26
「そろそろ寝ましょうか?」
「はい」
はいなんて殊勝な返事したけど、内心はやっとだー、とガッツポーズした。
こんなはしたない脳内だっただろうか。
野球のせいかもしれない。
台所の電気とエアコンを切って、ボストンバッグを左手に玄関を入ってすぐの階段を理さんの後ろから登っていく。
二階には二部屋しかなく、理さんは左の部屋の引き戸を引く。
理さんが電気をつけると目に一番に飛び込んできたのは野宮さんだった。
予めエアコンを入れておいてくれたのか快適な温度だった。
「すみません。あのベッド、シーツ変えたんで、これで今日は寝てください」
「はい」
「俺は下で寝るので、ゆっくり休んでください。何かあったら起こしてください。玄関入っててすぐの部屋にいますんで」
「え?」
「じゃあ、おやすみなさい」
私は慌てて理さんのTシャツの裾を掴む。
そうしないと理さんは私を野宮さんで埋め尽くされた部屋に置き去りにしてしまう。
「あの、その・・・」
「えっと、どうかしました?」
どうかって、どうかしますよ。
何、驚いた顔してるんですか。
ネグリジェのせい?
新婚っぽくないから?
嫌、そんな、まさか。
「あの、一緒に寝ないんですか?」
「だって、疲れてません?暑かったし、電車乗って来たし」
「全然疲れていません」
「ベッド二人で寝るには狭いし」
「くっ付いて寝たらいいじゃないですか」
「でも・・・」
「一緒に寝たいです」
ここははっきりさせとかないと。
最初が肝心だ。
言うべきことはちゃんと言わないと。
「はあ」
はあって。
どうしよう。
興味ない人なのかな。
でも歓迎はしてくれてる。
同居人だと考えてるのかな。
それは困る。
私は普通に夫婦になりたい。
そりゃいずれは何の意識もなくいられたらいいけれど、今夜は一応二度目だって初夜なんだし。
こういうこと全部あの人に任せっきりだったから、どう誘えばいいのかわからない。
知識が同人誌だし、誘い受けとか好きじゃなかったし。
ああ、困った。
空ちゃんに電話したい。
というより今すぐ同人誌読みたい。
何でもいいから二人がひたすらベッドでいちゃついてるやつ。
「このTシャツなんですけど」
理さんは洋服ダンスからベージュの胸にキノコが描かれたTシャツを出した。
私は理さんのTシャツの裾を離さない。
逃がしたりしない。
これだけは死守しないと。
この夜を守るために。
「これね、野宮とお揃いなんですよ。春季キャンプ見に宮古島行ったんですけど、佐野のインスタに野宮さんとお揃いで買いましたって載ってて俺も買ったんです。これ、MIYAKOって書いてるでしょ?」
確かに胸のキノコの絵の下にローマ字でMIYAKOと書かれている。
理さんはTシャツの裏側も見せてくれた。
シーサーの絵とキノコの下にまたしてもローマ字でMIYAKOと書かれている。
「書いてありますけど・・・」
「凄くないですか?俺昨日これに気づいて、凄いなって」
「何がですか?」
「えっと、美弥子さんじゃないですか?」
「私のことですか?はい、美弥子ですけど・・・」
「マジックナイツのキャンプ地が宮古島なんですよ」
「はい・・」
「このTシャツ今年買ったんです。まだ美弥子さんを知る前ですよ」
「はい・・・」
「凄くないですか?予言ですよ」
「予言?」
「今夜このTシャツの話するためだったんですよ。野宮がこれを買ってくれたのは」
「はあ」
「知り合ってからなら買っても可笑しくないじゃないですか?お嫁さんの名前入りなんて」
そうかな。
逆に買わないと思うけど。
「それを既に買ってたんですよ。凄い」
「そうですね・・・」
「運命かもしれないって、昨日気づいて」
「はい」
「って話です」
理さんはタンスにTシャツをしまった。
「取りあえず座りませんか?」
私は裾から手を離さずベッドに誘う。
有り難いことにこの部屋はベッドとパソコンが乗っている机と椅子しかないし、野宮さんと思われる背番号六の選手の絵が描かれたダイカットクッションはあるけど、これに腰かけたりはしないだろう。
私がベッドに腰を下ろすと、理さんも隣に腰を下ろした。
良かった、座ってくれた。
まずは第一関門突破だ。
でも、ここからどうしたらいいんだろう。
空ちゃんの進めてくれた、あらゆるシチュを網羅しているという、今話題の今年の覇権カプいのまた検索しておけば良かった。
同人誌で誘い方勉強するのもなんだけど、ファッション誌の受け売りで、自分のキャラじゃないようなことはできないし。
でも今回は人任せにしたくないって言うか、理さんも野宮さん以外興味ないんだろうし、自分が積極的にならねばって思うんだ。
「あの、猫ちゃん可愛いですね」
取りあえず沈黙を何とかせねばと思い、ベッドに乗っている黒猫のぬいぐるみを手にする。
「あー、これはヴィヴィです。マジックナイツのマスコットの」
「あの黒魔導士みたいな双子ちゃんじゃないんですか?」
「あの二人の肩に載ってるのがヴィヴィです。着ぐるみでも乗っかってますよ」
「へー」
何か会話の糸口をと思いお部屋を見渡すけど、野宮さんとマジックナイツのグッズしか目に入らず、またしても沈黙が訪れる。
「何かすみません」
「え?」
「気使わせてしまって。本当なら俺からちゃんとすべきですよね。男なんだから」
「いえ、男とか女とか関係ないです。その、いける人がいけば・・・」
何やっているんだろう。
いけもしないくせに中途半端に突撃して。
ぐいぐいいくと見せかけといて、どうしていいかわからない。
挙句相手を困らせて。
「美弥子さんものすごく綺麗だからどうしていいかわかんなくって」
「あの、取りあえず敬語やめませんか?同い年なんだし」
「そうです、ね」
「さんもいいです」
「はい」
「後そんなに綺麗じゃないです。腐女子だし」
「それ、マイナスになりませんよ」
「そういえば、引きませんでしたよね?ハーレクインとか知ってたし」
「大学の時付き合ってた彼女が腐女子で本とか出してる人だったので」
「彼女いたんですか?」
これは衝撃だった。
自分でも顔面蒼白になったことが分かりすぎるくらいわかった。
声が幽霊のそれになった。
てっきりこの人も私と同じだと思っていた。
どうせ結婚するんだし、無駄なことはしない、趣味に没頭した学生時代だと思っていたのに。
「えっと、はい、いました」
「そうだったんですか・・・」
「え?あの、すみません。落ち込んでます?」
「いえ、別に」
「え?下向かないでくださいよ。あの、昔の話ですよ」
「どれくらい付き合っていたんですか?」
「三年くらい」
三年も。
私と楓さんが一緒に暮らした時間よりずっと長い。
大学は四年間行くから、そのうちの三年間を一緒に過ごしたのだ。
「どうして別れたんですか?」
「お互い相手が決まったので」
まあ、それ以外に分かれる理由なんかないか。
聞かなきゃ良かった。
だってもしフェイト・システムに誤作動がなかったら、彼女さんと別れたばっかのこの人と私は出逢って結婚することになったのだ。
彼女さんもこの部屋を見たのだろうし、この部屋に泊まったのだ。
「あの、本当に何でもないですよ。大学卒業してからは会ったこともないし。本当に」
「はい・・・」
「この部屋もこうなったの別れてからなんで、こうなってから部屋に入れたの初めてです。美弥子が」
思った以上にショックを受けている自分がいる。
「彼女さん今どこにいるんですか?」
「結婚して島根です」
「行ったこと有ります?」
「島根はプロ野球チームないので行ったことないけど・・・」
あったら行くわけだ。
この人はとんだたらしなのだろうか。
まるで清純派アイドルに彼氏がいた時のような落胆ぶりだ。
本当に自分は根っからのオタクなのだ。
だからこの程度のことで落ち込むのだ。
本当に鞘師が二次元で良かった。
彼女なんかできたらきっと耐えられないし、もう見れない。
だって単純に割り切れない。
「あのさ、美弥子。機嫌直して」
「直んない」
初日からこれじゃ先が思いやられる。
めんどくさいと思って呆れられたかもしれない。
でも嫌なものは嫌だ。
「どうやったら直る?」
理さんは顔を覗き込む。
その仕草も年上のお姉さんヒロインぽくて腹が立つ。
でももうお手上げだし甘えることにした。
「今日」
「今日?」
「一緒にー」
「一緒に?」
「寝てくれたら許す」
理さんは吹き出すと、私を腕の中に手早く収めた。
何ていう人。
「眼鏡外すと見えない?」
ベッドに仰向けになって眼鏡を外した理さんを見上げ私は言う。
「近視だから近くのものは見えるよ」
「いつからかけてるの?」
「就職してから」
「大学の時は?」
「そこまで悪くなかったからかけてなかったよ」
じゃあ、彼女は知らないのか。
まあいいか。
これから私は三年以上の時をこの人と過ごすし、あのキノコのTシャツに彼は運命を感じてくれたのだから。
部屋の灯りが気になったけど、もう彼に任せようと思い目を閉じた。
少し熱くなってきて、部屋の設定温度を一度でいいから下げてほしいと思った。




