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第5話 出逢いと日曜の不運

過去になくした物を探しているあきなと修二、そしてその過程でただ、知らない間に擬似恋愛に拘束された孝だったが、事態は必然的に最悪の方向に進む。

あきなにデートのダメ出しを受けた孝はいつものように、洋食屋でバイトをしていた。就職先も未だに決まらず、恵美ともあの渋谷のデート以来会ってなかった。連絡はメールだけだった。店はランチタイムを終えて、ディナータイムに向けてしばらく閉めて仕込みの時間になっていた。時計は2時半を過ぎていた。鈴木と孝は店内の掃除をしていた。そして、店のドアが開いた。孝と鈴木は、振り向いた。すると、一人の男性が入って来た。

「すいません。今日から新しくここで働く事になった日野ですが…。」

優しい、物の言い方で入って来た。そして孝は振り向いた瞬間、ア然とした。

孝「あれ?確か…。」

すると、厨房の中から店長の木山が出て来た。

店長「あ、どうも!日野君。おはよう!」

日野「おはようございます。よろしくお願いします。」

店長の木山は二人を呼んだ。

店長「今日から、新しくこの店で働いて貰う事になった日野翔君だ!彼は、料理の勉強で4年程フランスで修業をしたみたいで、将来的にはこの店のシェフとしてメインでやって貰おうと思っている。」

翔「日野翔と申します。よろしくお願いします。」

孝「白川です。」

鈴木「鈴木です。今日からよろしく!今、小川がいなくて人手不足だったから助かるな〜!白川!」

孝「あ、そうですね!」

それぞれ、成り行きで自己紹介をして、孝は、翔を見てみぬふりをしながらも気になっていた。もちろん、孝はあきなとの事は他言できない以上うまく聞くのは難しかった。また孝にとっては、宮田努の事もあり、あきなの周囲の人間関係が気になっていたのも事実である。そして、孝がテ−ブルを拭いていると翔が来た。

翔「掃除は僕がやりますよ!」

孝「あ、そう?じゃあ、お願いします。」

孝はぎこちない感じで、翔と掃除を代わった。そして、孝は翔を少し見た。ただ、翔は無我夢中で掃除をした。孝には翔が自分に気付いているか、いないかを確かめる勇気はなかった。すると翔は振り向いて

翔「白川さんですよね?」

孝「あ、そうだけど…」

孝は名前を呼ばれただけで、変な胸騒ぎがしていた。

そして、孝は、テ−ブルを拭いている翔の後ろ姿を見ていた。すると翔は振り向いて

翔「そう言えば、一度お会いしてますよね?」

孝「え?そうだっけ!」

孝は突然の事で驚いた感じで答えた。

翔「銀座のお店でですよ!忘れちゃいました?」

翔は笑顔で普通に孝に聞いた。孝は気付いていたが、思い出したように

孝「あ、そうだった!先日はどうも。おいしい料理だったよ!」

翔「ハハハ!ありがとうございます。でも、まだまだですよ!日々、勉強ですよ。僕の夢は、誰もがおいしいと言って、自然と笑顔になってしまうような、料理を作る事です。」

孝「そうなんだ〜!」

坦々と話す翔に対して、孝は少し緊張した様子でぎこちなく答えていた。すると、孝はあきなとの初デートの事を少し、思い出した。

孝「あ、あの日野君!」

翔「何ですか?」

孝「そう言えば、銀座のあのお洒落なお店はもう行ってないの?」

翔「あ〜あれですか?もうやめました。と言っても、僕一人しかスタッフがいなかったので、実際には閉店になるでしょう!」

孝「え?一人?」

翔「そうですよ!一人ですよ!しかもお客さんは、あきなさんが連れて来る人だけで、限られた人にしか僕の作った料理を出せないんですよ!正直なんか、面白くなくて!」

孝「あきなさんが連れて来る人だけ?どう言う事?」

孝は何か疑問が頭の中に湧いて来た。

翔「あの銀座の店はあきなさんのデートコ−ス専用のためのお店なんですよ。ハハハ」

翔は笑顔のままで坦々と話した。そして、孝は顔が無意識にひきつっていた。

孝「そうか〜!すごいな〜!あの若さでお店を持ってるなんて、ハハ…ハハハ」

孝は作り笑いをしながら、ぎこちなく言ってその場を離れ、ディナータイムに向けて看板の準備をした。そして、いつものように達也も来た。すると木山が

店長「ああ、達也!おまえにも紹介しておく!今日から新しく入った、日野君だ!」

翔「よろしくお願いします」

達也「いえ、こちらこそよろしくです。小川さんがいなくてどうなるかと思ったけど、店長よかったですね?」

達也は、木山の方を向いて言った。木山は

店長「いやあ、本当に助かったよ!」

少し和やかな雰囲気になった。すると翔が

翔「あの、さっきも鈴木さんが言ってた小川さんて、やめちゃったのですか?」

翔の質問により、その場にいた達也と店長から笑顔が消えた。

達也「今、ちょっと入院中で…」

翔「入院?何か病気とか…」

店長「いや、そうじゃなくて」

翔は暗い雰囲気を察したのか

翔「あ!何か聞いちゃマズイ事言ったみたいですね!すみません。」

店長「いや、そういう意味じゃなくて…」

木山は、何かうまくまとめようとするが、言葉が見つからなかった。すると、達也が

達也「突然、刺されたんです。何者かに!」

翔「刺された?」

翔は言葉を失った。

店長「大丈夫だよ!命に別状ないみたいで来月には復帰できるから」

翔「そうですか?じゃあ、早く良くなるといいですね?」

うまく、まとまった感じだったが達也の表情は暗かった。

それから、店はディナータイムに入っていて時計は夕方7時になろうとしていた。孝はバイトのあがりの時間である。孝はロッカールームで帰る準備をしていた。そこに、翔が来た。

翔「白川さん!お疲れ様です。」

孝「あ、お疲れ〜!」

翔「今日もデートですか?」

孝「え?それは…」

孝は何故かデートと言われてあきなの事が頭をよぎった。

翔「ハハハ!冗談ですよ!」

孝には翔の言葉が何故か重く感じた。するとまた、翔が

翔「白川さんて、彼女とかいるんですか?」

孝「え?彼女?まぁ、一応は…」

翔「いいですね!大事にした方がいいですよ!」

孝「あ、そうだね!」

孝には翔の言葉がかなり意味深に聞こえた。

孝「あ、じゃあ俺帰るから!お疲れ〜」

翔「お疲れ様でした。」

孝は逃げるようにして、店を出た。

孝「あ〜!あいつと話すと何故か調子狂うんだよな〜!」

孝は一人つぶやきながら帰っていた。すると、立ち止まって

孝「最近、会ってないな」

孝は携帯を取り出した。そして、恵美に電話した。しかし、何度鳴らしても出なかった。

孝「また、平田と会っているのかなぁ〜!」

あきなに少しづつ惹かれながらも、孝は恵美の事を考える度に不安になっていた。自分の中でいくつもの複雑な感情が交差していた。そして、辺りは会社帰りのサラリーマンで溢れていた。結局考え事をしながら、周囲のざわめきに反して、一人孤独を感じながら帰って行った。その後、孝には恵美から返信の電話もなかった。



恵美は会社の同僚と昼食をとっていた。

「あ〜あ、なんで日曜なのに休日出勤、何だろう?全くついてないな〜!おまけに休日出勤手当はなくて代休で処理するなんて…」

そう言っているのは、恵美と同じ会社の同僚で、彼女の名前は森山茜(もりやまあかね)25歳で、恵美を平田のいた合コンに誘った張本人である。

恵美「しかたないよ!仕事が忙しい時期は…。」

恵美は普通にあきらめた感じで言った。茜はやりきれない表情だった。そして、思い出したように

茜「ねぇ、恵美!この前の合コンどうだった。何か収穫あった?」

恵美「収穫って!何?その言い方?」

茜「平田さんとどうなの?何かあったの?」

恵美「別に何もないわよ!」

茜「え〜本当に何もないの?連絡先も交換したのに?」

茜は探るように恵美の顔を見ながら言った。

恵美「ま、まぁ、一回だけ食事には行ったけど…。」

茜「本当?やったじゃん!いいなぁ〜!」

恵美「いや別に!いいなぁ〜て言われても…。ただ食事に行っただけで…」

茜「だって、平田さんは会社の社長で、結婚すれば恵美はセレブじゃない?」

恵美「いきなり、結婚て!たまたま、夕方にばったり会ってお互いに時間があったから一緒に食事に行っただけで!それに、孝の事もあるし…」

恵美は少し返答に困っていた。

茜「孝?今の彼氏?でも、ほとんど会ってないんでしょう?」

恵美「そうだけど…。今はね!」

茜「乗り換えちゃいなよ!」

恵美「乗り換えるって…。」

茜「彼氏と言っても、別に会ってないんでしょう?それに、将来の事もわからないフリーターでしょう?恵美だって、もう決める時期じゃないの?」

恵美「決めるって?」

茜「それは、結婚でしょう?」

恵美「まだそんな…。」

恵美は、ため息混じりで答えた。そして

恵美「そういう、茜はどうなの?この前の合コンで何もなかったの?」

茜「全然!どれも、パッとしない男ばっかり!平田さんのような出来る男は恵美に夢中だし…」

恵美は慌て

恵美「だから、そんなんじゃないよ。別に私に夢中とかって言われても…」

茜「じゃあ、恵美はどっちなの?この先どうなるかがわからないほとんど会っていないフリーターの男と恵美の事を本当に好きだと思って会いたいと思ってくれている仕事の出来る男!」

恵美は答えに困っていた。考え込んだ。すると茜は

茜「答えは一目瞭然!いいな〜!恵美は!」

恵美は半分ふくれた表情をしながらも何故か反論する気にならなかった。

茜「じゃあ、今日は仕事終わりにパァッ−と飲みに行こうか?理不尽な休日出勤だし!」

すると、恵美は笑顔を取り戻したように

恵美「いいねぇ〜!面倒くさい男の事はたまには忘れて!」

茜「じゃあ、決定!」

茜は、微笑みながら言った。そして恵美は茜につられるように少しテンションが上がっていた。すると、茜はバックの中から一冊の雑誌を出して、あるページを開いて恵美に見せた。

茜「ねぇ、今日ここに行かない?」

恵美「どこ?」

そこには宏の写真が載っていた。そして、宏の店が特集記事になっていた。

茜「渋谷にあるショットバ−なんだけど、その場であなただけのオリジナルカクテル作りますだって!何か面白そうじゃない?それに、ここに載ってるバ−テンダーの早坂さんて、ワイルドな感じでなんかかっこよくない?」

すると恵美は

恵美「え、そう?別のところにしない?」

茜「え〜!なんで?」

恵美「だって、仕事終わりだったらお腹も空いてるし、普通にご飯も食べれるところの方がいいじゃない?」

恵美は、少し焦ってうまく答えたが

茜「そうね〜!じゃあ、ご飯を食べた後で、ここでお酒を飲むってのはどう?」

恵美「え?」

恵美は反論する理由がうまく見つからなかった。

茜「じゃあ、それで決定!」

茜は満面の笑みを浮かべた。それに対して恵美は作り笑いをしていた。その後、二人は仕事に戻った。


一方、あきなは誰もいない事務所で広田から貰ったの名刺を見ていた。

「なんで、そんなところまで…」

あきなは本が知らないところまで広がりつつあると確信した。そんな考え事をしているとドアが開いた。そして、

「日曜なのに休日出勤か?」

ドアが開くと同時に問いかけられた。そこにいたのはヒデだった。

あきな「あ、先生!別に出勤という程でも…」

ヒデ「少しは休んだ方がいいをじゃないのか?休みなしで、朝から夜まで働いていては体が持たないぞ!」

ヒデは微笑みながら、優しく言った。あきなは、実際に疲れが溜まっていたせいか、敢えて反論もなく聞き流した。

あきな「先日、美幸さんに会いました。」

ヒデは少し驚いた表情で

ヒデ「そうか〜!元気だったか?」

あきな「はい、以前とはお変わりもなく…。あとやはり本は彼女の手元にありましたが、恋愛心理関数の最初の5冊だけと本人が言ってました。」

それに対してヒデは何も答えなかった。

あきな「それから、美幸さんは近いうちに、早坂さんと結婚するみたいで!」

すると、ヒデは笑顔になり

ヒデ「おお!それはよかった。もしかしたら、研究が何かの形で役に立ったという事かもしれんな〜!」

すると、あきなは

あきな「でも、先生!美幸さんは本を手放す気はないみたいです。」

ヒデ「それなら、仕方ないだろう!」

あきな「仕方ない?」

あきなは不思議そうにヒデを見た。

あきな「先生はそれでいいのですか?」

ヒデは何も答えなかった。

あきな「どういう事ですか?」

ヒデ「もう、本を取り戻す必要はないかもしれないという事だ!」

あきな「何故ですか?」

しばらく、ヒデは黙っていたが…

ヒデ「5年前に学会では大バッシングを受けた心理関数だったが、実社会では何かの形で、人の役に立っておる。誰かが、少しでも幸せに近づく事ができれば、その研究は一歩づつ成功に進んでいる。だから、本が役に立てば本望という事だ!」

あきなは少し下を向いて考えていたが

あきな「しかし、このままでは、今までの研究データや苦労が水の泡です。それに…、データ収拾のために知らない男と…。」

ヒデ「じゃあ、やめれば良い!データの集め方をおまえ自信で考えて、より真実の値に近づく事ができるデータの収拾方法でやれば良い。それだけだ!確かに実験、実測により、たくさんのデータを集めれば集める程その値は真実に近づく。しかし、方法はそれだけとは限らないのではないか?そして、最後には真実というのは…」

あきな「立証された後に価値が導かれる。ですね?」

あきなはすぐに、付け加えるように言った。

ヒデ「その通りだ。もうわしも長くない。おまえが、残りの人生で、未完成の心理関数という学問分野でどう向き合って何を導くかは自分しだいだ。わしは心理関数を提唱し、その有用性を伝えて、実験、実測を重ねて真実の値に近づく土台や方向性を出した。そして、今は企業の出資を受けて事務所を兼ねた秘密の研究室も設けた。あとはおまえの仕事だ。事実、会社での役職は、あきなは研究室長でわしはただの運転手だからな」

そう言って、ヒデは笑顔を見せて立ち上がった。そして部屋を出た。


しばらくしてあきなは、事務所を出た。広田の家を訪ねるためだった。家は世田谷の高級住宅地にあった。いかにも政治家の家という雰囲気の門構えであった。外から見る限りは門から玄関までは約30メ−トルくらいはありそうな感じであった。あきなは辺りを見渡しながら、その門の前で少し立ち止まった。表札は広田と書かれていた。そして、インターホンを押した。

「どうぞ!」

向こうからは、あきな本人がわかっていたかのような、返答だった。しかし、見た限り防犯カメラらしきものは見当たらなかった。そして、あきなは玄関まで歩いた。途中、家庭菜園らしきものがあったが余り使われていない感じだった。玄関の前には、もう一つのインターホンがあった。あきなは、それを押そうとするとドアが開いた。

広田「わざわざ、ありがとうございます。」

広田は、あきなが来る事を待ちわびていたかのような感じだった。

広田「どうぞ、上がって下さい。」

あきなはスリッパを履き、正面のドアの向こうのリビングに案内された。中に入ると高い天井が広がり、白いピアノとその横には大きなソファーがあった。部屋の中には太陽の光が目一杯に降り注いでいた。あきなは、周囲を観察するように見ていた。

広田「今、お茶を入れます。ソファーに座ってゆっくりして!」

あきな「どうぞ、お構いなく!」

その時、あきなはたまたま、テ−ブルの上のうぐいす色の本に目がいった。

あきな「心理関数?」

無意識のうちに小声で独り言を言った。広田は台所でお茶を入れていた。あきなは、本を手にとって読んでいた。すると、広田がお茶を持って来た。

広田「それは、恋愛心理関数21ね?」

あきなは、突然現れた広田に少し驚いたがすぐに平然として

あきな「そうですね!ところで、心理関数についてのお話とおっしゃってましたが…。」

広田「そうでした!それが今日の本題ですね?」

あきなは、本を見つめていた。すると、広田は

広田「実は、あきなさんにお願いがありまして…」

あきな「お願い?」

広田「心理関数についていろいろ勉強したいと思ってまして、そのためにも本をお持ちでしたら譲って頂けないかと思いまして!」

あきな「譲る?ですか?」

あきなは少し顔色を変えた。

広田「もちろん、タダでとは言いません。それなりのお礼は考えています。」

あきなは少し、考えた。そして、自分が本を探している事や、今は手元にない事などを伏せて

あきな「わかりました。でも、心理関数の実用書は闇価格では、1冊数億で取引されているとも聞きます。そのような物に私が巡りあえたとして、手に入れる事ができるかどうかわかりません。いったい、どこにあるか、それすら予想もつきません。」

あまり、自分とは関係ないという素振りで答えた。すると広田は微笑みながら

広田「大丈夫です。状況は把握していますから、連絡だけ頂ければ結構です。」

あきな「え?」

その言葉を聞いたあきなは、意外という表情をした。状況を把握しているという言い方にひっかかっていたが、その部分には特には触れなかった。

そして、あきなは

あきな「ちょっと、お聞きしたいのですが、現在心理関数を何冊お持ちですか?」

広田は、少しあきなを見つめて

広田「では、書斎の方に案内いたします。」

あきなは書斎に案内された。部屋中には小説、学術書などさまざまな分野の書物が並んでいた。そして、棚の一画に恋愛心理関数の実用書が通し番号10から40まで並んでいた。あきなは驚きと意外性で声が出なかった。すると

あきなは

あきな「ちょっとよろしいですか?」

広田「どうぞ!」

そう言いながら、あきなは本を取って開いて見た。中身は確かに本物だった。そしてあきなは

あきな「失礼かもしれませんが、数億で取引されると言われているこれらの本をここまで揃えるのは大変かと思われます。どこから入手されたか、教えて頂けないでしょうか?」

すると広田は、一瞬、難しい顔をしたが普通の表情になり

広田「それは、お教えはできません。」

何故か広田は笑顔になっていた。あきなには広田の後ろに何か見えない権力のようなものを感じていた。そしてあきなは

あきな「今日はありがとうございました。では、夕方から用事がありますので、この辺で!」

広田「また、お会いできるといいですね?では、何かわかりましたら連絡下さい。」

あきな「わかりました。また、どこかでお会いできる日を楽しみにしています。」

あきなは完全に社交辞令だった。そして、広田の家を出た。

あきなが家を出た後、広田は電話をした。

「もしもし、広田ですが予定通り、あきなに心理関数の実用書を見せたわよ。」



そして日曜の夜8時!あきなからのデートの駄目出しを受けての名誉挽回のためとでも言うべきか?孝とあきなのデートの時間である。日曜の夜と言えどもこの街は静寂を写さない。まるで、街行く人が誰もがそれを許さないかのように…。孝は一足早く着いていた。いつもなら、あきなからの電話で呼び出されて、始まるデートも今日は違っていた。しかし、連絡先すら知らない、いや知る事も許されない以上、孝はただ待つだけだった。しかし、心の中では少しづつ、あきなに惹かれていて会いたいという気持ちと、今日のデートの自信の無さから来なかったら助かるという逃げの気持ちが交差していた。ただ、今の孝には街のざわめきに隠れて、不安を紛らすので精一杯だった。そして、今の自分が置かれている状況に疑問を感じていた。それは、あれ以来恵美に会っていない事である。会えない彼女から、会わない彼女?孝にとってはそれは既に恋人同士ではないかもという答えも少し見えていたが、受け入れる事ができなかった。時計はもうすぐ8時になろうとしていた。すると、孝の携帯がなった。相変わらずの非通知だった。

孝「もしもし!」

あきな「もう、着いてる?」

孝「はい、モアイ像のところにいます。」

あきな「じゃあ、今からそちらに行くわ。ちょっと待ってて!」

電話はすぐに切れた。孝は、緊張していた。鳴り止まない心臓の鼓動を感じていた。そして、人混みの中から、あきなは現れた。しかし、最初のデートの時のような笑顔はあきなにはなかった。その表情がますます孝の緊張感を高めていた。あきなは孝に会うなり

あきな「今日はどうするの?」

孝にはそのあきなの雰囲気が、かなり上目線で挑発的にも、試されているようにも感じた。

孝「今日は、任せて下さい。」

しかし、孝には特に何か自信があるデートプランがあった訳ではなかった。

今、目の前のあきなは孝には何かよそよそしい態度に見えていた。そして孝は

孝「じゃあ、行きましょう。」

どこか、緊張しながら言った。しかし、あきなは無言だった。その表情はつまらない感じだった。あきながリードをするデートでは、自分から孝の腕に掴まっていたが、今はその素振りはなかった。孝もまた、いつもと違う雰囲気を感じていた。するとあきなが

あきな「ねぇ、孝!」

前を歩いていた、孝を呼び止めた。

孝「はい!」

孝はいつもの敬語口調で答えた。

あきな「私達って、恋人同士じゃなくて?」

孝「…」

孝は言葉が出なかったが、嬉しさと戸惑いで複雑な気持ちだった。もちろん、戸惑いは恵美の事が頭にあったからである。

あきな「自分の彼女が後ろを歩いているのに、振り返りもせず先に行くのって不自然に思うのは、私だけかしら?」

あきなは少し、無愛想な表情で、嫌味混じりな言い方をした。しばらく、あきなは孝を見つめ、二人の間に沈黙が走った。そして、あきなは突然、笑顔になり孝の手を握った。

あきな「これくらいは、しないと、彼女が迷子になるでしょう?」

孝はあきなの見せた一瞬の笑顔で、どこか安心した。二人は人混みの中を歩いた。孝はさっきまで、行き先は定まっていなかったが、前に恵美と行ったお洒落なダイニングバ−を思い出した。そして孝は

孝「今日はいいところがありますので任せてください。」

するとあきなは笑顔で

あきな「じゃあ、お任せします。」

孝にはそのあきなの笑顔が何よりも嬉しかった。今の孝は恵美の笑顔のためでなく、あきなの笑顔のために何か努力していた。しかし、孝はそれを自分で気付いていながらも恵美の事がどこか頭から離れなかった。一瞬、孝は歩きながら考えていたが、隣にいたあきなを見て、無言の笑顔になっていた。しかし、あたりはすごい人混みである。二人の間に会話はなくても、周囲のざわめきが沈黙を埋めてくれているように孝は感じた。そして、その中をくぐり抜けるように進んだ。孝はあきなが離れないように手を握ったままだった。すると、孝はすれ違う人混みの中から見た事のある姿が目に入った。恵美だった。孝は黙って自分の左側を恵美が通り過ぎると思っていたが、タイミングが良いのか悪いのか、恵美は孝に気付いた。

恵美「あ!孝?」

名前を呼ばれた、孝は一瞬冷や汗が走った。そして立ち止まった。すれ違う瞬間の恵美の言葉と周囲のざわめきが、孝の中できれいに分離されたように聞こえていた。恵美の隣には会社の同僚で友達の茜もいた。茜は驚きを我慢するように孝とあきなを見ていた。孝は少し、俯きながら言葉が何も出なかった。また恵美は黙って驚きの表情とともに、孝とあきなを見ていた。周りのざわめきだけが止む事なく、4人の間の沈黙を包み込んだ。すると、その沈黙を破るようにあきなは

あきな「孝のお友達?」

あきなは、以前に車の中から恵美を見て知っているにも関わらず、敢えて隣にいた孝に聞いた。その質問の瞬間、あきなの手の握力が強くなった。それを感じた孝は、見えない、強制的な物を感じた。孝は、あきなの質問に対して

孝「は、はい!」

その一言が精一杯だった。恵美は孝とあきなの手を繋いでいる様子を興味深く見つつも、

恵美「孝!そちらの女性は?」

少し、力の抜けた聞き方をした。

孝「えっ?」

孝は全く言葉が見つからなかった。前に達也とコンビニで偶然にあった時とは、遥かにそれを凌ぐ気まずい雰囲気を感じていた。するとあきなは

あきな「どうも、孝とお付き合いをさせて頂いています。」

孝「え?」

あきなは、孝の手を強く握ったまま笑顔で言った。それに対して孝は、意外な表情をした。

恵美「お付き合い?」

恵美は、疑問を感じているように言った。しかし、孝は無言だった。恵美の隣にいた茜は非常に興味深く観察するように見ていた。すると、あきなは再び孝に

あきな「孝のお友達?」

強く手を握ったままで言った。



孝は、すべてが最悪の方へ向かっていると感じていた。そして、孝はあきなの質問に対して

孝「こちらが、森山さんで、こちらが恵美さんで…彼女です。」

孝は最後に力を振り絞るように一言付け加えて言った。そして、あきなの顔色をうかがいつつ、恵美の顔色も伺っていた。するとあきなは

あきな「そう!孝の彼女なんだ!かわいい子ね。」

普通に笑顔で答えた。それを見た孝は一瞬、今の状況が良いか悪いかよくわからない状態に陥った。ただ、恵美に笑顔はなく、呆れた様子だった。茜は手で口を押さえて、笑いをこらえていた。すると恵美は

恵美「じゃあ!」

ただ、その一言だけ言って一人立ち去った。そして、近くいた茜は

茜「あ、じゃあ、白川さんお幸せに!」

そう言って、先に行った恵美を追い掛けた。しかし、孝には後味が悪いものをたくさん残した会話だった。隣にいたあきなは孝の手を握ったままでまるで何もなかったような表情だった。

そして一人でさっさと歩いていった恵美は機嫌が悪かった。茜を残している事も気に止めずに歩いていた。しばらくして、茜が恵美を後を走って追い掛けてきた。

茜「ちょっと、恵美待ってよ!」

恵美「何?」

恵美は少し怒り気味だった。

茜「ちょっと落ち着いてよ!」

茜は微笑みながら、恵美をなだめるように言った。しかし、恵美は少し膨れ顔で、早歩きになっていた。そして、茜は走って恵美の前に回り込んで

茜「ちょっと、待って!冷静になって…。と言ってもあの状況じゃ…」

恵美「ちょっと、そこどいて!私、今日はもう帰る。」

恵美は茜をよけて、駅に向かって歩き出した。そして、赤信号で二人は止まった。そして、茜は不機嫌な恵美を横から覗く感じで

茜「ねぇ、恵美!飲み直そう!まだ、8時過ぎだし今日はパァ−ッと」

茜は恵美を励まそうとして言った。恵美はため息をついた。そして

恵美「飲み直すってどこで?」

茜「前に言ってたあのショットバーよ!そこに行こう!」

茜は笑顔だった。それに対して恵美は戸惑いながら

恵美「え?やっぱり、帰る。また、今度にしよう?」

逃げるように言った。すると茜は

茜「え〜!何で?この前、雑誌に載ってたから、その時から誘ってたのに…。何か、そのショットバーに行くのを、意図的に拒んでない?」

茜は恵美から目を反らす事なく見つめて言った。

すると恵美は開き直ったように

恵美「わかったわよ!行けばいいんでしょう!でも、今日の私は傷心の身だから、茜のおごりで付き合ってもらうからね?」

茜「はい、はい!」

茜は、恵美のわがままに今日ばかりはいいかと思った。そして、二人は宏のショットバーの地下に続く階段の手前のところに来た。

茜「へぇ〜、なんか秘密の場所って感じのお店ね」

茜は、非常に嬉しそうにしていた。そして、看板を見た。

茜「女性限定、その場であなただけのオリジナルカクテル作ります。だって〜!どんなカクテルを作って貰えるんだろう?楽しみ!」

茜はかなりテンションが上がっていたが、恵美は逆にテンションが低かった。それを見た茜は

茜「今日は、気分を変えて行こう!」

茜は恵美を励ますと同時についに来たという、達成感を感じていた。そして恵美は

恵美「あ〜あ結局、今日はパァ−ッと、とか言いながら、なんか茜が来たいから付いて来た感じ!」

恵美は、まだ機嫌が直ってなかった。

茜「まあまあ!そう言わずに!」

茜は、オリジナルカクテルをすごく楽しみにしているという感じだった。そして、二人は地下に続く階段を降りて店のドアを開けた。

「いらっしゃっませ」

店の奥から宏の声が聞こえて来た。

茜「あの〜、二人ですけど…」

宏「奥のカウンターの席にどうぞ」

そう言って二人は案内された。茜の後ろに付いて恵美も店の中に入って来た。それを見た宏は敢えて、声をかける様子もなく普通に仕事をしていた。恵美もまた、宏に声をかける様子もなく普通にカウンターの椅子に座った。宏と恵美には知り合い以上に距離があった。今の二人は普通に店員と客という関係であった。そして、店内には、茜と恵美以外に、黒のコ−トを羽織ったままの男性が一人で猫背の状態で飲んでいるだけだった。恵美はその男性に見覚えあるような感じだったが…。

恵美と茜はメニューを見ていたが、茜は突然

茜「あの〜、雑誌を見て来たんですけど…」

宏「ありがとうございます。」

茜「オリジナルカクテルって作って頂けるんですか?」

宏「はい、大丈夫ですよ。」

宏は優しそうな笑顔で答えた。

茜「じゃあ、お願いしてもいいですか?」

茜は、期待を膨らませたような笑顔だった。すると宏は

宏「よろしければ、お名前とか、生年月日など教えて頂けると、カクテルにその人の色を反映させる事ができますが、どうでしょうか?」

茜は喜んで

茜「名前は茜です。あと誕生日は8月です。」

宏「あと、他に何か茜さんの個人的にカクテルに込めたい思いとかありますか?」

茜は、少し考え込んだ。すると

茜「彼氏募集中とか!ハハハ!」

ちょっと、笑いを入れて茜は言った。

宏「かしこまりました。それでも大丈夫ですよ!」

宏は、普通に受け止めて、棚に並んであるリキュールやウイスキーを眺めていた。その後ろ姿を恵美はどこか切ない様子で見ていた。それに対して茜は期待でいっぱいだった。しばらくして、カクテルが茜の前に注がれた。

宏「お待たせしました。どうぞ!」

カクテルはタンブラ−に入っていた。グラスの底は赤くなっていた。

茜「あ、どうも…」

茜は飲む前に、そのカクテルを観察していた。一見南国のジュースのように見えた。すると宏は

宏「名付けてオ−ガストパッション」

茜「オ−ガストパッション?」

宏「はい!8月が誕生日という事からオ−ガストパッションと名付けました。グラスの底の赤い色はグレナデンを沈めました。まさにパッションという情熱を表しています。テキ−ラサンライズからヒントを得て作りました。そのカクテルも、グラスの底に赤いグレナデンを沈めて作ります。サンライズという日の出は一日の始まり、ではそれが出逢いなら恋の始まりかもしれません。彼氏募集中の茜さんの思いを、モチ−フにグレナデンを沈めました。しかし、出逢いがあるだけではいけません。相手の男性を茜さんに夢中させるという意味で、アルコール中毒症の異名を取るデリリウムトレメンスというベルギービ−ルと、パッションフルーツの果肉入りジュースを混ぜた物がベースになっています。」

茜は興味深く話を聞きながら、そのカクテルを見つめていた。そして、一口飲んだ

茜「なんかすごく、飲みやすい!お酒とは思えないです。」

すると、宏は笑顔になって

宏「そうですね!アルコール成文はビ−ルのみですから!ハハ」

しばらく、茜は余韻に浸っていた。恵美は、隣でただ無言で特に笑顔もなく澄ました表情で、聞いていた。すると、茜が

茜「恵美も、なんか作って貰いなよ!」

恵美とは対称に笑顔で言った。すると、恵美は突然、我に帰ったように

恵美「え!私は違うのを頼むよ」

と言ってメニューを見始めた。すると

恵美「ヘネシ−をロックでお願いします。」

茜「え?」

その瞬間、茜は何かを疑っているかのように恵美を見た。そして、宏もわずかながら驚きの表情になった。すると、茜は小声で

茜「ちょっと…。恵美!」

茜は恵美が普段、頼まないメニューを注文した事に驚いていた。

恵美「何?今日は茜のおごりでしょう?」

恵美は少し、ふて腐れた言い方だった。もちろん、茜にはさっきの事が原因であるのはわかっていた。そして、茜は一瞬、自分のおごりという事を忘れていた。

茜「あ、そうだった!ここは私のおごりだったよね?でも、そんな強いお酒飲めるの?」

恵美「何、飲もうと私の勝手でしょう?」

茜「まあ、約束だからいいけど!ハハ」

茜は少し作り笑いをした。その後、値段を見て顔が一瞬ひきつった。また、表情には出さなかったが宏も内心、意外だった。何故なら、宏は恵美がウイスキーを飲めない事を知っていたからである。そして、宏もさすがに迷っていた。すると恵美は宏に向かって

恵美「できないですか?」

普通に聞いた。

宏「いえ!大丈夫です。承りました。」

そう言って、宏は作るべきかどうか悩みながら酒が並んでいる棚を見た。すると、宏は

宏「あ、申し訳ありません!今、ヘネシ−は切らしてまして…。」

宏は嘘を言って、別の注文をしてもらうつもりで言ったが、恵美は

恵美「ちょっと、その棚の右上にありますけど…。」

宏の嘘はすぐに見破られた。

宏「あ、申し訳ありません!見落としてました。」

宏はすぐに開き直って謝った。

恵美「ちょっと、いったい何なの?そうやって、みんな…私に嘘をつくの?」

そう言って、さっきの孝の件のすぐ後もあって恵美は目に涙をためて、今にも泣き出しそうな雰囲気だった。

茜「いや、そうじゃなくて…」

茜は泣き出しそうな恵美を見て、一言付け加えた。それを見ていた宏は、何もフォローできずにいた。そして、恵美は少し俯いて静かに涙を流した。茜も宏も、無言になっていた。すると

「あんまり、強いお酒は飲まない方がいいんじゃないですか?」

カウンターの反対から誰かが言った。茜も恵美も振り向いた。そこにはカウンターの反対側で飲んでいたヒデがいた。宏はそれを見て微笑んだ。猫背で飲んでいた男性はヒデだった。恵美は、振り向いた瞬間、あの時の事を思い出した。

ヒデは少し微笑んでいた。

ヒデ「カクテルに何かの思いを込めて作っているバーテンダーに、自分にとって時には毒になるかもしれない酒を作らすのはよくないねぇ〜!」

そう言って、ギネスを一口飲んだ。それを聞いて恵美は何か意識を取り戻したように、下を向いた。そして

ヒデ「まぁ、自分も人の事を言えた身分じゃないが…。ハハハ!」

ヒデは軽く笑って、ギネスを飲み干した。そして、何か物思いにふけって、一人だけの世界に入っている様子だった。それを見て、恵美は再びメニューを取って見た。すると、

恵美「じゃあ、私も自分のカクテルを作って貰おうかな?」

宏「はい!かしこまりました。」

恵美は、しかたないという感じで言ったが宏は微笑みを見せて、無言でシェイカーを取った。すると恵美は

恵美「私には、何か聞いてくれないのですか?」

宏「あ!そうですね!ハハハ!…申し訳ありません」

宏は忘れてたというより、作る物が自分の中で既に決まっていたため、恵美の一言は少し意外だった。また、宏は客と店員である事を一瞬忘れていた。そして、真顔になって

宏「何か、カクテルに込めたい思いとかありますか?」

恵美「お任せします!」

恵美は即答だった。隣にいた茜は、宏と恵美のそのやり取りを不思議に思いながら見ていた。そして宏は

宏「ありがとうございます。」

笑顔で答えた。宏は何か自分が試されているような状態の中で、心の中では恵美らしい一面が見えたと思い嬉しかった。しばらく、宏は考え込む様子もなく普通にカクテルを作った。そして、ワイングラスに入ったカクテルが恵美の前に置かれた。

宏「2月の雨でございます。」

恵美「ありがとう。」

茜「え?」

茜はまるで、絵に書いたような、二人の光景を不思議に思った。すると

茜「何で、2月の雨なんですか?」

茜は興味深くカクテルを見ながら宏に聞いた。

宏「雰囲気的にかな!」

宏はただ、その一言だけであとは無言の笑顔だった。

茜「雰囲気的に?」

茜は不思議そうに二人を見ながら茜は恵美に

茜「ちなみに、そのカクテルどう?」

と聞いた。すると恵美は

恵美「バッチリ!」

いかにも当たり前という感じで飲んでいた。

宏「ありがとうございます。喜んで頂けて光栄です。」

宏は心の中で、バーテンダーとして、一つの課題をクリアーしたと感じていた。しかし、茜はいろいろ不思議そうに見ながら逆にたくさん疑問を感じていた。すると

ヒデ「バリア−シグナルですよ!」

ヒデは不思議そうにしている茜の方を見て言った。茜は突然、意味不明な事を言われた感じで

茜「なんですか?それ」

普通に聞き返した。

ヒデ「言葉を多く語らずとも、お互いの間に無意識のうちに発生している二人だけしか理解できない信号の事です。信号とは言い換えればサインです。そのサインは第3者からはバリア−のような物で封じられているように感じ、何も見えず理解できない物です。」

茜「それって?意心伝心って事ですか?」

ヒデ「それに近いかもしれませんね!」

茜「それじゃあ、二人は心が通じ合っているとか?」

ヒデ「どこまで、通じ合っているとかはわかりませんが…!」

すると、宏が

宏「ちょっと、ヒデさん!変な分析はしないで下さい。」

宏は、わずかな微笑みを含めた表情で言った。

ヒデ「あ〜!申し訳ない。ハハハ!ついつい、昔の仕事の癖が出てしまって…。じゃあギネスをもう一杯頂こうかな!」

ヒデは、少し別人のように語っていたが、宏に注意されて、我に帰ったようになって言った。

茜「昔の仕事の癖?」

茜の頭の中にはまた、新たな疑問が湧いて来た。そして、茜はグラスを拭いている宏を一瞬見た後、隣で無言でカクテルを飲んでいる恵美を見比べるように視線を向けた。すると恵美は

恵美「どうしたの?」

茜「え?あ、いや何でもない!」

と茜は、言いながらもやはり心に留めておく事ができなかったのか、恵美に小声で

茜「ねぇ!もしかして、恵美と早坂さんはお似合いだったりして?」

すると恵美は焦って

恵美「な、何を言ってるの…。まさか…」

恵美の反応に茜は黙って笑顔で答えた。しかし、茜は宏と恵美の間に何かあったのでは?という答えまではたどり着かずに、何かあったらおもしろかもという考えで、目の前のオリジナルカクテルを飲んだ。そして、店の中には静かなBGMだけが流れる時間が続いた。恵美はカクテルを前に自分だけの世界に入っていた。恵美は、久しぶりに偶然に会った孝の事、隣にいた女性の事、あらゆる疑問が頭の中で交差していた。隣の茜は、傷心気味の恵美を気遣うように、敢えてそっとしておいた。そして、茜の視線はグラスを拭いている宏の方にもチラチラと行っていた。



あきなとデート中の孝はあってはならない偶然が不運をもたらしたと思っていた。今の孝の頭の中には目の前のあきなより恵美の事の方が勝っていた。ただ、それはあきなとのデート中に恵美に出会ってしまったからだった。隣のあきなはさっきの事は何もなかったと思っているのか、全く気にしていないように孝には見えた。恵美はあきなとは逆にかなり気にしているだろうと孝は思っていたが、それは、本当の彼女と擬似恋愛の彼女との違いだろうと、自分の中でそういう答えに行き着いた。そんな、考え事をしていると、あきなが

あきな「もしかして、孝の行こうとしているお店って、そこの左を曲がったところのダイニングバー?」

孝「え?そうですけど…。」

すると、あきなは笑いながら

あきな「そこなら、今日は休みよ!」

孝「本当ですか?」

そんな会話をしながら、目的の店の前に着いた。

あきな「ほらね!」

あきなの言った通りに、店は休みで閉まっていた。孝はなぜ、あきなが店が休みである事を知っていたのだろうか?と思ったが、やはりあきなにとってデートなんか日常茶飯事でいろんな店を知ってても不思議ではないと孝は推測した。そして、店が休みのため孝は、何か気まずい感じになると思い少し困っていた。すると、あきなは笑い出した。そして、笑顔で

あきな「しかたないわね!どこか適当なところを見つけて入りましょう!」

孝「え?あ、そうですね?」

孝はてっきり、あきなからまた駄目出しを受けると思っていたため、あきなの言葉は意外だった。その後、二人は歩きながら店を探した。探している間、孝は恵美の事がずっと、頭から離れなかったせいか、口数も自然と減っていた。案の定、あきなはその様子を逃さなかった。

あきな「孝!さっきからどうしたの?元気がないけど…。」

孝「いや、そんな事ないですよ!元気ですよ!ハハハ!」

孝は完全に空元気だった。しかし、孝はあきなに恵美の事が気になっているとは言えるはずもなかった。何故なら、また仕事だと言ってあしらわれるとわかっていたからである。また、車の中で一度蹴られた時のあきなの怖さも、無意識のうちに孝は植え付けられていた。その時、孝はあきなのどうしたの?という言葉に疑問を感じた。誰がどう見ても、さっき恵美と出会った事が原因で、今の自分のテンションが下がっているのは明白である。にもかかわらず、なぜあきなはそんな答えのわかりきった質問をするのか、孝には理解できなかった。いろいろ、考えているとあきなが

あきな「孝!あそこにしましょう。」

あきなが見つけた店は、表には、オ−プンテラスのあるカフェタイプの居酒屋だった。孝は、あきなの選んだ店を見て、普通にセンスがいいと感じていた。そして孝はやはり、あきなのような女性はデートなんか日常茶飯事であり慣れているのだろうと再び、心の中で思い、結局リードも何もできない自分を少し情けなく思った。二人は店に入った。しかし、冬から春に移り変わる時期もあってか、オ−プンテラスはあまり使われていない様子だった。たぶん、夏になるとかなりいい雰囲気にはなるだろうと孝は思った。店内には、数名の外国人が、ビ−ル片手に豪快に飲んでいるだけだった。

あきな「2人ですけど」

あきなは入り口で店員に言った。すると

店員「今日は日曜で、ラストオ−ダ−は10時になりますがよろしいですか?」

あきな「それでもいいです。」

あきなは孝に相談する素振りもなく、一人で決めた。結局ここまで、すべてはあきながデートを仕切った感じになってしまった。それを見てまたも、孝は自分を情けなく思った。そして、二人は店員に若干薄暗く演出されているような店内を案内されてテ−ブル席に座った。

あきな「孝!ちょっとトイレに行って来るから何か頼んでて!」

孝「はい!」

すると、孝はこれは前回と同じ光景だと感じた。そして、あきながトイレに行っている間に何か飲み物を頼んでおこうと思った。しかし、そんな孝は自分に少し「俺って何やってんだ!」と思った。それは虚しさの感じる小さな努力だった。そう思いながらも店員を呼んだ。

孝「えっと、生中一つと…」

店員「生をお一つ。」

孝「えっと…」

すると、孝は一瞬止まった。あきなの分は何を頼めばいいのかわからなかった。それもそのはずである。あきなは「何か頼んでて!」としか言わなかったからである。しかし、よく考えてみると、今さらであるが孝は、ほとんどあきなの事を知らない。ただ、契約書により知る事が許されないかもと思っていたのも事実だった。しかし、孝は、やはりあきなの事をいろいろ知りたいと思った。それは、どこまでが契約書の内容に反するかは、今の孝には考える余地すらなかった。そして、

孝「あと、生をもう一つ下さい。」

店員「はい、かしこまりました。」

しばらくして、あきなはトイレから戻って来た。するとあきなは

あきな「何か頼んだ?」

と孝に聞いた。すると

孝「とりあえず、生を二つ頼みました。」

孝は、少し緊張しながら言った。

あきな「あ、そう!ありがとう!」

あきなは普通の反応だった。孝はとりあえず、ホッとした。しかし、今の孝は不安だらけだった。恵美に運悪く出会ってしまった事や、今のあきなとのデートで結局、自分は何も出来ずに、あきなに仕切られて進んでいる事など、自分自信の無力さを感じていた。すると、あきなは

あきな「何か食べ物も頼みましょう?」

孝「あ、そうですね!」

孝は考え事をしていて突然、話かけられて焦って返事をした。すると孝は

孝「あきなさんは好きな食べ物とかありますか?」

あきなについて、いろいろ知りたいと思う気持ちからか、話の流れで聞いた。あきなは少し、微笑んで

あきな「パスタかな!」

軽く孝を見つめていた。しかし、孝は何故かあきなの視線が自分に向いた瞬間、目を反らしてしまった。嬉しさと緊張感の両方が混ざった状態だった。

孝「じゃあ、パスタを頼みましょう。あとピザも一緒に!」

あきな「そうね!」

二人は一枚のメニュー表をそれぞれ、端を持って見ていた。孝はメニューを見ているあきなの横顔をドキドキしながら見ていた。すると、先に頼んでいた生が二つ運ばれて来た。そして、食べ物を注文した後、二人は乾杯をして、まず一口飲んだ。少し、アルコールが入ったせいか孝はスイッチが入った。それはあきなの事をいろいろ知りたいと思ったためである。

孝「あきなさん!」

あきな「何?」

しかし、孝はアルコールが入っても緊張していた。知りたい事はたくさんあったが、何をどう聞けばいいか迷っていたが

孝「あ、あの、年齢とか聞いても…いいですか?」

あきな「27」

あきなは普通に答えた。

あきな「どうしたの?今更!」

孝「いやあ、そう言えば聞いてなかったな〜、と思って!ハハハ」

あきな「フフ!変なの?」

あきなは口を押さえて少し笑っていた。孝には、あきなにどこまで聞く事が可能かわからなかった。もちろん、それは契約書のせいである。もし普通に出会って付き合っていたら、この緊張感はないかもしれないと孝は思ったが、果たしてあきなのような女性を、普通に出会って落とす事ができるかどうか、それは疑問だった。そして、緊張感を紛らすように目の前のビ−ルを飲んで、

孝「あきなさんて、彼氏とかいないのですか?」

あきな「孝が彼氏でしょう?」

孝「え?あ、そうですね?ハハハ!」

孝は、忘れていた。

あきな「あと10ヶ月くらいだけどね!」

孝「…」

孝は無言だった。あきなのその一言は重かった。やはり、期間限定の恋人であると改めて思いしらされた。しかし孝は、あきなに悟られないように作り笑いをしていた。すると注文した料理が運ばれて来た。孝は黙って、あきなの分を取り分けた。

あきな「ありがとう。」

あきなは笑顔で答えた。孝はその笑顔が嬉しかったが、あと10ヶ月という言葉に素直には喜べなかった。そして、恵美の事が再び頭をよぎった。今の孝は、揺れていた。答えも出せないあいまいな関係が続いて良いはずがない事もわかっていたが、何も出来ないのも事実だった。その後、二人は10時過ぎに店を出た。孝とあきなは手を繋いで歩いていた。知らないうちに裏通りに来ていた。

あきな「孝!次はどこに行く!」

孝「え!はしごですか?さっき、結構飲み食いしたし…」

するとあきなは

あきな「何をバカな事を言ってるの!」

あきなは呆れた表情で言った。そして

あきな「あれ、見えないの?」

孝「え?」

あきなが指差した方向は渋谷のラブホ街だった。

孝「え、いいんですか?」

孝は高鳴る胸の鼓動を感じていた。

あきな「今日は孝がリードする約束じゃなかった?」

そう言いながらも結局あきながリードして、すべてを仕切っている状態だった。孝は何故か、かなり緊張していた。それは、相手があきなだからという理由だけではなかった。この時、孝はホテルに行けばこれはもう確実に浮気であると思っていたからである。

あきな「どうするの?さっさと決めて!」

あきなはしびれを切らしたように言った。あきなから誘ってくるとは孝にとっては、まさに願ってもないチャンスだった。普通ならこんな綺麗な女性と一緒に…と胸を弾ませるが、今の孝には自分の目の前の欲望だけを満たす勇気が出なかった。そして、孝は

孝「あきなさんは、本当にいいんですか?」

あきな「お互いによければそれでいいんじゃないの?何をそんなに、何度も確認するの?あまり、そういう事を何度も女性に聞くなんて、あなたのデリカシ−を疑われてしまうわよ!」

あきなは少し、怒り気味だった。すると孝は

孝「いや、そうじゃないです。なんて言うか、うまくは言えないですが…」

しばらく、孝は間をおいて

孝「やめましょう。」

少し下を向いて、どこか自信がない様子で言った。

あきな「だったら、最初からそう言えばいいのに!」

あきなは呆れた表情で孝を置いて駅の方向へ歩き出した。そして孝は

孝「あきなさん!ちょっと待って下さい。」

あきなの後を追って言った。

あきな「何?」

あきなは怒り口調だった。孝はあきなを引き留めるような感じで腕を掴み

孝「待って下さい。僕にはあきなさんの事が何もわかりません。」

あきな「だから?」

あきなは無表情で答えた。さらに孝は

孝「でも、何故かデート中いつもあきなさんの事が気になってて…。あきなさんは自分にとっては憧れの女性というか…。」

孝は言葉につまりながら言ったが、今はそんな遠回りのような言い方で精一杯だった。それは、告白とは違う、気持ちを伝えるには程遠い物である事は孝自信わかっていた。そう思いながらも、孝は無意識とも、勢いともわからない状態で突然あきなを抱きしめた。その瞬間あきなは一方的に抱きしめられたままで固まった。周りの通行人は二人をチラチラと見ながら通り過ぎていた。二人には辺りの車や行き交う人のざわめきだけが聞こえていた。しばらく二人は無言で動かなかった。孝は、あきなの華奢な肩を包むように固まっていた。あきなは突然の事で固まっていたが抱きしめられたままで

あきな「心の奥の不安をこれで埋めたつもり?」

孝「あ!」

孝は突然、意識を取り戻したように、あきなから離れた。

孝「すいません!つい…」

孝は小声で申し訳なさそうに言った。すると、あきなは笑いながら

あきな「フフ!気持ちの整理がつかないとやっぱり、やる事も中途半端ね!」

孝「え!気持ちの整理?」

あきなは多くを語らなかったが、孝はすべて見透かされていたと感じた。そして、あきなは再び一人で歩きはじめた。孝はあきなの後ろ姿をしばらく見つめていたが、また後を追いかけて

孝「送らせて下さい。」

孝はあきなの前に周り込んで言った。すると、あきなは黙って、わずかな微笑みを浮かべながら孝の前に左手を出した。そして、二人は手を繋いで駅に向かって歩き出した。

たくさんの人混みの中でただ流れるように、孝とあきなは手を繋いで歩いていた。あきなは孝に話かける様子は全くなかった。付き合っていると言っても、何度デートをしても、手を繋いでも、逆にあきなから腕に抱きつかれても、孝にとっては形式的に完璧な恋人というだけで、孝があきなに気持ちが入れば、入る程、満たされない物が増えるだけだった。そして、結果的に自分に足りない物にたくさん気付き、あきなを遠くに感じてしまっていた。そして、それに比例するかのように恵美も同時に遠くなるという、まさに「二頭を追う者は両方をも得ず」ということわざの意味を思い知らされた気分だった。しかし、孝には両方を得るという気持ちがあった訳ではなかった。恵美と付き合っていたら、あきなという女性が現れて少しづつ惹かれ始めたというそれだけのはずだったが、それだけの事が複雑な心境を作り出していた。今、隣で手を繋いでいる、あきなの手の温もりは孝にとっては手の平だけで消えてなくなるものでしかなかった。

しばらく歩いて二人は駅に着いた。

あきな「じゃあ、孝!今日はお疲れ様」

あきなは笑顔で小さく手を振った。すると孝は

孝「お疲れ様!?」

あきなは孝に笑顔を見せて改札の中へ消えて行った。そして、孝は不自然さを感じた。「お疲れ様?」やはり、あきなにとっては契約通りビジネスなのかと思った。しかし、孝のあきなに対する気持ちは大きくなるだけだった。


一方、宏のショットバーでは、恵美はオリジナルカクテルを飲み終わろうとしていた。そして恵美は茜に

恵美「次、行っていい?」

メニューをとって見始めた。茜は恵美のふっ切れたような様子を見て

茜「恵美!ちょっとペース早いんじゃない?」

そう言いながら、茜は財布を少し気にしていた。

恵美「そう?」

茜には、いつもの恵美に戻りつつあるように見えた。すると

茜「ねぇ、恵美…。もう、彼氏の事はいいの?」

茜は探るように聞いた。それに対して恵美は少し怒り口調で、

恵美「いい訳がないでしょう?全く…。絶対!許さない−!」

少し、興奮したのか声を張って大声で言ってしまった。すると、宏とヒデは恵美の方を振り向いた。

恵美「あ!ごめんなさい。」

恵美は我に帰って謝った。隣にいた茜も一瞬、熱くなった恵美を見て驚いていた。そして宏は

宏「ハハハ!大丈夫ですよ!」

宏は微笑みながら言った。

茜「ごめんなさい!」

隣にいた茜も謝った。

宏「大丈夫ですよ!」

宏の優しい笑顔に茜は少し見とれていた。そして、茜は小声で恵美に

茜「なんか、早坂さんてカッコよくない?あのワイルドな感じと優しい雰囲気のギャップ!」

恵美「そ、そう?ハハ…」

恵美は少しひきつった顔で苦笑しながら答えたが、恵美には茜が普通に宏にホの字という感じに見えた。そして、そんな茜を置いて、恵美は一人でメニューを見始めた。


宏「そう言えば、ヒデさん!先日、あきなさんが来ましたよ。」

ヒデ「あきなが?」

ヒデは知っていたが、あきなの事は知らないという素振りで答えた。

宏「はい一人で!美幸と久しぶりに会って、二人だけで話があったみたいで」

ヒデ「そうですか?」

ヒデは敢えて言葉数を少なく答えた。

宏「あきなさんから、連絡とかないのですか?」

ヒデ「いやあ、全くないですね〜!」

ヒデは全くあきなの事は知らないという様子で答えた。

宏「実は今、美幸と婚約中で、美幸からあきなさんの方に連絡してなかったみたいで!」

ヒデ「婚約中?おめでとうございます。」

ヒデは知っていたが、ここも敢えて初めて聞いた素振りを見せた。

すると、店のドアが開いて一人の客が入って来た。

宏「いらっしゃいませ!」

入って来たのは金田だった。

金田「まだ、大丈夫ですか?」

宏「はい!大丈夫です。そちらの席にどうぞ!」

金田は恵美と一つ席を挟んで座った。すると、ヒデは一瞬、金田をチラ見したが、その後は顔を隠すような感じでギネスを飲んだ。そして宏は

宏「何になさいますか?」

すると、金田はメニューを探していたら、

金田「あれ、メニュー表は…」

金田はたまたま、隣でメニューを見ていた恵美と目が合った。すると、恵美は驚いように

恵美「あ!ごめんなさい!どうぞ」

恵美は見ていたメニューを金田に渡した。

金田「ああ〜、どうも!ありがとうございます。」

金田は礼儀正しい様子でお礼を言って、メニューを見た。そして、

金田「ラムをロックでお願いします。」

宏「はい!かしこまりました。」

すると、茜は小声で恵美に

茜「黒の眼鏡なんか掛けてオタクっぽい割に、似合わないお酒を頼むよね?」

すると恵美も小声で

恵美「ちょっと、茜!いちいち男を見て評価しないで、聞こえたらどうするの?」

また、茜はさらに小声で

茜「だって、絶対にどう見てもオタクだよ!彼女いません、て感じじゃない?」

ちょっとバカにしたような感じで言った。そして、恵美もさらに小声で

恵美「ちょっと−。本当に聞こえちゃったらどうするの?」

と二人はヒソヒソ話をしていた。しばらくして

宏「お待たせしました。ラムのロックでございます。」

金田「ありがとうございます。」

金田は軽く礼をした。そして、一口飲んだ後、ヒデをチラチラと見ていた。

ヒデは店内で、周囲と孤立するように、自分だけの世界に入ってギネスを飲んでいた。しかし、金田はその様子を壊すように、ヒデを見つめていた。そして、何か言いたそうな雰囲気だった。また、茜は怖い物見たさで恵美を挟んでジロジロと金田を見ていた。すると、恵美は茜の視線に気付いて

恵美「ちょっと、茜!」

恵美は小声で言った。

茜「だって、なんか気持ち悪いよ。あの人!反対側のおじさんをジロジロ見てるんだもの」

茜も、また金田には聞こえないように小声だった。すると、恵美は

恵美「もう、行こうか?明日からまた仕事だしね?」

そして茜は

茜「そうだね?」

茜はとりあえず、目的を達成して、満足した気分だった。そして、茜は

茜「すみません!では、お会計をお願いします。」

宏「はい、かしこました。」

宏は伝票を確認しながら言った。その後、約束通り茜が会計を済ました。そして、二人は店を出る準備をして席を立った。茜は宏を見ながら、軽く会釈をして愛嬌を振り撒きながら店のドアを開けて先に出た。その茜の後を恵美はどこか、切ない表情でドアを開けた。宏は恵美が店を出るその瞬間、

宏「恵美!」

宏はとっさに名前を呼んだ。恵美は無言で振り向いた。その表情は笑顔であったがどこか、宏には悲しく見えた。そして宏は

宏「もう、泣くなよ!」

少し、微笑んで言った。すると、

恵美「また、そうやって子供扱い?」

少し膨れた表情になりながらも恵美は笑顔に満ち溢れていた。

宏「また、いつでも来いよ!」

恵美はしばらく、黙り込んで答えに迷っていた。すると

恵美「宏が寂しかったら来てあげてもいいよ!」

笑顔で答えた。そして、恵美がいなくなった。恵美が座っていた席を、宏はどこか哀愁を感じながら見つめていた。それから店を出た恵美はドアを閉めた後、その場で立ち止まって、何か堪えきれず涙が溢れ出て来た。無意識のうちに流れ出たせいか涙は止まらなかった。そして、泣きながら階段を登った。階段の上には茜が一人で携帯をいじりながら待っていた。恵美が泣いている様子を見た茜は

茜「恵美!元気出しな!浮気は、ちょっとした気の迷いだよ!」

茜は恵美の涙の理由を孝の事だと思っていた。しかし、茜の見当違いの励ましに恵美は特に何も、否定する事なく

恵美「ありがとう!」

普通に答えた。しかし、今の恵美は、心のどこかを漂う哀愁を消すためには涙を止める事より、涙を流す方が楽だった。



恵美と茜がいなくなった後、店内には静かなBGMが流れているだけだった。ただ、沈黙だけが続いた。その沈黙の中で金田は、ヒデをチラチラと見ていたが、ヒデはそれを意図的に無視しているかのように、一人だけの世界に入っていた。宏は、その金田の様子を不思議に警戒していた。しかし、3人の間には、依然として沈黙が続いた。しばらくしてヒデが

ヒデ「では、そろそろ帰ろうとするかな!」

沈黙を破るように言った。その瞬間、金田はヒデを見た。そして宏は

宏「ありがとうございます。」

宏は伝票を確認して、ヒデの会計をした。ヒデは無言で支払いをした。そして、金田を避けるようにして店を出た。その瞬間、金田はやはりヒデをジロジロと見ていた。それから再び、静かなBGMが流れる店内になった。金田は、グラスの中の氷を溶かしながら少しづつ、ラムを飲み続けた。宏は、グラスを拭きながら、金田の怪しい雰囲気をどこか感じながら意識していた。しばらくそんな感じで時間が過ぎて行った。そして、店は閉店の時間が近づいていた。そして、ドアが開いた。いつものように美幸が閉店の手伝いに来た。美幸は、金田に気付く事なく普通にカウンタ−の厨房に入った。

美幸「今日も、ご苦労さん!」

美幸は宏に小声で言った。

宏「こちらこそ、いつも、ありがとう。」

とお互いに感謝し合うような会話を交わした。すると、金田が

金田「すみません。ラム酒ロックをもう一杯お願いします。」

その瞬間、美幸は客が金田であった事に気付いた。そして、それと同時に顔色を変えた。そして、宏は美幸の反応に気付いた。それは、何か恐怖かまたは、嫌悪感かよくわからない物のように、宏には写っていた。宏はとりあえず

宏「ラム酒ロック!了解しました。」

と普通にオ−ダ−を受けて、ラム酒ロックを作り始めた。しかし、隣で洗い物をしている美幸のどこか不自然な反応が気になっていた。そして、美幸は宏とも金田とも顔を合わす事なく下を向いてグラスを洗っていた。宏は金田の前にラム酒のロックを置いた。

宏「お待たせしました。」

金田「ありがとうございます。」

金田は軽く礼をした。それから無言で氷を溶かしながら少しづつラム酒を飲み始めた。そして、しばらくして金田は

金田「根本さん!お久しぶりですね?」

宏「え?」

その瞬間、宏は意外な表情をした。美幸は、何かに怯えたような表情だった。もちろん、宏はその美幸の表情に気付いていた。そして、美幸は金田の問いかけに無視していた。しかし金田は

金田「根本さん!僕ですよ!金田です。」

金田は美幸の方を向いて行った。しかし、美幸は下を向いたままで返事すらしなかった。宏は、美幸の気持ちを察したように

宏「お客様、いえ金田様!こちらの女性は根本という名前ではありませんよ!早坂ですよ!」

宏は軽く何か、かばうような感じで言った。それを聞いて金田は

金田「そうですか〜!申し訳ありません!私の人違いでした。5年ぶりに、知人に会えたと思いまして、つい…。他人の空似でした。ハハハ!」

金田は軽く笑いながら言った。そして宏は

宏「そうですね!他人の空似で人違いという事もたまに、ありますよ!」

そう言って、宏は金田のその怪しげな雰囲気を感じてか、その場を切り抜けるような対応だった。そして、

金田「では、ここで失礼しようかな!お会計をお願いします。」

宏「ありがとうございます。」

宏は伝票を見た。すると金田は

金田「また、来てもいいですか?」

宏の方でなく、美幸の方を見て言った。しかし、美幸は無言だった。それを見て宏は

宏「また、お願いします。」

普通に答えた。それから、金田は会計を済まして店を出ようとした時、

金田「本が5冊もありましたら、立派なゲームの参加資格者です。」

そう言って、聞こえるような独り言を言って、店を出た。その瞬間、美幸は下を向いてグラスを洗っていたが、その状態で目を大きく開いて、驚いた表情になっていた。その様子を見た宏は

宏「変な人だったな!」

すると美幸は

美幸「宏!私、離れたくない!」

突然、抱きついて泣きそうになりながら言った。

そして宏は

宏「え!いや、離れたくないって俺達…結婚する予定だろう?」

敢えて、何も美幸に問う事なく、今の不安になっている様子の美幸だけを見てフォローした。しかし、美幸の言葉に疑問がたくさん残ったが、宏にはその疑問の解決方法は全くわからなかった。


宏のショットバーを出た恵美と茜は駅に向かっていた。渋谷の夜の人混みとざわつきは若干、減りつつも消える様子は全くなく、その中を二人は歩いていた。茜は恵美に励ましの言葉を一度かけたものの、その後の沈んでしまっている恵美の様子からうまく言葉が見つからずに無言になっていた。すると、恵美が

恵美「あ〜あ!今日は、なんか変な日」

恵美は突然、微笑みながら言った。その表情は茜にはどこか、元気を取り戻したように見えた。すると、茜は

茜「でも、恵美の彼氏の隣にいた女性ってすごい綺麗な人だったよね?」

軽い気持ちで言ったが恵美は

恵美「ちょっと、茜!それは孝の味方をしてるつもり?」

恵美は、ちょっとイラついた感じで言った。すると茜は

茜「いや!そうじゃなくて…。恵美の彼氏もなかなかやるじゃないって言うか…。」

茜の軽い気持ちの発言は逆効果で少し、恵美の機嫌を悪くしてしまった。

恵美「もう…本当に!」

恵美は少し呆れた表情ではあったが、元気を取り戻したような感じになっていた。

それから、恵美と茜はしばらく歩いてスクランブル交差点のところに来た。そして茜が

茜「じゃあ、私こっちだから!また明日、会社でね!」

そう言って地下鉄を指さした。そして恵美は

恵美「今日はお疲れ!なんか、茜に迷惑かけちゃったみたいで。ごめんね。」

恵美は少し笑顔を見せて言った。それを見た茜は

茜「全然!迷惑なんかじゃないよ!いつでも、相談にのるよ。では!」

そう言って、茜は地下に降りて行った。そして、恵美はJRに向かった。改札を通り、駅のホームで電車を待った。周囲には飲みに行った帰りという感じの人達や、日曜ではあるがス−ツ姿の人などさまざまな人がたくさんいた。それから、電車が到着して乗り降りする人でドア付近は混雑していた。電車内では運良く席が空いていた。恵美は疲れた様子でそこに座った。その座る瞬間、同時に自分の隣に見た事のある人が座った。ヒデだった。恵美は無意識に見つめてしまった。そして、偶然にヒデと目が合った。

恵美「あ!」

恵美は思わず、言葉に戸惑いながらも

恵美「先程はどうも!」

軽く会釈をしながら言った。しかし、ヒデは無言で恵美に軽く会釈で返した。その後、2人に会話はなかった。恵美はヒデを不思議に思ったが、警戒心はなかった。それから、電車に揺られながらヒデも恵美もそれぞれの帰路に着いた。


その頃、孝はあきなを見送った後、一人で渋谷の街で途方に暮れていたが、恵美よりも後に電車に乗って帰路に着いた。そして、孝はあきなに惹かれている自分と、恵美の彼氏という2つの自分の間で答えを出せずにいた。































知りたい事、知られたくない事、知らない方がよかった事、人の運命はどこに転ぶのがいいのかわかりません。

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