27
目が覚めると九時半だった。
ベッドから起きなくても目に入る机の上の目覚まし時計は当然のように鳴ってはいない。
楓さんは休みの日でもそんなに遅くまで寝ていることがなかったから、こんな時間まで寝ていたのは久しぶりだ。
「いいよー」
ベッドから起き上がり朝食の用意をしようかと身じろぎした私を理さんはお腹に手を回し行かせようとしない。
「起きない?」
「まだいいよー。寝てよ。しんどくない?」
「平気。お婆ちゃんとこ行くんでしょ?」
「お昼前でいいよー。そんなに喜ばないし。耳遠いし」
「そうなんだ」
「うん。でも美弥子見たら嬉しいかも。綺麗だから」
「ホントに?」
「うん。マジ綺麗。最初見た時ビビった。綺麗だし巨乳だし。隣の旦那さんもイケメンだし」
「そんなとこ見てたんだ?」
「だって見ちゃうでしょ?そんだけでかいと見ちゃうでしょーよー」
寝ぼけてるからか随分口が滑らかだ。
まあ、昨日の夜も饒舌だったけど。
「朝ごはんは?」
「もうフルグラでいいよー」
「お味噌汁いらない?」
「このままずっと寝てたい」
「彦根案内してくれるんじゃなかったの?」
「昼からねー」
暫く気持ち良くてうつらうつらしていると玄関のチャイムが鳴った。
「出ないとー」
「あー」
「あー、って多分荷物」
「あー」
理さんは起きて、ベッドの傍に散らばる黒い無地のTシャツとベージュのハーフパンツをはき部屋を出ていく。
髪は寝癖もなく意外なほど真っ直ぐ。
私はベッドから起き上がり、部屋を見渡す。
夢じゃない。
本当に彦根に来たんだ。
シャワーと朝食とお洗濯を済ませ、二人で自転車に乗り、琵琶湖近くの介護施設を目指す。
「風気持ちいいねー」
「あー」
「いいお天気だねー」
「あー、何か食って帰ろ―」
「うん」
自転車で前を走る理さんを見ながら昨日の夜は彼の背中に触れたけど見なかったと気づく。
曾お婆様は補聴器が嫌いらしくしていないため、ホワイトボードでの筆談で話した。
阿闍梨餅を喜んでくれて、私達がいる間に二つ食べた。
お婆ちゃんは私が最初に書いた美弥子という字を消さず、また来ますと私が書くと、きてと書いて笑顔を見せた。
「ありがとう。婆ちゃん喜んでた」
「本当?」
「うん。又顔出してやってくれる?俺も必ず行くから」
「うん。食欲あるんだね。二つも食べたから驚いた」
「甘いものは好きだから。結構偏食家で、野菜とか嫌いなもの多かったんだけど、不思議と長生き」
「関係ないのかもね」
「好きなもの食べるのがいいのかもね、逆に」
「そうだねー」
「何食う?」
「何でもいいよ」
「早く食って荷物開けたいでしょ」
「服とかだから別に」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、すぐそこのスーパーにフードコートあるんだけど」
「じゃあ、マクドナルドがいい。暫く食べてないから」
「あー。俺も食べてない。そうしよっか?」
「うん」
介護施設のすぐ傍の大型スーパーの一階のフードコートにあるマクドナルドで食事を済ませ、お城の方をサイクリングして家に帰った。
「明日からちょっと自転車で探検してみるね」
「あー、探検するほど何もないけど」
「新しい土地ってだけでワクワクするからいいの」
「明日から仕事かー。やだなー」
「しんどい?」
「嫌。いいとこ就職したと思うよ。カレンダー通りの休みだし」
「お母さんに電話しなくちゃね」
「あー。そうだ。しといて」
「うん」
玄関のドアを開けると段ボールがそのままだった。
「暑いなー」
理さんが台所の窓を開ける。
「取りあえず、上運ぼっか」
「うん」
理さんは段ボールを二階の廊下まで上げると、右の部屋の引き戸を足で引き、段ボールを部屋の入口に降ろす。
お部屋に入り目に飛び込んできたのは、一昨年解散したアイドルグループ「ロミオ」のポスター。
メンバーはもう三十代だったはずだから、随分古いものだと思われる。
部屋の壁と言う壁が全てロミオのポスターで埋め尽くされている。
この家では壁にポスターを貼らなければいけない決まりでもあるのかしら。
寧ろ何も貼ってない壁ってどんなだったっけ。
「そのポスター、古いでしょ?亡くなった姉ちゃんの。ロミオの岸本君のファンで」
「そう、なんだ・・・」
「結婚して四年後には死んじゃったので母親も片付けられないくて、部屋そのまんまなんです」
「それは、そうなるよ・・・当たり前だよ」
「部屋さ、美弥子来る前に片付けようかなって思ってたんだけど、できなくってさ」
「うん・・・」
「どっから手付けていいかわかんなくてさ」
「うん・・・」
お姉さんの部屋はお姉さんが学生時代使っていたであろう机と椅子に本棚と洋服ダンスがあり、この部屋の時が止まっていることは十代後半だと思われるロミオのポスターがなくてもわかった。
「でも、片付けよっかな。これを機会に」
「え?」
「そうでもしないと一生これでしょ。実は下の部屋もそのままなんだ。下は父が亡くなってからは母が一人で使ってたんだけどさ、片付けられなくてそのまんまなんだ」
理さんが階段を降りて行ったので、私も降りた。
彼の背に張り付く影を摑まえなくてはと思った。
下へ降りると台所から吹き抜ける風が心地よく援護してくれるようだった。




