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理さんが玄関を入ってすぐの部屋の引き戸を引く。
目に飛び込んできたのは予想通りポスターだった。
「紺野監督。マジックナイツの。一番センター紺野」
「痩せてたんだ・・・」
「現役の頃だから。太ったのはここ二年くらい。監督は激務だし。このユニフォームかっこよくない?今年五月に着てた。復刻ユニで」
「えっと、お母様がファンだった、の?」
「嫌、父親」
「お父様?」
理さんは窓を開ける。
お部屋の壁はまるで何かを覆うようにポスターで埋め尽くされている。
「こっちが天野で四番レフト。こっちが手塚、ライト五番。で、こっちがキャッチャー西野で八番。こっちが二番セカンド奥野。三番ファースト湯本。六番サード中井。七番ショート関」
「よく覚えてるね・・・」
「最初は選手の顔見分けつかなくて、背番号で覚えた。今思うと父親のことが知りたかったんだろうなーって。よく、この部屋入って、古いスポーツ新聞とか雑誌見てた。
父親が唯一残してくれたものだったから。
マジックナイツを追っかけることで多分父親を追ってたんだと思う。
凄い勝ち方するとさー、例えば七回終わって五点差。八回の表にもダメ押しで二点入って八対一。
もう完全に負け試合。そんな試合でさ、八回に二点入れて五点差。でも九回裏最初のバッターがあっさり空振りの三振。次のバッターもあっさりレフトフライのツーアウト。
もう完全に終わった。次のバッターは今日一軍登録されたばかりの高卒三年目キャッチャー、経験で打席に立たせとこうってやつで、誰も打つと思っていない。
結果は二球目をひっかけてぼてぼてのサードゴロ。
ところがこれをサードが悪送球で一塁セーフ。
打順が一番に帰り、紺野が魂のスリーベースヒット。一点入る。これで八対四。
奥野がツーベースで続き、湯本がホームラン。ここで相手ピッチャー交代。天野を歩かして、手塚も歩く。
またピッチャー交代。中井も歩いて、関が、シーズンホームラン三本の関が満塁ホームラン打ってサヨナラ勝ち」
彼は昨日目の前で起こった出来事のようにすらすらと話した。
それは私に話しているのではなく、ここにはいない誰かに聞かせている様に見えた。
「こういう試合が年に一回くらい奇跡のようにあってさ、こういう試合があるたびに、父は見れなかったんだなって思った。一番好きだった紺野が監督してるのも知らないし、死んだ次の年から去年までずっとBクラスに沈んでいることも知らない。中井とエースの前野がFAで出ていったことも知らないし、湯本が結局一度もホームラン王取れずに終わったことも知らない」
私はこの話を今島根にいるという彼女にもしたのだろうかと、考えていた。
しないでくれていたらいいと思った。
だって彼は間違いなく今ぶつけている。
止めていた時間を動かそうと思ってくれている。
「この部屋このままにしよ」
「え?」
「奈良マジックナイツの歴史を感じるし。台所が現役。この部屋はレジェンドって感じで、おさまりいいし」
「そっかな」
「ごめんね。何て言ったらいか、わかんない」
「嫌、そりゃそうだよ。俺も何がいいたいのかわかんない」
「お父さんの写真とかないの?」
「ある」
ダブルベッドの横の鏡台に写真立があった。
ポスターの迫力のせいかこじんまりとし過ぎていて目に着かなかった。
写真には眼鏡をかけたポニーテールの女性と眼鏡を外した彼に余り似ていない人のよさそうな顔をした男の人が黒地に赤でMとNが合わさったロゴの入ったマジックナイツのサイズの合っていない帽子を被った男の子を抱っこしている。
ポニーテールの女性の横には彼のお姉さんと思われるツインテールの少女が写っている。
「これ、どこで撮ったの?」
後ろの噴水とお坊さんらしき銅像が気になり尋ねた。
「近鉄奈良駅。東大寺と興福寺に行ったらしくて。これね、父だけナイトゲーム見に行って俺達は先帰ったの」
「一人で?」
「そう。変わってるでしょ?」
「お母様、野球興味なかったの?」
「まあ、興味なかったけど、普通一人で行く?家族で来てんのに」
「ふふっ」
「笑うとと?」
「だって何か簡単に想像できて」
「何が?」
「貴方もきっとそうするだろうなって」
「俺?しないよー」
「だって一人で観戦したいんでしょう?お地蔵さんになって」
「それはそうだけどー。子供生まれたら一緒に行くよ。子供用のユニ買うし」
「本当?」
「ホントだって。今年はもうチケット取れないけど、来年は一緒に行こうよ。あー、来月の土日の美弥子も行こうよ。球場はチケットないから入れないけど、奈良観光して一泊しよ」
「連れてってくれるの?」
「家に一人にするの心配だし。夕方別行動だけどいい?」
「うん。嬉しい。行きたい」
「あー、でも一人でうろつかれるの嫌だからホテルにいて。試合終わったら帰るし」
「うん。いつ?」
「第三と第四土曜日」
「楽しみー。奈良行くの初めて」
「どこ行こっか?」
「後で探そ」
「あー、じゃあ取りあえず、この部屋は奈良マジックナイツの部屋にしよう、か?」
「うん、そうしよ」
「じゃあ、部屋に置ききれなくなった雑誌とかスポーツ新聞の切り抜きとかグッズも運ぼっかな」
「そんなにあるの?」
「ある」
そんな有能な指揮官が秘策はありますか?と聞かれた時みたいな反応されても。
「そしたら部屋に空きできるから、美弥子の荷物おけると思う。まあやろっか?」
「うん」
「その前に喉渇かない?何か飲も」
「うん」
台所の椅子に座り二人で氷をたっぷり入れた麦茶を飲む。
二人の視線の先には野宮さん。
「ベッドどうする?」
理さんは視線を野宮さんから逸らさず言う。
そうしないと恥ずかしいのかもしれないと勝手に解釈しておく。
「暫くあのままでいいよ。一緒に寝よ」
「狭くない?」
「平気。狭いの嫌?」
「俺は何処でも寝れるから」
「じゃあ、いいよ。ベッド大き目だし」
「姉ちゃんの部屋のポスターは外すかぁ。逮捕されたし縁起悪い」
「そう、だね」
ロミオは一番人気のあった梅原君が大麻で逮捕され脱退。
五人で暫くは活動してたけど、一年後にはリーダーの森川君が不倫相手の女子アナを酔っぱらってビール瓶で殴り大けがを負わせ脱退。
ロミオは解散コンサートもないまま解散し、お姉さんが好きだった岸本君はドラマに出たりはしているけど、かつての国民的アイドルグループにいた面影はない。
そう、これもお姉さんは知らないのだ。
死ぬということはこういうことだ。
もう新しく情報が更新されない。
「姉ちゃんの部屋の洋服ダンスは俺のスーツとか入ってる。でもまだ空きあるから美弥子のも入れれると思う。でも机なー。もう使わないよな。捨てよっか?」
「勿体なくない?」
「でも子供生まれてもさー、古いし。新しいの買ってやりたい。グッズもさー、キッズTシャツって大人用で出ないデザインのもあるから買いたかったんだー。選手全員猫耳つけてるやつとかあんの。これ子供用?っての。ヴィヴィのポシェットとかリュックとかすっげー可愛いの」
気が早いよと言おうかと思ったけど、せっかくやる気を見せてくれているので言わない。
私もそれを望んでいる。
病院も一年待たず行ってもいい。
やれることは全部やりたい。
「あの写真この部屋に持ってこよ」
「あー。じゃあ本棚に置くかー。そういや美弥子とまだ撮ってない。撮ろっか?」
「今?」
「うん。今日の恰好可愛いし」
「ホント?」
「うん。黒のチェック似合ってる。どこで撮る?」
今日の私の恰好は黒のギンガムチェックのパフスリーブのブラウスに白のスカート。
やっぱり黒が好きなのかな。
マジックナイツのユニフォームも黒地に背番号が赤だ。
「野宮さんの前?」
「それなら、あの部屋ミュージアム化してから撮ろ。あの部屋に全部持ってく」
「うん」
時が動き出す。




