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「宮原さん」
私は声の限り叫んだ。
ケヤキ並木を歩くあの人へ向かって全力疾走する。
あの人は振り返る。
私はただ真っ直ぐにあの人に一直線に向かってゆく。
彼が私を受け止める。
私は思う。
この先に何があって何がないんだろうと。
此処までは想像した。
あの人はもう芹橋を渡っただろう。
私は勿論走らない。
洗濯ものを取り込んで、家じゅうの窓を開けて、階段を上がる。
お姉さんの部屋にある本棚に押し込める様に並べたアニメ雑誌を手に取り、三井寺で買ったクリアファイルに入れられた一枚のルーズリーフを取り出す。
規則正しい文字がぼやけてすぐに読めなくなった。
私は四時になると、駅前ではなく近所にある彦根に来た最初の日夫と二人で買い物に行った平和堂へ自転車を走らせる。
豚肉が安いので今日はカツ丼にする。
しらすとワカメときゅうりの酢の物も作って。
ほうれん草の白和えも作ろう。
明日はお休みだしビジターだから夫もずっと家にいるし、マジックが出るんだからいっぱい食べなきゃ。
「ただいまー」
「お帰り」
「ケーキ買ってきたよー」
「わー。嬉しい」
「マジック出るからお祝い」
「うん」
「何かあった?」
「え?」
「元気ないような気がしたから。大丈夫?」
「ううん。全然平気。元気だよ。ケーキ楽しみ」
「ちょっとわかりにくいとこにある店だから今度一緒に行こ。俺彦根でここのケーキが一番美味いと思う。レアチーズケーキとモンブランがすっげー美味いの。好き?」
「どっちも好き」
「良かった。考えたら凄いよな今年」
「え?」
「嫌、だってさ、結婚した年にマジックナイツ優勝するなんて奇跡じゃない?一生忘れないよ」
プロ野球の優勝というのは一生に二回見れたらいい方だと言う。
だとしたら私達は後一回は見れる計算だ。
そんなに長生きしなくても。
「そうだね。一生忘れないね」
「日本シリーズはチケットこれからだから一緒に行こ。チケット取れるといいなー」
「うん」
「手洗ってくる」
マジックは夫が願った通り出た。
こういう時お酒飲めたら良かったねと夫は言った。
確かにもしお酒が飲めたら今日は良かっただろうなと思った。
風は夜中には止んで、朝が来ると透き通るように綺麗な青空だった。




