一日になっていた。

孝「今日は最低の日だな〜!」

孝は、笑えなかった。どこか、自分の心に隙間が大きく出来てしまった感じで一気に疲れを感じた。時計台はもう、夜11時を過ぎていた。孝は帰ろうとしたが、もしかしたら、あきなが来るかもというかすかな希望を抱きながらも恵美の事が頭から離れなかった。辺りはもう、ほとんど人通りはなかった。既に銀座の街は明日のために眠りに入っているように静かだった。店はほとんど閉まっていて、今さらあきなが現れてもどこにも行くところはないと孝は思った。そして、孝は帰る決意をした。その時、突然後ろから誰かが声をかけた。

「まだ、待ってたの?」

振り向くとそこにはあきながいた。

孝「あ、あきなさん!」

孝は驚きを隠せない様子で答えた。

あきな「よく、帰らずに待ってたわね?」

そう言っている、今のあきなは孝の疑似恋人でいる時のあきなの雰囲気ではなかった。むしろ、美人はツンとしているというべきか、見たまんまの高嶺の花のような女性の雰囲気を感じた。もしかしたら、今のあきなが本当の姿では?と孝は思った。その雰囲気は孝には少し、取っ付きにくい感じだった。孝はデート中のドキドキ感とは違う、鼓動を感じていた。

あきな「どうしたの?黙って止まってるけど。」

孝は何かいつもと違うあきなを感じていた。

孝「今日のあきなさんは何か雰囲気が違うと思って」

あきな「そう?」

今のあきなは孝とのデートで可愛さを見せていた時のあきなではなかった。ただ、どこか疲れているように孝には見えた。

孝「あきなさん。もしかして疲れてます?」

あきな「別にそんな事はないけど」

あきなは冷たい態度で聞き流すように答えた。しかし、そういう質問をしている孝もさっきの恵美の事で疲れていた。そして孝は、疲れているように見えるあきなを気遣ってか

孝「今日は遅いし、もう帰りませんか?」

少し、遠慮しながら言った。しばらく、あきなは無言で孝を見ていた。その表情は笑顔一つなく、どこか機嫌の悪い様子を若干写しているようだった。その表情に孝は少し、機嫌を損ねるような事を言ってしまったのではないかという緊張感を感じていて、何も言葉が出なかった。そして、無言のあきなの表情をうかがっているだけだった。すると、あきなは突然、意識が薄れて遠退いていくような感じで立っている事さえ出来ない様子でふらつき出した。そして、道端に倒れ込もうとした時

孝「あ!」

孝はその異変に気付き、倒れそうになったあきなを両腕で受けて抱えた。

孝「あきなさん!あきなさん!」

孝が何度、名前を呼んでも、あきなに反応はなく、失神状態だった。

孝は携帯で救急車を呼んだ。数分で、すぐに来た。夜の静かな銀座の街に、赤いサイレンで昼のざわめきを取り戻したようになった。人通りが少なかったはずの歩道に、何事かとたくさんの人が集まって来た。失神状態のあきなは担架で、車内に運ばれた。そして、孝もその流れで救急車に乗らざるを得なかった。車内から救急隊員にいろいろ聞かれた。

「すみません。お名前をよろしいですか?住所、生年月日…」

まるで、警察の事情聴取みたいに孝は質問された。夜の街に赤い光をばらまきながら救急車は、とある受け入れ先の病院に向かっていた。その間、孝は意識を戻さないあきなを見つめながら、少し不安を感じていた。静かな車内には外のサイレンの音だけが聞こえていた。その音が孝の不安をよりいっそう掻き立てた。そして、救急車は病院に着いてあきなは担架で治療室に運ばれた。静かなはずだった病院は、突然の急患で慌ただしさを見せ始めた。まさか、こんな事になるとは…と思った。しばらく、治療室のドアは閉じられたままで、孝は廊下のベンチで一人で待っていた。普段ならそろそろ、眠気の来る時間だが今の状況で全然目が冴えていた。すると、白衣を着た一人の医師らしき男性が、孝に近づいて来た。そして、

「先程、運ばれて来た人の友達ですか?」

孝に突然、尋ねた。

孝「あ、そんな感じです。」

孝は無難に答えた。すると、その男性は

「そうですか〜!」

そう言って、一瞬あきなの運ばれた治療室を見てその場を去った。そして、廊下の端にある精神科と書かれた札の部屋に一人戻って行った。孝は何か不思議な感じがした。なぜ、治療と関係ない医師がそんな質問をするのかわからなかった。しばらく、その男性が入って行った部屋の方を眺めていた。そうしている間に、あきなの手当をしていた医師が部屋から出て来た。

「大丈夫ですよ。原因は過労ですね。ただ2日か3日はゆっくり休んだ方がいいでしょう。今は眠っていますのでやがて目を覚ますでしょう。」

孝はその医師の言葉に安心した。そして、治療を終えたあきなが眠っている部屋に孝は入った。今の孝はただ見守る事しか出来なかった。あきなは意識が戻るかと思うくらいに深い眠りに落ちていた。孝は眠っているあきなを見つめていた。すると、誰かが部屋に入って来た。さっきの精神科と書かれた札の部屋に入っていた医師がそこにいた。そして、孝に向かって

「あきなさんですね?」

何か確認するかのように言った。しかし、孝は不思議で若干、怪しげな雰囲気を感じていたため、無言で軽く、曖昧な返事をするように礼をした。それから、医師は部屋の中を歩き回ってあきなを一瞬見た後、部屋から出て行った。孝は、どこか少しホッとした。そして、孝は安心感とともに一気に疲れたが出たせいか、その場で眠りに落ちた。既に日付が変わって、夜もかなり更けていた。院内も外も静寂に包まれていた。普段なら聞こえないほんの微かな空気の流れさえも、雑音として感じられる程に静かだった。夜勤の看護師達の遠くの足音も、この静寂に溶け込むように響いていた。しばらく、孝は眠りに落ちていたが、見回りの看護婦に肩を軽く叩かれて起こされた。そして

「風邪をひきますよ。今日はもう帰られた方が…」

と言われたが、もう電車も動いてなく、帰る手段はタクシーしかなかった。また、内心あきなの事が孝は心配だった。そして、

孝「朝になって始発の電車で帰ります。」

そう言うと、一枚の毛布を孝に用意して看護婦は出て行った。孝は椅子に座ったままその毛布に包まった。そして、再び部屋には静寂が流れた。あきなは依然、深い眠りに落ちていた。孝は起きてから目が冴えていた。その時、またさっきの精神科の部屋に出入りしていた医師が入って来た。そして、孝に

「もう帰ってもいいよ。あとは、私が見ておくから」

と何か孝を追い出したい感じで言った。孝は何故?と思った。そしてその雰囲気に何か怪しげで気味の悪い恐怖を少し感じたが、孝は無言で無視をした。すると、

「聞こえなかったか?」

今度は何故か、怒り気味だった。何か威嚇をするような表情で孝を見ていた。孝はその危ない雰囲気を察してか、無言でベットの横のナ−スコ−ルのボタンを押した。すると、すぐに看護婦が来た。

「ちょっと、柴山先生!困ります。関係者の方以外は病室に入らないで下さい。」

「あ〜、済まなかった。」

そう言って、その医師は看護婦に追い出された。そして、その医師がいなくなった後、孝は看護婦に

孝「あの人、誰ですか?」

看護婦「精神科の柴山先生です。変わり者よ!」

孝「変わり者?」

孝は少し解る気がするがどこか不思議だった。そして、看護婦も戻って行った。それから孝は再び眠気に襲われて、椅子に座って毛布に包まってうたた寝から深い眠りに落ちた。



「柴山ですが、夜分遅く失礼します。偶然ですよ!間違いないですね。君島あきなが倒れてうちの病院に運ばれました。」

柴山は自分の診察室内に設置されている電話を使ってかけていた。そして、夜が開けた。



あきなの病室は太陽の朝の陽射しで包まれた。鳥の泣き声と病院内の朝の慌ただしさで、辺りは少しづつ騒がしくなっていった。そして、そのざわめきと、陽射しに起こされるようにあきなは目を覚ました。ベットの近くの椅子で座って眠っている孝を一瞬見た後、窓の外を眺めた。孝は深い眠りに入っていた。そして、あきなは時計を見た。

あきな「あ!もうこんな時間!」

時計は朝8時前だった。あきなは慌てベットから降りて、そのまま急いで会社に行こうとした。そして、病室のドアを開けて部屋を出ようとした瞬間、全く起きる気配のない孝をしばらく見つめた。あきなは無視して出て行こうとしたが、少し気にかけた感じで見た。そして、眠っている孝の後頭部に一枚のメモ用紙をテ−プで貼りつけた。

あきな「バ−カ!」

微笑みながら、独り言を軽く囁き、出て行った。あきながいなくなった後も孝は眠ったままだった。窓の外から差し込む太陽の光さえも、今の孝には目覚ましにならない程に、夕べの疲れが溜まっていた。そして、部屋の清掃のために看護婦が入って来た。そして、眠っている孝の頭を叩いて

看護婦「いつまで寝てるんですか?もう、お連れの方は帰られましたよ。」

孝は頭を叩かれた瞬間、びっくりしたように起きた。

孝「え?」

孝は慌て毛布を畳んでその看護婦に渡した。そして、部屋を出ようとした時

看護婦「ちょっと、あなた頭に何付けてるの?」

孝「頭?」

孝は自分の頭を確認するように触った。すると、一枚の紙が落ちた。そして、それを拾った。そこには一言

「ありがとう。」

と書かれていた。孝は無意識に笑顔になっていた。もちろん、孝は昨日の恵美の事を忘れてはいなかった。今はプラスとマイナスの気持ちが交差している状態だった。病院を出た孝は、途中で喫茶店で時間をつぶして、いつものバイト先に行った。店の中に入ると何か慌ただしい雰囲気になっていた。そして、退院したばかりの理香が久しぶりに大慌てで

理香「早く入って下さい!仕事はたくさんありますよ!先輩!」

と罵声を飛ばしていた。すると、孝は

孝「え?何かあるの?」

と言いながら、孝は雰囲気から少しづつわかった。

孝「もしかして…」

理香「そう、また大さんは休みです。またガスが壊れたらしいです。いい加減あのオンボロアパートを引越したらいいのに…」

呆れ顔でどこかギャグが入ってるような口調で言った。すると

孝「あれ?日野君は?」

理香「今日は休みですよ!私はまだ会った事ないけど…」

理香は聞き流すように言った。そんな感じで、孝のバイト先はいつものようにランチタイムに向かって忙しく準備をしていた。



その頃、恵美は平田の秘書として働いていたが、自分が本当に秘書として必要とされているのかと思うくらい、お飾りのような存在になっていると感じていた。しかし、恵美は不慣れな感じで、今の環境に慣れようと必至だった。そして、昼食の時間になった。平田は社長室から出て来るなり

平田「野原さん。お昼一緒にどう?」

恵美「すみません。私、今日お弁当持って来ているので…」

平田「あ〜そうなんだ!お弁当か〜。いいなぁ、今度、僕の分も作って欲しいな〜!」

軽い冗談を言いながら、平田は一人、昼食のため外に出て行った。他の社員もそれぞれ、徐々に昼食の雰囲気になっていった。恵美もまた、かばんから弁当箱を出して昼食の準備をした。すると、木下が来て

木下「後で、社長宛てに届いた郵便物を確認しておくように。」

恵美「は、…はい」

突然で、少し驚いた返事をした。そして、入口の棚のところにある郵便物の山を見ながら、手作りのお弁当を食べていた。もちろん、すべてが社長宛てではないが、その中から社長宛てとそうでないものを仕分けるのも秘書である恵美の仕事になっていた。そして、恵美はお弁当を食べ終わって少し、休んだ後郵便物の仕分けを始めた。そして、その中に一通の結婚式の招待状があった。

恵美「あれ?これって…」

恵美はその手紙を見て一瞬止まった。それは宏の結婚式の招待状だった。もちろん、その招待状は恵美宛てではなく、平田宛てだった。

恵美「新郎−早坂宏、新婦−根本美幸…」

恵美はその招待状を見つめながら心の中でつぶやいて、しばらく止まったままだった。そして、その様子を見た木下が

木下「どうかされました?」

恵美「あ!なんでもないです。」

恵美はふと我に帰って答えた。しかし、なんでもないと言いながらも何か不思議な感覚だった。そして、平田が昼食から戻って、再び社長室に戻った。恵美は社長宛ての郵便物を平田のところに持って行った。

恵美「失礼します。今日の社長宛ての郵便物です。」

そう言いながら、デ−ブルに郵便物を置いた。もちろん、その中に宏の結婚式の招待状も入っていた。

平田「あ〜、どうもありがとう。」

平田は、恵美に優しい笑顔を見せて言った。そして、郵便物の中から結婚式の招待状を取って

平田「ついに、結婚するのか〜あの二人!」

何か楽しそうな笑顔で言った。恵美はその様子を見ながら、

恵美「社長のお知り合いの方?…ですよね?」

平田「え?」

恵美「そ、そうですよねぇ〜!ハハハ!」

恵美はその招待状が気になって無意識に、当たり前の質問をしてしまった。

平田「学生の頃の知り合いなんだ。新婦の方が!」

恵美「そうですか〜!では、出席の方向ですか?」

平田「もちろん出席だよ!そして、君も秘書として出席だけどな!」

恵美「え?私も?何故ですか?」

恵美は疑問に思った。そして、平田から笑顔が消えた。

平田「これも、大事な仕事だからな。」

平田は真顔で言った。恵美にはその平田の真意はつかめなかったが、嘘や冗談ではない事を感じていた。

平田「あ、それから歓迎会をしないといけないな!ハハハ、すっかり忘れてたよ。」

平田は再び、笑顔になっていた。

恵美「あ…ありがとうございます。」

恵美は会話の流れで、礼を言った。




日曜のある晴れた午後、広田の家に来客が来ていた。

広田「どうぞ!」

そう言いながら、紅茶を出した先にいたのは、柴山医師だった。

柴山「本当に偶然ですよ!まさか、夜遅くにうちの病院に運ばれて来るとは…」

広田「病院にですか?また、何故ですか?」

柴山「わかりません。男性と一緒でしたが…。」

広田「男性と?彼氏ですか?」

柴山「いや、彼氏かどうかは微妙にわかりません。不思議なんですよねぇ」

広田「不思議?」

柴山「あきなさんは朝、その男性を残して出て行ってしまったんですよ。病室に一人、付き添って貰った男性を残して…」

広田「今はその相手の男性と仲が悪いとか?」

柴山「何もわかりませんね」

広田「でも、前に会った時に感じたけど、何かあまり感情を出さない冷たい雰囲気があるというか、自分を全くと言っていいくらいに出さない方だと思ったけど…その行動は少し納得ね!」

柴山「そうですか〜!病院に運ばれて来た時は意識を失ったように眠ってましたので、私は実際どんな方かまではわかりませんでしたが。」

そう言って、柴山は一口紅茶を飲んだ。少し、広田はその柴山が飲み終わるのを見計らって

広田「本の方は、持って頂けました?」

柴山「そうですね?では、お約束の物を」

そしてカバンの中から本を出した。そして、広田に渡した。広田は興味深く見ながら手にした。

広田「これですか〜!」

柴山「はい、精神心理関数1と記されています。」そして、広田は本のページをとばしとばしでパラパラと開いてしばらく無言で読んでいた。すると、広田は最後までめくったところで少し眉をひそめた。

柴山「先生もお気づきですか?」

広田「どういう事かしら、何か内容が偏って書かれている感じが…。というより…」

柴山「そうですね?精神心理と記されているにもかかわらず、その内容は先生がお持ちの恋愛心理関数の内容に似ています。むしろ、それは内容自体が恋愛心理関数ではないかと思いますが」

広田「何故?」

柴山「何もわかりません。」

二人は、黙ったままで考え込んでいたが、お互いに何か答えが出る訳はなかった。柴山は再び、紅茶を啜った。広田は、本を閉じてテ−ブルに置いた。

広田「ところで、この本はどこで手に入れました?」

柴山「無記名で、郵送されて来ました。」

広田「無記名で?」

柴山「それから、一緒に手紙が一通」

広田「手紙?」

柴山「はい、どうぞこちらも」

柴山は広田に手紙を渡した。そして、手紙を読んだ。

広田「読んで頂きありがとうございます。ですか〜。」

柴山「はい!お礼の手紙が入っていました。」

もちろん、2人は疑問だらけだった。そして、時がゆっくり過ぎていった。




洋食屋KIYAMAは、戦場のようなランチタイムを終えていた。そして、孝はいつものように、バイトだった。恵美とは、付き合っていても、お互いにどちらから別れを切り出す訳でなく、仲直りができる訳でもないあやふやな状態が続いていた。バイト中、孝はたびたび携帯を見ていた。それは、恵美からの連絡の有無とあきなからの連絡はないかというどっちつかずのような気分での確認だった。ただ、今の孝には病院でのあきなからのメモがずっと気になっていて、それ故思い出す度にうれしさがこみ上げてきそうな状態だった。そんな、考え事をしていると

理香「何をニヤついているのですか?」

孝「え?」

孝は理香に突然、現実に引き戻された感じだった。

理香「何かいい事でもあったのですか?新宿で、彼女が浮気をしていたって言うのに…」

孝「浮気?」

孝は少し声を張り上げて言った。

理香「あれは、まぎれもなく浮気ですよ!」

理香は孝をあおるように言った。

孝「そ、そうかな〜!」

孝は渋谷でのあきなの件もあり、恵美の事を浮気という感じで理香に強く言えなかった。

理香「間違いないです。このままでは、あの時のス−ツ姿の男性に奪われてしまいますよ。いいんですか?」

孝はしばらく、何も言い返せなかった。すると、店のドアが開いて、翔が出勤して来た。

翔「おはようございます。」

翔の爽やか挨拶に理香と孝は振り向いた。厨房の中から店長の木山と鈴木も出て来た。

木山「おはよう、日野君!お〜い小川!」

木山は理香を呼んだ。

木山「新しく入った日野君だ!」

理香は翔を無言で上から下まで一瞬、観察するように見た後

理香「小川です。よろしくお願いします。」

相変わらずの元気な挨拶だった。

翔「日野です。よろしくお願いします。」

翔は軽く礼をした。そして、ロッカールームに行った。その後、すぐに理香は孝に

理香「それで、先輩はどうするんですか?」

今の理香は翔よりも、他人の恋愛事情に興味津々だった。

孝「どうするって、おまえには関係ないだろう?」

そう言って、理香の質問を聞き流すように、その場を離れて別のテ−ブルを拭き始めた。しかし、理香はしつこく孝の後ろ姿に向かって

理香「じゃあ、あきなさんて誰ですか?」

かなり食いついて質問していた。すると孝は、一瞬動きが止まった。そして、黙っていた。その様子を理香は当たり前のように逃さず

理香「誰ですか?」

再び、しつこい感じで興味深く聞いた。

孝「知らないよ!そんな人、何かの聞き間違いだよ」

そう言いながら、再び理香から逃げるように別の仕事をしようとすると、翔がロッカールームから出て来た。すると理香は

理香「ちょっと、日野さん聞いて下さい。白川さんの彼女が…」

孝「ああ〜、ちょっと待て」

孝は慌て、理香を抑え込んだ。全く、デリカシ−のないとはこういうやつの事だと孝は思った。今の理香は自分の興味の趣くままの行動だった。そして、翔は落ち着いた雰囲気で

翔「白川さんの彼女がどうかされました?」

不思議な表情で聞いた。

孝「アハハ!いや、なんでもないですよ。」

孝は苦笑しながら、理香の口を手で封じた状態で言った。すると理香が孝の手を払って

理香「浮気してます。」

孝「おい!」

理香は、捨て台詞のように言って逃げた。孝は、半分怒りかけたが、翔が

翔「ハハハ!浮気ですか〜!浮気は駄目ですね。白川さん!」

翔は孝を何か見透かしたような表情で言った。すると、理香に対して怒りかけた孝だったが

孝「そ、そうだよね〜」

それ以上は何も言えなくなった。翔の一言でその場は自然に収まった。それから、翔は厨房に入って行った。ただ、理香は全く悪びれた様子はなく店の掃除をしていた。そして、達也も出勤して、店はディナータイムに向けての準備が大詰めになっていた。時計はもう、夕方4時になろうとしていた。すると、店の電話が鳴った。そして、近くにいた孝が自ら電話をとった

孝「ありがとうございます。洋食屋KIYAMAでございます。」

すると、電話の向こうからは聞いた事のある声だった。相手は平田だった。孝は、言葉につまりながら応対した。他の客からの電話以上に緊張しながら、受け答えをした。そして、電話が終わった。内容は翌日のコ−スの予約だった。電話の後、孝はどこかスッキリしない表情をしていた。それを見た鈴木が

鈴木「どうしたんだ?何かおまえ暗いぞ」

孝「え!いや、そんな声ないですよ。」

孝は無理矢理、奮いたたせるような感じで答えた。しかし、鈴木は孝を見ていた。孝には自分が興味深く見られている気がした。すると

孝「あの〜何ですか?」

孝は作り笑いをしながら言った。すると鈴木は

鈴木「いや、さっきの電話だけど!」

孝「え!あ、ああ〜そうですね。明日のコ−スの予約でした。」

孝は、電話の相手が平田であったため、少し心のどこかで動揺していた。しかし、それは他の誰にも理解できる訳はなく、周りは孝の様子を不思議そうに見ていた。そして、店はディナータイムに入っていた。まばらではあるが徐々に客も入って来た。厨房では、店長の木山と翔と達也の3人が料理を作っていた。店内では孝と理香と鈴木が接客や片付けをしていた。そして、また新たに客が入って来た。

鈴木「いらっしゃいませ」

片付けをしていた鈴木の威勢のいい声が響き渡る。そして、それにつられるように、理香のいらっしゃいませの言葉が呼応するように響いた。レジで伝票の整理をしていた孝もまた新たに入って来た客に

孝「いらっしゃいませ…あ!」

孝は一瞬、動揺した。新たに入って来た客はあきなだった。そして、一人の見知らぬ男性がいた。男性の年齢は40代近くに見えた。

あきな「二人ですけど!」

孝「そちらの空いてる席にどうぞ!」

孝は動揺を抑えながら言った。しかし、その動揺は周囲から見て不自然なものだった。そして、あきなは平然とその男性と席に着いた。孝はその様子をずっと見ていた。すると、それを見た理香は

理香「先輩!何をジロジロ見てるんですか?綺麗な人だから、目移りしてるんですか?」

孝「え?」

孝は返す言葉もなく反応した。孝は確かにあきなの方を見ていた。しかし、理香の思っている感じで見てはいなかった。普通に気になっていた。孝はあの男性も自分と同じような立場だろうかと思いながら、見ていた。そして、二人の会話が気になっていた。

理香「先輩!見すぎですよ!」

理香は呆れた感じで孝に言った。

孝「ああ〜!アハハ!」

孝は理香に真実を語れる事もなく、作り笑いでごまかすしかなかった。時計はもう、夜7時になろうとしていた。もうすぐ、孝のバイト上がりの時間だったが、二人の様子が気になりながらあがりの時間を全く意識していなかった。そして、その様子を厨房にいた達也が興味深そうに見ていたが、翔はさらに二人よりも一歩引いた状態で見ていた。それから、理香もバイトのあがりの時間になった。

理香「やった−。あがりだ。帰ろう!」

疲れた表情は見せずに理香は笑顔だった。そして、孝もあがりだった。しかし、まだあきなは店内でその男性と笑顔でメニューを見ながら楽しそうにしていた。孝にはその様子が気になりながらどこか嫉妬心に駆られていた。そして、帰る準備のためロッカールームに行った。厨房では、翔と達也が料理をしていたが、達也はあきなを意識している孝を見ていた。そして、その様子を見ていた翔が

翔「氷川さん!どうかされましたか?」

達也「いや、別に!」

達也は、しかとするような感じで答えたが、翔は

翔「もしかして、白川さんとあちらの女性が気になってますか?」

翔は意表を突いた質問をした。

達也「え?」

達也は、確かに気になっていた。孝の様子も見ていた。何故か自分の心が完全にバレたと思った。そして戸惑いを隠せない様子で、翔を見た。そして、笑いながら

達也「あそこに座ってる女性って、なんかよくないですか?」

達也は孝の事をごまかすような感じで翔に言った。すると翔は

翔「ハハハ!ああいう人が、氷川さんはタイプですか?」

笑いながら答えた。

達也「じゃあ、日野さんはどうですか?」

翔「僕は別になんとも思いませんが…。むしろ、ああいうのは嫌です。」

そう言っている翔の表情は本当に嫌がっているように達也には見えた。達也は、翔が本心で言っているように見えた。その様子はどこか、相手の事を知っていての答えのように見えた。しばらくして孝がロッカールームから出てきた。そして、孝は、店内で別の男性といるあきなをチラ見していた。もちろん、その様子を達也は見ていたが、達也は敢えて何も言わなかった。翔はまたも一歩引いた状態で達也と孝を見ていた。すると、理香がロッカールームから出て来て

理香「お先に失礼しま〜す。」

と言ってさっさと帰って行った。それを見た孝は

孝「じゃあ、お疲れ!」

そう行って理香につられるように店を出た。孝は店を出るまで、あきなの様子が気になっていたが、何か出来る訳ではなかった。すると、孝が店を出た瞬間を見計らって翔が

翔「白川さんは、かなりあの女性を意識してましたね?」

達也に言った。

達也「え?」

達也は翔がそこまで気付いていたのかと少し不思議に思ったが、達也は翔の問い掛けに言葉が出なかった。


店を出た孝は複雑な気持ちだった。それは今日の店での出来事が原因であったが、少しづつ離れて行ってる恵美の事も頭からはなれなかった事も原因である。恵美と偶然に銀座で会って弁解できると思った時でさえ、ますますこじれてしまった事にも後悔していた。孝はただ、謝る以外に思いつかなかったが、その前に二人だけで会う機会がなくなりつつある事に既に自然消滅になりつつあると思った。また、孝はあきなとの密会のようなデートが恵美にバレてしまった事で、自分の事を棚にあげて恵美に平田との関係を問いただす事は火に油を注ぐようなものだと思っていた。その時、孝はふと、あきなが店にいるという事は、今から自分に連絡はない思った。そして、今が一つのチャンスと思い、恵美に会うために携帯を鳴らした。孝は何度も恵美の携帯を鳴らした。しかし、出なかった。孝は一瞬、わざと出ないのだろうか?と思っていた。そして、しばらくして、恵美が出た。

恵美「もしもし!」

孝は呼び出しが長かったせいか突然、恵美が電話に出てから少し驚いた。しかし、孝は何から話したらいいかわからなかった。しばらく、孝は言葉を探していたら恵美が

恵美「何?」

孝「いや、何してるかな〜と思って」

孝は、恵美の無愛想な雰囲気の言葉から、孝はもう恋人同士ではないかもという感じがした。付き合い当初は電話をすると、何気ない事が当たり前のように話題になっていたが、今はもうその様子はなかった。そして、恵美は

恵美「特に何も…テレビ見てるけど…」

孝「そうなんだ〜!」

孝は、少し言葉に詰まったが、

孝「今から、会えないかな?」

恵美「今から?」

孝はとにかく会って話しがしたかった。口調から恵美はあまり乗り気じゃない雰囲気だった。しかし、孝には今しかないと思った。

孝「今すぐに、会いたいんだ!」

その時、孝はあきなとの契約の時の500万の事を思い出した。

孝「そうだ!今日は恵美の行きたいところにどこでも連れて行くよ!」

孝はどこか、自信満々に言った。

恵美「行きたいところか〜、こんな時間だしな〜」

恵美は少し、渋りながらも声が少し明るくなっていた。孝も、それに気付いていても、いつもはっきりしている恵美が、今はどこかはっきりしない返事だった。すると

孝「じゃあ、今から渋谷の、いつものモアイ像で待ってるから!本当に今しかないんだ!」

そう言って孝は強引に約束をしようとした。

恵美「まぁ、いいかな〜!」

恵美は乗り気じゃない雰囲気で了解した感じだった。すると孝は

孝「じゃあ、絶対に!」

そう言って孝は自分から電話を切った。その後、すぐに孝はモアイ像のところに向かった。孝は、恵美との仲直りは今しかないと思っていた。しかし、ただ謝って許して貰うだけが唯一の仲直りしかないとも思っていた。そんな考え事をしながら電車に揺られながら孝は渋谷に向かっていた。



そして、孝が帰った後の洋食屋KIYAMAでは、招かざる客が来た。

「ちょっと失礼」

所轄の山田刑事だった。レジのところにいた店長の木山と鈴木は面倒そうな顔をしていた。

山田「また、失礼するよ。こちらで、小川さんが働いていると思うのですが?」

鈴木「あいつなら、さっき帰りましたよ!」

鈴木は無愛想に答えた。すると、山田は

山田「そうですか〜。最近、退院されたみたいで事件について、ちょうど回復した今ならお聞きできるかと思いまして…。それから、氷川さんて方は今日は?」

鈴木「え?」

鈴木は意外な表情をした。すると店長の木山が

木山「氷川ですか?いますけど…。」

その後、達也は山田と店の外に出た。しばらく、達也は山田にいろいろ質問されていた。鈴木も木山も、少し心配していた。刑事が来た事で店の中は重い雰囲気なっていた。店内の客も何事かという感じで見ていたが、その中であきなは何も気にする事なく普通に食事をしていた。厨房の中では翔が外の様子をうかがうように見ていたが、何が起こっているかはわからなかった。




一方、孝は渋谷のモアイ像の前に着いたが、さっきの電話で、もちろん恵美はいなかった。その間にATMでお金をおろした。通帳には見た事のない桁の数字が並んでいた。そして、再びモアイ像の前に戻った。周りは相変わらずのざわめきで、ス−ツ姿のサラリーマンから、OL、学生風な人など様々な人が行き交っていた。孝はその中に、恵美の姿がないか探していた。孝には今しかないと思ったが、恵美が来るかどうか不安だった。恵美と電話で話してから30分以上は経っていた。もう、着いてもおかしくない時間だったが、恵美の姿は見えない。付き合い当初は、待ってる間にもお互いを確認するかのようにメールのやり取りをしていたが、今はその様子は全くない。その事が孝には、お互いの距離がますます離れていってるという事を教えているようだった。そんな事を考えながら孝は、付き合い始めの頃の二人を思い出していた。しかし、恵美の姿はまだ見えなかった。孝は、不安になっていた。もう既に終わっているのかと少し、あきらめかけていた。その時、人混みの中からチェックの柄のショ−トパンツと春用のコ−トに身を纏った恵美が現れた。そして、孝の近くに来た。

恵美は笑顔もなけ

れば、特別怒っている表情でもなかった。

恵美「突然だから、着て行く服に迷って…。」

その言葉からは仕方なく来た雰囲気で、待っていた孝を気遣うよりは、自分の都合の大変さを間接的に言っているように孝には聞こえた。そして、恵美は

恵美「今日は、私の行きたいところならどこでも連れて行ってくれるの?」

孝「ああ、大丈夫だよ!」

孝は恵美が何を言うか不安だったが、自信があるような素振りを見せて言った。すると、恵美は夜空の方を指差して

恵美「じゃあ、あそこ!」

それを見た孝は

孝「え!月?星?」

恵美「ハハハ…何言ってるの!」

恵美は軽く笑った。

孝「どこ?」

孝は疑問に思いながら、言った。

恵美「もう、鈍いな〜!夜景だよ!」

孝「夜景?」

しかし、孝が見渡したところ渋谷には夜景が見れる程の高い建物はなかった。すると

孝「そう言ってもな〜!」

孝は困りながら言った。すると恵美は孝に少しヒントを与えるような感じで

恵美「ヘリコプターのクルージングだったら夜景が見れるんだけどな〜!」

恵美は横目で孝を見ながら言った。

孝「ヘリコプター?」

孝は恵美の意外な提案にどうしていいかわからなかった。そして、

孝「今からなんて無理だよ!それに、どこから…」

恵美「今日はどこでも連れて行ってくれるって言ったでしょう?」

恵美は孝の言い分を聞く気は全くない様子で答えた。孝は困った。自分の想定外だった。そして

孝「よし、じゃあ!今度絶対にヘリコプターのクルージングに連れて行くよ!約束しよう!」

恵美「約束?」

孝は次に会う口実が欲しかった。そのために大袈裟に約束という言葉を使った。すると恵美は

恵美「別にいいよ!ヘリコプターのクルージングは高いし…無理しなくていいよ。期待してないから」

恵美はすんなり諦めたように言ったが、孝は自分が頼りにされてない言い方に少し、悔しさを感じていた。そして、孝は携帯を出して、ネットで調べ始めた。すると、

恵美「何してるの?」

孝「今から、乗れないか調べる。」

恵美「もういいよ!冗談だから!」

孝「冗談?」

孝は止まった。

恵美「今度、平田さんにでも連れて行ってもらおうかな〜」

恵美は、遠くを見ながら言った。

孝「平田?」

再び、孝は止まった。恵美の口から出た平田という言葉に孝は一瞬、恵美が遠くなっていくように感じた。すると、恵美は孝を無視して歩き始めた。すると

孝「ちょっと待てよ!どこに行くんだよ!」

そう言いながら恵美の後を歩いた。そして、恵美は孝の言葉に聞く耳持たない感じで黙って歩いて行こうしていたら突然、振り返って

恵美「孝!」

恵美は少し、ふて腐れた顔で孝を見て言った。孝にはその表情がどこか怒っているようにも見えた。

孝「何?」

恵美「お腹空いた!」

孝「え!…ああ、じゃあ、どこかにはいろうか。」

いつの間にか、物事が恵美のペースで進んでいた。孝はただ、恵美のわがままを聞くだけの都合の良い人になりつつあるのでは?と感じていた。むしろ、孝の仲直りしたいという気持ちを既に恵美が気付いていて、そこに恵美がつけ込んでいるようにも孝は感じた。そして孝は逆にその事が仲直りに近づいているのかもとも推測したが、確実に仲直りをするための話題を自分から切り出すタイミングを掴めずにいた。孝は恵美のわがままを今日は受け入れるしかないと思った。そして、恵美が

恵美「どこか、美味しい物があるお店に連れてってよ!」

少し口をとんがらせて孝を見ながら言った。

孝「美味しい物?」

漠然と言われても孝は思いつかなかった。そして、再び恵美は

恵美「あと、お店の雰囲気もいいところね!」

そう言ってる恵美の態度は明らかに上から目線だった。

孝「雰囲気もいいところ?」

孝は少し考えたが、すぐに思いつかなかった。その時、偶然にあきなとのデート中に恵美に会った時の事を思い出した。孝はあの日にあきなと行った、オ−プンテラスのあるお洒落なカフェタイプの居酒屋に行こうと思った。

孝「わかった!いいところがあるよ!」

孝は自信満々に言った。

恵美「ふ〜ん」

恵美は腕組みをして半信半疑の感じで孝を見ながら言った。すると

孝「な、何だよ!」

恵美の顔色を伺いながら言った。

恵美「別に〜!」

ちょっと、見下した感じで言った。その後、孝は恵美の手を引いて、あの日にあきなと行った店に向かった。店に向かってる途中、二人に会話はなかった。孝はあの日の事の弁解の機会を伺い、恵美は愛想を尽かしている雰囲気でそれぞれの無言の理由は違っていた。すると二人は、あの日にあきなと出会ってしまった場所に差し掛かって通り過ぎた。その瞬間も二人は無言だったが、孝は恵美の顔色をチラ見でうかがっていた。恵美は顔色を変える様子はなかったが、孝にはますます機嫌が悪くなったように見えた。そして、目的の店の前に着いた。

孝「ここだよ!どう?」

孝は、またも自信満々に言った。すると恵美は少し驚いた感じで

恵美「うわ−。何かお洒落な感じ!」

自然と笑顔になっていた。

孝「じゃあ、入ろうか?」

そう、言って孝は恵美の手を引いて店に入った。恵美は、少し辺りを見渡しながら店の雰囲気を楽しんでいる様子だった。そして、店員に案内されて二人は席についた。そして、二人は席に着くや否や飲み物を注文した。その後、孝は

孝「どう?要望に叶った感じ?」

孝は、少し安心仕切った感じで言った。すると、恵美は

恵美「なるほどね!こんなお洒落な感じのお店で孝は浮気をしてる訳ね!」

恵美は若干の笑顔を残しながら図星とも言えるような事を言った。

孝「え?」

しかし、孝はすぐには何も答えられなかった。結局、孝が弁解をしようとしていた内容を切り出したのは恵美の方だった。そして恵美の発言に孝は、恵美の希望に添う店に連れて来たというさっきまでの自信が薄れつつあった。もしかしたら、最初から浮気現場の確認が目的だったかもという、憶測を孝はしていた。そして孝は

孝「別に浮気とかじゃないよ!」

恵美「じゃあ、何?」

恵美は呆れた表情だった。そして、銀座で偶然に恵美と会った時の会話の繰り返しになると孝は思った。しかし

孝「本当にゴメン!でも、浮気じゃないんだ。」

孝はただ、謝って弁解するしかなかった。すると恵美は

恵美「浮気じゃないけど謝るんだ?で、これからどうするの?」

孝「ど、どうするって?」

孝は、恵美の言ってる事をすぐに理解は出来たが、別れるという言葉にわざとたどり着かないような遠回しな感じで言った。しかし、それはただの時間稼ぎでしかない事はわかっていたが、恵美が

恵美「このまま、付き合うの?」

単刀直入に言った。孝は「何故、振られない?」と不思議に思った。そして、あきなとの関係では全く自分に選択肢がないが、今はその逆だった。そんな考え事をしていたら、恵美は

恵美「私達、このまま付き合ってもいいの?」

恵美は、呆れ顔から少しづつ怒り顔になって来た。すると孝は

孝「本当に悪かった!だから、これからも…」

孝は最後まで言葉が出なかった。それは、自分の気持ちが少しづつではあるがあきなに傾きつつある状態でやがては完全にあきなに傾いてしまうかもという不安が残っていたためだった。しかし、恵美はそんな孝の言葉の足りない部分を逃す事なく

恵美「だから、これからどうするの?」

恵美は孝を見つめていた。しばらく、孝は黙っていた。孝の答えは仲直りと決まっていたが何故か言葉がすぐに出なかった。そして、二人の間に沈黙が走った。すると孝は笑顔一つなく真顔で

孝「俺が好きなのは恵美だけだ!これからもこのまま付き合って欲しい。」

それは、改めて告白したようなものだった。孝にとって、やっと恵美に言えた一言だった。すると、恵美は一瞬、頬を赤らめたが、あの日の事を怒っている素振りは残していた。ただ、恵美は無言だった。照れ隠しからか、ここまで来て振られてしまうからなのかその2つの選択肢で迷っているから答えをすぐに出さなかったと孝は思った。そして、恵美はしばらく孝を見て目を反らした。しばらく、二人は黙っていた。返答のない恵美に孝は、少しづつ不安と緊張感を高めていた。恵美は、目の前のウ−ロン茶を飲んだ。孝は、全く返答のない恵美の様子を見て、気まずささえ感じていた。すると、

恵美「綺麗な人だったね?」

不機嫌な表情で言った。

孝「そ、そう?アハハ」

孝は否定も肯定も出来ず完全な苦笑いだった。

恵美「あんな綺麗な人が相手じゃ、私はやっぱり役不足かな?」

そう言ってる恵美は沈んだ様子ではなく、逆に開き直って不機嫌な様子だった。すると孝は

孝「そんな事ないよ!全然、恵美の方がかわいいよ!」

恵美をまっすぐ見て言った。すると、恵美は嬉しさを一瞬、見せたがそれすら、すぐに抑えた様子で

恵美「もう、二度とあの女性と会わないって約束してよ!」

恵美は強い口調で言った。孝は恵美の雰囲気に圧倒されて

孝「あ、ああ〜」

孝は、はっきりとは言わないまでも了解したという曖昧な意味を持たせた返事をした。すると恵美は

恵美「孝は今でも、私の事好き?」

恵美のその表情は今日、会ってから始めて見る笑顔だった。孝は答えるには少し照れる質問だったが

孝「え!す、好きだよ」

孝は照れ隠しのためすぐに目の前の水を飲んだ。さらに恵美は

恵美「本当に?」

念を押すように聞いた。そして孝は

孝「本当だよ!誰よりも…」

真顔で答えたが、再び水を飲んだ。すると

恵美「本当に約束だよ!」

笑顔でそう言いながら、恵美はテ−ブルの端に置いてあった孝の携帯を勝手に手に取った。

孝「あ!何?」

恵美は孝の反応を気にする事なく黙って孝の携帯のボタンをいろいろ押し始めた。孝は嫌な予感がした。

孝「おい!もしかして」

しかし、恵美は孝の言葉に耳を傾ける事なくひたすら孝の携帯をいじって

恵美「はい!」

そう言って笑顔で孝に携帯を返した。そして、孝は返された携帯を見ると案の定、女性と思われる番号とアドレスをすべて消されていた。バイト先の理香の番号まで消されていた。

恵美「約束したからね!」

強気な態度で言った。

孝「あ、ああ〜。わかったよ!」

孝は番号やアドレスを消された怒りよりも、恵美のその大胆な行動にア然として顔がひきつっていた。そして、恵美は何事もなかったかのように微笑んでいた。しかし、恵美のその行動で孝は、あきなとの連絡経路を断たれたとは全く思っていなかった。もちろん、恵美は孝とあきなの連絡方法を知らなかったため、孝の携帯の番号やアドレスを消す事で強制的に約束が守られると思っていた。そして、恵美は普通の笑顔になって

恵美「今日は孝のおごり?」

孝「え?ああ〜!そうだった!ハハ…」

孝は、さっきの恵美の行動が自分の中で意外だった。そして、それを隠すように作り笑いで返事をした。そして恵美は

恵美「じゃあ!」

満面の笑顔で

恵美「すいませ〜ん!」

店員を呼んだ。そして

恵美「ロコモコとカルパッチョと…」

何も気にする様子はなく、容赦なく注文を始めた。その無邪気な様子は、孝の彼女である恵美の姿だと確信したが、仲直りのための報いがまだ続いているようにも感じた。

解けない誤解は、恋愛に限らず人間関係を悪化させてしまうもの。わかり合う事の難しさは誰もがわかってはいるのですが・・・。

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