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間違いのフェイト  作者: 青木りよこ
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「犯人捕まったねー」


夫は帰ってくるなり、ただいまも言わず台所に飛び込んできた。

言いたくてたまらなかったのだろう。

頬を紅潮させている。

慌てて自転車を漕いだのかもしれない。

生まれてから彦根で殺人事件が起こったのは初めてのことらしく、彼は先週の月曜日事件の第一報を聞いて以来ずっと気になって仕方がないようだった。


「捕まってないよ。犯人と思われる男性の遺体を大阪のホテルで発見したって」

「でも、解決でしょ」

「犯人ならね」

「警察が発表したんならそうでしょ」

「まあ、そうだよね。犯行を認める遺書があったって言ってたから」

「良かったー」

「手洗ってうがいしておいでよ」

「あー。良かった」

「そうだねー」


夫は一向に洗面所に行こうとしない。

まあ、今日も野球中継はないから急ぐ必要はないけれど。


「良かったよー。どっかに犯人いるんじゃないかと怖かったよ」

「そうだね」

「美弥子怖がってなかったじゃん。俺なんか滅茶苦茶怖かったよ。結婚して早々こんな事件起きてさー。実家帰っちゃったらどうしようかと思った」

「そんなこと思ってたの?」

「うん」

「そんなことあるわけないじゃない」

「だって美弥子の部屋そのままになってたし」

「片付けるの面倒だからでしょ」


一昨日の土曜日夫と二人で私の実家に帰った。

二人で岡山城に行ったり岡山神社に行ったりして楽しかった。

姉の家族も着て皆で食事をしたけど、残念ながら誰も野球を見ないので、プロ野球談議はできなかったけど、甥っ子は夫に凄く懐いてくれて、帰る時離れようとしないので大変だった。

夫も嬉しそうにしていて、私は何としてもこの人を父親にしたいと思った。


「佐和山映ってる」


事件が起こって以来何度この寂しい夢の跡を見ただろう。


「ここさ、道がさ狭いの。登るの大変だよ。でもさ、いいんだよ。何て言うか気配を感じる」

「誰の?」

「佐和山城にいた人達の」

「幽霊?」

「嫌、もっと平和なの」

「うーん、わかんない」

「もう、うらみつらみなんかなくなってるよ。五百年以上経ってるんだから」


夫はやっと手を洗いに洗面所に行った。

私はその背中に小鮎の味見てと声を掛ける。

今日平和堂で小鮎を買ってきた。

村田さんに山椒の実を分けてもらったので濃い口しょうゆとお酒と味醂とお砂糖で煮てみたが、初めてだったので上手にできたか少し心配で早く帰ってこないかなと思っていた。


「美味いよ」

「ホント?」

「うん。出来立てだから柔らかくって美味しい。ちょっとしょっぱいけど」

「お砂糖そう少し入れたほうがいい?」

「うん。でも美味しい」


夫はパクパクと口に放り込む。


「お腹空いてるの?」

「うん。焦って帰ってきたから」

「あとちょっとだから待ってて。あと肉じゃがもう少し煮込んだらできるから」

「あー」





毎日は穏やかに通り過ぎてゆく。

七月の第三土曜日約束通り夫は私を奈良に連れて行ってくれて、二人で東大寺と興福寺に行った。

二日目は薬師寺と唐招提寺に行き、かつて彼が家族と写真を撮ったように私達も近鉄奈良駅の行基さんの前で写真を撮って帰った。

佐和山殺人事件は犯人の遺書に殺害した女性と不倫関係にあったことと、彼女と心中しようとしたが、彼女が残される夫に申し訳ないというので猟奇殺人に見せかけるため遺体を切断したことなどが書かれ連日悲恋としてワイドショーの恰好のネタとなったが、七月最後の週に殺害された女性の夫が事件に見せかけ二人を殺害したとして逮捕され静かな田舎町で起こった陰惨な事件は予期せぬ結末を迎えた。

ワイドショーは不倫への報復殺人だとして取り上げたが、夫の不倫相手が共犯で逮捕されるともうどうでも良くなったのか報道はパタリとやみ、新たなネタが提供され、八月に入ると佐和山をテレビで見ることは無くなった。


八月一日の琵琶湖花火大会は夫と一緒に出掛けた。

岡山から持ってきた紺地に白い花柄の浴衣を着ると夫は凄く喜んでくれて、肩につかないくらいの長さのボブにしたことを少し後悔したけど、夫は長い髪より今くらいの長さの方が好きだと言うし、乾かすのが楽なので当分この長さでいこうと思う。


八月の二週目から駅前の平和堂に入っている一階のベーカリーのレジの仕事に行き始めた。

夫の職場のすぐ近くなので働き始めて三日目お弁当があるのに夫はパンを買いに来て、アップルパイとあんドーナツを買っていった。

家に帰って聞くと制服が見たかったと言われた。

ベーカリーの制服は白いシャツに黒のパンツに黒エプロンに黒のベレー帽の地味なものだが黒と赤はマジックナイツを想起させるので好きらしい。


お盆が終わると台風がやって来て大雨が続き、野球は中止になり奈良マジックナイツは九月に十二連戦が行われることになってしまった。

相変わらずベッドは買わないで私達はくっ付いて眠っている。


「家飛んじゃわない?」

「大丈夫だよ。芹川決壊したら拙いけど」

「決壊する?」

「しないでしょ。俺が生まれてから一回もしてないし。大丈夫だよ」



雨が降り続く間このやり取りを何度もした。

さっさと寝ればいいのに私達は中々離れられずにいる。

でも、しょうがない。

何処にも行けないし、電車が止まって野球だって中止になっちゃうのだ。

全く持って自然の力と言うのは恐ろしい。

非力な私達はくっ付いて離れず手を取り合って眠るしかないのだ。



















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