やる気なさげなエネミーズ
茂みの中からのっそりと現れたのは、騎士風の男だ。大柄でメイスを肩に担いでいる。
だが、大きな特徴はその目だろう。もっと熱血キャラが出てくると思いきや、非常に疲れ切った顔をしている。
所謂、死んだ魚のような眼、という奴だ。
「ええと、ちょっと待て。カンペを用意してきている」
しかも、カンペを堂々と読むやる気のなさっぷりだ。
うーん。いやまあ俺としてはどうでもいいわけなのだが……。
「お前にはいくつかの嫌疑がかかっている」
「穴掘ってモンスターを狩った罪、とやらか?」
言い当ててやれば、眉がピクリと動いてこちらを見た。うん最早顔に感情が書いてあるレベルだ。
いいな。こいつとポーカーをしてみたい。きっと楽しいゲームになるだろう。
そもそもの話、それを理由に何かがいちゃもん付けてくる、と言うのは簡単に想像つく話だった。というか想像出来なかったら馬鹿である。
先ず大前提として、穴を掘るという行為を嫌う人間が居るという情報があった。この虎尾の発言がそうである。
そして草を延々と毟っていれば、何だあいつは、と思われるだろう。一時間も穴を掘っていたり、カタパルトを設置すれば、変な奴だと噂も立つ。
それがこいつのような人間の耳に入るのも、納得いく話だった。
が、全然想定はしていなかったなあ。だってあの時は急いでいたし。
言い当てられた騎士様は咳払いを一回して、話を続ける。
「話が早くて助かる。その他にも過分なアイテムの利用と、場所の占有もある」
「ほうほう。つまり俺は犯罪者でお前は警察か」
「その通り。これより裁判を行うから直ぐに来るように」
なんて言っているが、メンドクセーという空気がムンムンだ。こういう正義漢はこんな時こそ生き生きとしていると思ったんだが。
軽くあしらってもいいし逃げても良い。が、少し気になるのでからかっても見たくなる。
「ところでその権力は何に保障されたものだ?」
「?」
「他者を拘束する権力の全ては何らかの保証があるものだ。警察ならば法的な裏付けだな」
「ええと、それは正義だ。我らは正義を信条に行動している」
ここで正義と抜かすか。しかも、これから煮上げられる鍋を見下ろす魚のごとき目のままで。
公権の正義なんて哲学者が喧々諤々するようなことを、何の感慨もなく、事も無げに言い放ったぞ。
いやあ、ライムと引き合わせてみたいな。あいつこう言う事に一家言持つ奴だから。
と行けない行けない。ここでからかってしまっては関係がこじれてしまう。
広い心を持とう。きっとこんな成りでも中身は子供に違いない。
「つまり、君の権力のよりどころは正義であり、ゲームの規約でも、多くのプレイヤーの総意でもないと」
「我がギルドは多くの人の信を受けている、とリーダーは言っている」
「その証拠は?」
「ないな」
うーん。総意を受けているのだ、と宣言しているだけか。というか、こいつやる気なさすぎだろ。
まあ根本的な話をすると、穴掘りという行為は人様を拘束するには弱すぎる言い分何だがな。
そもそもライムが穴を掘る行為はアウトではないと証言している。そして、後ろの虎尾が申し訳なさそうな顔をしている。
というか、もうオロオロして困り果てている。
証言と状況証拠の二つで、この行為に正当性がないことが察せられるのだ。
つまりこいつとその所属ギルドは、自身が正しいと思ったことに突っ走ってしまう、行き過ぎた正義漢の塊なのだろう。
可哀そうに、ギルド内にブレーキ係が居なかったに違いない。
いや待てよ。逆を言えば、こいつらは論理的ではない暴力装置というわけだ。
うーん。そう考えると想像以上に厄介だな。お近づきになりたくない。
「運営や国家の拘束力がないなら、俺は帰らせてもらうぞ。ああ安心しろ。もう穴は掘らないから。これからは真っ当に戦うと誓うよ」
「そうはいかない。違反者を放置してはこのゲームが無法地帯になってしまう」
「利用規約と言う強烈な法があるから大丈夫だよ。最悪アカウント削除だからな」
なんていう俺に向けられたのは、メイスである。
「悪いが逃がすことはできない。それは許されない」
「はあ。じゃあ具体的にはどんな罰が下るんだ?」
「不当な方法で得たアイテムはこちらに渡してもらう。そしてしばらく奉仕活動をしてもらおう。……心配するな。一部の過激派はとやかく言うだろうが、やり過ぎは良くないと知っている。ある程度の譲歩を引き出そう」
「……いやあ、ここ迄になるのにどれだけの時間がかかったのだろうなあ」
「?」
きっと最初はこのギルドも素晴らしい理念を掲げていたに違いない。
しかし、何かが起きたのだろう。徐々に強権的な側面や、利己的な感情が入り混じったのだ。
なんて想像をしながら、俺は別の事も考える。
即ち、どうやって逃げようかとか。戦う羽目になったらどうするかとか。
「そもそも穴を掘るという事が違法であるというのはどういう根拠を元にしているんですかね」
「それを正当化した場合、敵を簡単に倒してしまえる。つまり、ゲームバランスが崩れてしまうのだ」
「ではどうして穴を開けられる仕様なのでしょうか?」
「それはギルドハウスの方の仕様だろう」
「ギルドハウス?」
「そう。ギルドを作った人間には土地が与えられるのだ。だから」
「だったら与えた土地だけを掘れるようにすればいいんじゃないですか?」
「そこの仕様を弄るのは大変なのかもしれない、と言うのが当ギルドの推測だ」
「穴を掘るという行為はゲームバランスを崩すんだろう? だったら大変だからってって放置するのは可笑しい話じゃないですか」
「……運営内部でも意見が固まっていないのかもしれん」
さて、正当性を打ち砕いたわけだが……。これで引き下がるわけがないな。
メイスがゆっくりと構えられ、ため息が吐かれる。
「屁理屈は、もうしまいか」
「屁理屈ねえ。随分便利な言葉になったですよねえ。辞書にも書いてあるんじゃないですか? 説明に詰まった時の常とう句、みたいな?」
俺が挑発してやると、それは容易く爆発した。
死んだ魚のような眼が一瞬鋭くなり、メイスが振り上げられる。
「色々と考えたが、お前はやはり悪党だな。委細を問わず、始末する」
メイスが振り下ろされる。
いよいよ開戦の火蓋が切って落とされたのだろう。
一先ず距離を取って、アイテム欄から少しアイテムを摸索した。よしよし、この組み合わせで行けるな。
等とほくそ笑む俺の頬を、何かが伝う。
「雨?」
上を見ると、空は晴れている。なのに小雨がパラパラと注がれていた。
狐の嫁入りだろうか。そんなイベントも組み込まれていたりするのか。
「ああ、お前は初心者だったな。戦い方も知らんのか」
「というと、これはお前の仕業か」
それを聞いて、少し木陰に隠れてみる。敵勢力の雨粒だ。毒が入っていても可笑しくない。
「戦闘には先ず自身を有利にするアイテムやバフをかける。場を整えるのだ。そこから守りを固めたり速度を上げる道具を使った後に、潰す」
何というか、本当に疲れたようにしゃべるなあ。もしかしてうロールプレイなのか。
しかし成程。ゲームの中でも戦争でも、先ずは準備が肝要と言う事か。
だとしたら、俺はこいつにこう言わざるをえない。
「それで、この雨だけで十分か? たかが雨を降らせただけで、準備は万端とでもいうのか?」
「ああ。万端だとも」
メイスの先から水を迸らせつつ、敵が走り寄ってくる。
レベル差はきっとあるだろう。一発でも食らえば終わりに違いない。
しかし、メイスというのは悪いチョイスだ。そこに勝機がある。
メイスが発生した理由は重装兵の登場だ。硬い鎧を纏った敵を叩き潰せるような武器、として誕生したのだ。
故にそれは強く、重く、そして遅い。
しかしながら俺は別に硬いものを纏っているわけではない。そして重装兵ほど動きが鈍重でもない。
例えるなら、布を裁つのに包丁を使うようなものだ。相性が悪すぎる
とはいえスキルの範囲を鑑みて大きく避けておくか。
ここで油断するのが敗因に繋がるからな。
「うおっ」
退いて正解だった。直ぐにそう思った。奴が叩きつけた地面から、氷の柱が突き出されたのだ。
真っ直ぐ俺へと突き出された攻撃は、退いた俺の直ぐ手前で止まっている。あと一歩近ければ直撃していただろう。
「ちっ。運がいいな」
「それには同意だ」
なんて受け答えしつつ、一先ず距離を取る。
雨は益々本格的になり、視界の悪化も引き起こしているようだ。つまり長引けばこちらが不利か。
しかし畳みかけるには一つ懸念がある。それを払拭して盤石としたいところだ。
「ならこれならどうだっ」
そういって中空でメイスを振り下ろす男。そこから生まれるのは氷の塊。
バスケットボールほどの大きさがあって、真っ直ぐこちらに向かっている。
よし、ここで試しておこう。
「よっと」
アイテム欄から兎の盾を取り出して、地面に突き立てる。と同時に俺は大きく距離を取って木の陰に隠れる。
氷塊が盾に当たると、盾は壊れ、氷塊が細かい礫になって飛び散った。
よしよし。あの礫にも攻撃判定があるか不安だが、障害物は有効か。ならば準備は整ったも同然。
「まだまだ、だっ」
が、それを発動する前にこの氷塊の塊を何とかしないと駄目か。
どんどん飛んできて、木の陰から出られそうにない。
これは二重の意味で動けなかった。顔を出せば死ぬかもしれないし、スキルの発動回数が凄まじいのも気にかかる。
俺は自身のスキルでクールタイムがあることを確認した。なのに敵はまるでクールタイムがないようだった。ボールを投げるかの如くポンポン飛ばしてきやがる。
「ひょっとしてこの雨の効果か」
ひょっとしてじゃない。間違いない。これが敵のスキルのクールタイムを極端に短くしているに違いない。
一秒に一発くらいだろうか。無理に行けば通れなくはないが……。
「面倒だな。なんかパパっと解決しないかな」
「さっさと出てこい」
「それをかき氷にするなら出てきてやるよ。シロップはメロンにしろよ。それか練乳だ。どっちもたっぷりかけてくれ」
「まだ減らず口を。……これ以上時間をかけるのは不味いな。手伝え」
敵が態勢を変える時が好機。ここを攻める。
パッと飛び出して、氷を避ける。それと同時に事前に出しておいた小瓶を咥えておく。
指示を飛ばされて向かってくる虎尾を、盾を出してそれ越しに蹴り飛ばす。
最後に手を伸ばしてメイスを持つ腕を掴んでやれば完璧だった。
驚愕に目を見開く騎士を前に、口に咥えた小瓶を噛み砕き、赤紫の液体を飲み込んだ。
「お前!?」
何をする気か分かったのだろう。だが全ては遅い。
グッと膨れ上がる体が騎士を吹き飛ばす。メイスを振り回すが氷塊は空を過ぎ去る。
その間に俺は自身の腕を見た。俺の手は赤黒いオーラが纏わり付いていた。
更に人から獣のそれに変化し続けており、たった今完了し終わる。
刺々しい蔓を絡めた、猪の足だ。そして全身の変化も終わる。
ふふふ。視界が異様に高いな。森が既に眼下にあるのは気分が良い。
猪なんて醜いだろうとライムは言ったが、いやはやどうして良い姿じゃないか。
硬い毛皮。太く伸びた牙。グッと伸びをすれば、膨れ上がった筋肉がしなやかに躍動するのを感じる。
ブラッドワインはその原材料になったモンスターの形と性質を自身に取り込むアイテムである。
故に俺はたった今、敵を見下す大猪と化していた。
これこそ、俺が猪を狩りたいと思った大きな理由だった。
くくく、これなら要塞だろうと塹壕だろうと易々と潰せるぞ。
「くそっ。そんなアイテムをいつの間に」
とメイスを構える騎士に対して、俺はグッと足を踏み込む。
氷は当たったが、この体では一撃で削り切るという事態にはならない。そして、一秒もあれば俺の突進は確実に敵に届く。
グッと牙で掬い上げれば騎士は高々と放り出された。中空でこちらを憎々し気に睨みつけているのが見える。
だが、憎々しいのはこっちだ。意外とダメージが稼げない。恐らくレベルが足りないのだろう。
このまま戦うとして、こちらは後二発程度食らえば終わり。あちらは後……三十六発は耐えられるな。
はっ。とんでもない戦いだ。敵を知り、味方を知れば百選危うからずとはよく言ったものだ。
いやはや、この体が猪でよかった。
「逃げるが勝ちだな」
「はっ?」
唖然とする敵を前に、俺は突き飛ばしたまま走り去る。この速度、この歩幅。この体ならさっさと逃げることが出来るだろう。
俺はさっさと踵を返し、尻尾を撒いて逃げた。
「ちょっと待てっ。あんだけ余裕ぶっておいて逃げるのかっ?」
「当たり前だ!」
勝てない戦はしない。したのなら出来る限り被害を最小限に抑える、と言うのが戦いの鉄則である。
弱虫だの負け犬だの好きに吠えればいい。百戦の内、九十九戦負けようと、最後の一勝さえ勝てればいいのだ。
「逃がさんっ」
大声と氷が後ろから飛んでくるが、いやはや距離が遠すぎて威力が減衰しているらしい。痛くも痒くもない。
そしておよそ一キロほど距離が取れた所で、ブラッドワインの効果が切れた。体が縮んでくる。
直ぐに軍服姿の元通り。よしよし、いいタイミングだ。これなら身を隠すのも容易いぞ。
少し走って茂みに隠れ息を顰めれば、少し落ち着くことが出来た。さて、ここで作戦会議だ。
「思いの外、敵が頑丈だったな。だが正直な所、このまま逃げ帰るのも気分が悪い」
逃げるのは当たり前とか言ったが、こちらも多少なりともプライドがある。
出来るならあの『死んだ魚系正義漢』の鼻っ柱を叩き折りたいところだが……どうしたものか。
「ブラッドワインは無駄にあるからなあ。これを基軸に色々と立てるのがベストか」
思い出す光景は、樽がいくつもゴロゴロと転がってくるあの様。
まさか一匹の心臓でバレル単位が出来上がるとは、誰も想像できなかったに違いない。というか、『遊泳できるほど』がそのまんまの意味だなんて考える奴は大馬鹿者だ。
無駄に生産レベルが高いとそうなるらしいのだが……バレルって何だよ。石油じゃないんだぞ。
因みにライムから教えてもらったのだが、バレルとは大体百五十九リットルらしい。ペットボトル八十本を想像すればいいとのことだ。
が、そんな想像出来るわけあるか。逆に把握しづらいわ。
「とはいえ持ってきたのはこの小瓶十数本。効果は大体一、二分ずつあるとして、持久戦をするには多少心もとない程度か」
なんて文句を垂れようが、現状はこれしか頼れるものはない。これを最大限活用してあいつの防御を崩すには……。
うん。泥臭くやるしかないな。