拙速的ログイン
ちょっと見回して辟易する。
虚空に漂う仮想のドレスルームには、それだけの選択肢があった。
目鼻耳口、髪型、体系、その他諸々。
更に見落としていたが種族という概念があり、それを変えれば選択肢はそのまんま種族の数だけ倍加していく。
拘る人からすれば垂涎の光景だろう。ここがシャンバラか、と叫んだかもしれない。
が、俺には正直持て余すものだった。
お腹いっぱいなのにまだまだ食事が入って来るかのような感じだ。胸やけが起きてくる。
とはいえ選ばなければ先に進めない。一先ずあれだ。種族とやらを選んでみよう。
「うわっ。種族だけでも五種類か。骨が折れるな」
さて、ここで俺がこれからやるゲームを少し思い返してみる。
『リチュアルオブワイズ』。通称ロウと言うゲームは、言ってしまえば敵の力を奪ってどんどん強くなっていこう、というものらしい。
敵を倒せばもらえる素材でアイテム、武器を作り、そのスキルでお好みの戦い方が出来るとのことらしい。
更にそのスキルを出来る事で、最早このゲームには職業という概念はない。騎士だろうが猟師だろうが、好き勝手名乗ってくれという事だろう。
しかし、それでも固有の種族スキルというものがあるとのことで、それだけは気を付けねばならないらしい。
「等と長ったらしい説明をしてたなあ」
だけど俺はそんな事を気にしない。
何故ならそこの所の知識を全く入れていないからだ。良しやろうと決めてさっさとログインしたのだから、気にするだけ無駄である。
というか、このゲームが一体どんなストーリーでどんな雰囲気かも知らないのに、そこだけ気にする奴も居まい。
そう、俺の行動は友人がきょとんと見るほど突発的な行動だった。それくらい突拍子もない始め方だった。奇襲としては最高の初動に違いない。
だが俺にはそうしなければならない理由があった。絶対に、このタイミングを逃せない理由が。
「兵は拙速を尊ぶというが、しかしてこの場合はどうなる事やら」
とりあえずこのトレントという、植物感に溢れた種族を選ぼう。どうせ五択だ。外れる確率も五分の一とかそんなものだろう。
だったら何百年も生きるという植物の神秘に期待するのも良い筈だ。
「いや待て。獣人、鳥人、ドラゴニュート、妖精か。色々と楽しそうだな。それにそれぞれ属性があるのか、やっぱりドラゴニュートにしようかな。炎って書いてるし……」
と思ったが、止めだ。選択した途端にドレスルームに面白いものが発生した。
茶色い地肌と長い刺、茨である。しかもこれは自然の鉄条網とも言われるワイルドベリーのものではないか。
正しくはヒマラヤンワイルドベリー。長い刺は動脈すら切り裂くと言われる、登山家のヘイトを集める植物である。
トレントと言う事で色々な見た目変更があるが、これが最も優秀な見た目だろう。
「人間が作ったものをも凌駕する殺意に満ちたデザイン、たまらんな」
これはひょっとして戦闘に使えるのではないか。これを木の間に張り巡らせて馬上の敵を打ち倒すとか。
いいな。考えただけでゾクゾクしてくる。これは必須だ。後は……要らん。適当に変えてやれ。
「ああメガネは必要だ。あれがないと違和感が半端ない」
一先ず茨と眼鏡を装着して、髪型は適当。顔立ちも適当、年齢身長体重全て適当。
こういうのを拘っていては時間を食う。それではいけない。俺がこのゲームを始める『理由』が立ち消える恐れがある。
それに友人も待たせている。あいつは五分遅れるごとに五円を要求する奴だから、それだけは回避しなければなるまい。
更にそれに加えて、実は今日少し寝坊もしていたりするのが痛い。それがばれたとしたら、呼び出しておいて何事だと鉄拳制裁が飛んでくるだろう。
等々と考えていたら、いつの間にかキャラが出来ていた。
黒髪黒目、黒縁眼鏡。そして黒い軍服。トレント要素と言えば髪に混じる蔦と裾から出る茨くらいだ。
だが、適当でもそれなりに見れた顔になるのは良いな。親切心を感じるぞ。
「ようし、準備完了。行くぞっ」
スタートボタンを押して、視界が暗転する。ヴァーチャルリアリティ独特の浮遊感は直ぐに消え、足元にしっかりとした手ごたえが伝わってきた。
顔を上げれば俺は、巨大な影の只中に居た。
いきなりボスか、というわけでなく後ろに塔が立っているらしい。
剣が連なったような彫刻がされた珍妙な塔だ。が、デザインは中々いい。古代遺跡を思わせる。
「それに街の雰囲気も中々……いいじゃないか。これ」
灰色だらけで少し寒々する色使いだが、歴史と気品を感じるような町だ。
中世の、ゴシック様式だろうか。尖塔とステンドグラスが主役の街並みがずらりと道を囲んでいる。ドイツの古都市のようだ。
しかし、三階建ての建築物だらけなのは少し頂けないな。日照問題が勃発している。
この町で日光浴を楽しみたいなら、屋上に行くしかないか。
「いやあ。これは探索したいところだ。五円玉を人質に取られていなかったら三十分はさ迷い歩いただろうな」
町探索は後回し、言われた所に行くとしよう。
言われたルートは非常に単純。出てきたところから噴水が見えるので、そこに向かうように真っ直ぐ。噴水を通り過ぎるとまた似たような塔があるので、そこを左折。
「で、視界に革ジャケット短パンで煙草を吸っている赤髪の女が……ああ、あいつか」
裏路地に通じる薄暗いごみ溜めの中で、ゆっくりと煙草を吹かしている人が一人。
壁に背を預けて、非常に詰まらなそうに虚空を見ている。
未成年がどうのとか言いたいところだが、どうせそれには味も刺激もないのだろう。そういう処理をしているのが今のゲームだ。
それにしても、リアルでは男は近寄れない見た目なのに、ゲームでも随分と怖い姿だ。ニ三人は殺していそうな感じじゃないか。
タンクトップに革のジャケット。革手袋にゴツいブーツ。パッと見アレだな。海外に居そうな女ヤンキーの怖いバージョンだ。
タトゥーとかド派手なメイクをすれば間違いなくヤバい人間に入るだろう。
そんな奴の前に手を挙げながら馳せ参じる。
「あーどうもどうも」
「ああ、どうもどうもって時間ギリギリなんだけどねえ。レモンさんや。後三十秒で遅刻だぜ。五分前行動知らないのか?」
が、口を開けばただの友達だった。しかも挙げた手にハイタッチをかましてくるノリの良さ。
見た目が違うから別人の可能性もあった。それで少し緊張したが、一安心だ。
同じく壁に背を預けて、釈明する。
「いやあ、ちょっと手間取ってね。あのキャラメイキングは俺にとっては地獄だったよ」
「にしては、その時間分の効果は見られないけど?」
「おっと、これでも悩んだ方だぞ。俺にしては」
「十秒くらい悩んだ結果、適当って結論に至った、とかだったら大爆笑してやるよ。リアルで変形した顔を見てな」
「……イヤー、ソンナワケナイヨ。コダワリハ茨デスヨ。ホラミテカッコイイデショ」
なんて裾から伸びる刺々しい茨を振って見せる。
嘘はついていない。ここだけは拘った。そして十秒くらい悩んだわけではない。一秒も悩んでいないのだから。
そう、俺は嘘をついていない。故にそんな疑わしい眼で睨まれる謂れもない。
決して、寝坊したことなど見抜かれてはいない、筈。
「まあ、突っ込まないで置こうか。それが事実だとして時間かけてドブを攫ってもドブしか浮かんでこないってのは納得だし」
「ひっでえ言い様。俺のファッションセンスをドブ扱いしやがったこのアマ」
「おいおい。私は真っ当だぞ? リアルで上下真っ黒、靴も黒。極めつけはリュックも黒って姿を見た時は喪に服しているのかと思ったぜ」
「それは偏見だ。世の学生ラン勢に謝罪会見開け。首垂れろ」
「そりゃ違うって。寧ろ世の学ラン勢が政府にダサい服装を廃止しろと訴えないと。ついでにお前も訴えてやるよ。また墨被ったような服着てるし。しかもデザイン軍服って」
「良いだろう?」
「うんって言うと思う?」
「言ったら今日は大吉だ、という程度には」
さて、このまま延々と話しているのも楽しいのだが、本題に入らないとならないか。
俺はこれとの約束に追われているのもあるが、他の時間にも追われているのだから。
「さて、では……ライム君か。ヤバいな本名言うところだった」
「それは絶対に止めろよ。フリでなくマジで、だからな」
「分かってるよ。とりあえず作戦の説明を早速」
「ちょっと待て。話を聞くとは言った。やるとは言っていない。そこを再確認しとけ」
「おいおい。俺の頭にはちゃんと脳みそ入っているぜ。何なら叩いて確かめてみるか?」
「金槌使っていいなら是非とも」
「遠慮しろ。何だったら俺がお前のを割って頭蓋骨の裏に書き込もうか? 遠慮って」
「じゃあいいや。話し進めて」
「腰折った奴が言うセリフかよ。……まあいい。作戦名『萩に猪』の説明をしよう。と言っても君にお願いするのは、とある地点での採集事業だ」
と言ったところで、急に手を伸ばして、制止してくる。
指に挟んだ煙草から紫煙が漂うが、やはり匂いはしてこない。
「ちょっと再確認いいか?」
「良いとも」
「お前は、この『暗愚の猪』ってイベントに参加したくてこのゲームを始めた」
「そうだな」
そう言えばそこまで話を進めていたか。
そう、俺はそのイベントをやっていると知ったからこそこのゲームを始めた訳である。
逆に言えば、このイベントを知らなかったら俺はずっと違うゲームを楽しんでいただろうな。
「で、そのイベントの内容を熟知している」
「各所に沸く巨大な猪を狩る、って言うのが概要だと聞いていますが?」
「なら猪のレベルも知ってるな?」
「最高で五十、最弱でレベル十。ボスモンスターだから五レベルくらい上回っていた方が安心かもって話だな」
「なのにやることは装備の充実でも、レベル上げでもなく、採集か?」
流石はライム。そこに突っ込むか。
確かに彼女の言う通りだ。普通ならレベル上げと装備の充実を目論むだろう。
だが、俺はそうしない。否、そうすることが出来ない。
「そこが肝なんだよ。ライム。実は俺には時間がないんだ」
「知ってるよ。イベントはもうすぐ終わる。後二日すれば猪は消えるな」
そう。俺がこのゲームを知った時にはもうイベントは終了間際だった。はっきり言って手遅れな状況である。
だからこの状況を打開するには、多少の無理が必要なのだ。
「だったら分かるだろ? レベルを上げて、装備を充実させるという時間はない。この二日で取れる時間は最大で五時間だからな」
「つまり?」
「少し狡い方法を使わせてもらう。いや大丈夫。仕様の穴、というほどの事じゃないし」
「全容を知った私の反応は?」
「遂に私の性格が移ったか、くらいは言いそうだな」
「オーライ。乗った。楽しそうだ」
よしよし。ノリのいいこいつの事だ。きっと二つ返事をくれると思った。
故に大事なことを隠したのだ。きっとうだうだ言うだろうし。
「それで、私は何をすればいいんだ」
何も知らないライムは、俺に気軽に問うてくる。
その問いに、俺は過去最高の愛想を顔面に張り付けて、おねだりをした。
「火口草ってアイテムを二千本集めて欲しいな」
「オーライ。降りた」
なんて逃げ出そうとする奴の肩に、笑ったまま手を乗せてやる。
いやあ、逃がすと思うなんて、君も中々甘い考えをお持ちのようだ。
「男に二言は無し、だぞ」
「わたしゃ女だ。乳だって腫れてらあ」
「クラス中の女からチヤホヤされて、それはないんじゃないか? 少なくともお前はスクールカーストでは王子様枠だからな」
「止めろ。そんなこと聞きたくない」
「因みに、今週はラブレターどのくらい来ましたか? それとも直接告白されましたか? 二人くらいは知ってるけど、その情報をモテない男子達と共有しても」
「リアルの情報で脅すな! クズ!」
「いやいやいや、心外ですなあ。脅しだなんて。ただ私はモテない男として、モテる女から多少なりともアドバイスを」
「アドバイスか? なら一つ。ドブを、少なくともイトミミズが生きられるレベルまで改善しろ。黒一色コーデはお前が考えるほど甘かない」
「あ、俺のファッションセンスそこまでなんだ」
思いのほか悪かった。ひょっとして外に出る度に後ろ指さされているのか。俺。
だとしたら引きこもるぞ。一生出ないぞ。外に行く服がないんだから。
「まあ、脅しは冗談として、マジで頼む。流石に一人で四千数百本は無理だ。徹夜しても無理なんだって」
「……あのさ、まあ聞いてくれよ。兄弟」
あ、この流れは不味い。今度は俺が逃げようとする。
が、しかし俺の肩にはライムの手が置かれて、それが異様に重くて動けない。
そして、彼女の舌が回転を始める。
「私だって色々とやることがあるんだよ。勉強しなきゃゲームを取り上げられるし、クラスメイトからはお悩み相談受けないといけないし、自由にできる時間はこれっぽっちしかないわけよ。それをわざわざ割いて、ちっぽけな自由時間をだよっ。更に割いてだねっ。ここに居るわけさ。だってのにその内容がもっと時間かかるやつとか冗談じゃねえって話だと思わないか?」
立て板に水。ライムに口。まさしくそんな感じだ。
いやはやここまで言葉が溢れ返るといっそ関心すらしてしまう。なんて言ってる場合じゃない。旗色が悪い。
「いや、でも高レベルならチャチャっと終わるとか。火口草は序盤アイテムだし」
「数十本ならチャチャっと終わるさ。その程度だったらまあやってやるかって話に流れるよ。数百本だとしても、まあ友達の好としてやってやるかも知れない。ジュース奢ってくれるならばな。でも二千本? 二千本ですか? 無理だね。私のちっぽけタイムを浪費しても絶対無理。足りない。諦めろ」
「そこを何とか。ほら徹夜すれば」
「徹夜は肌荒れの元だ。私のファンクラブが黙っちゃいないぜ」
「くそっ。こういう時に限って王子様ポジションを利用しやがる」
「どうして面倒くさいポジションに居座り続けるか。それはこういう時に便利だからさ。後ろ盾があるってのは素晴らしい事だよ。ボッチ君。いやレモン君」
「今の会話を録音してやりてえ」
「残念。私のファンは百も承知だ。まあ、だからこそ握手会とかってくだらないイベントをごり押しされるんだけども」
「握手……回?」
「いや今のは忘れろ。とりあえず無理なものは無理だ。じゃあな」
言うや否や、ライムは光の塊となってパッと消えてしまった。ログアウトされたらしい。
ちっ。リアルではごり押しできる自信があったんだが、逃げ道があると駄目だな。
「握手会の部分からまた話を膨らませればあるいは……」
なんて悔やんでももう仕方ない。あれだけ否定されたならやってくれない可能性の方が大きい。
「四千五百本の雑草採集。気が遠くなるな」
とはいえ、ここまで来て作戦中止はあり得ない。中止するにはまだまだ戦況は決定的ではない。
例え無茶な作戦だろうとここは仮想空間、どんなリスクが伴おうと所詮はゲーム内の出来事だ。被害は軽微である。
なんて負け戦をしそうな軍師のごとき思考回路で、俺は歩き出すのだった。
被害は軽微と仮定して無視すること自体、作戦立案としては最悪の一手だと自覚しつつ。