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「野宮下の名前、司って言うんですよ。可愛くないですか?」
「可愛いです」
「可愛いですよね。野宮可愛いんですよ。何て言うのかなー、そのー」
「美少女ヒロインの名前ですね」
「そうっ。それです、それ」
あ、笑った。可愛い。
そんなわけないのに、そんな風に思っちゃうのは運命という不可思議な情熱を伴わないものに、私がどこまでも毒され呪われているせいだろうと感心する。
山田さんはトイレから帰ると何事もないかのようにこの調子でずっと野宮さんの話をしている。
彦根に行っていいんですよねと念を押したかったけれど、やっぱりなしでと言われたら困るのでもう何も聞かないことにした。
「野宮本当可愛いんですよ。喋るの下手って言うか、真面目なんですよね。ヒロインも控えめで面白いこと何にも言わないんですけどー」
「すみません、ヒロインって?」
「あー、ヒーローインタビューです」
「あー」
「でも野宮佐野と一緒だと結構喋るんですよ。佐野って言うのは野宮のいっこ下で俺らと同い年で、でも野宮より先にスターになったんですね。佐野は高校時代からエースで四番で注目されてた選手なので。
プロに入ってから外野手になったんですよ。センターやってて、足も速いし、肩はいいし、長打もあって、
まだタイトル取ったことはないんですけど、今年は打点王いけそうなんですよ」
「はあ」
「この佐野ってのが野宮のこと大好きで、毎回インスタ野宮出してくれるし、それだけじゃなくって何がすごいって野宮は広島の子なんですね、で、子供の頃は勿論カープファンだったんですよ。でもカープ指名しなくて。まあ野宮ドラフト六位なんで。で、佐野は京都の子なんですよ。なのに、なのにですよ。
此処からがすごいんですけど、もう運命の話になるんです。フェイト・システムすげーって話なんですけどー」
「はい」
「野宮とね、佐野のお嫁さん姉妹なんですよ。凄くないですか?」
「凄いですね」
「凄いですよね。正しく運命のセンターラインなんですよ」
「はあ」
山田さん、本当に野宮さんが好きなんだなあ。
何だか自分を見ているみたい。
結婚前、空ちゃん達とアニメの話したりゲームの話したりする時こんなだったなあ。
言葉が淀みなくどんどん溢れて来て止まらなくなる。
楓さんがこんな風に話すのを見たことはなかった。
彼は何が好きだったのだろう。
名前も覚えられない細胞かしら。
そう言う話を私が出来たら、いつも退屈そうに「何か話してください」と言わせてしまうこともなかったのかな。
お休みの日いつもテレビを見ながら彼が私の髪に触れ言った。
「何か話してください」と。
そのたびに私は困り、結局いつも彼が興味もない恐らく一生見ることのない私が見た深夜アニメの話、ゲームの話、新しく読み始めた漫画の話をするしかなかった。
「で、野宮のお嫁さんと佐野のお嫁さんも凄く仲良くて、まあ、姉妹だから当然なんですけどー」
「そうですね」
「しょっちゅう一緒に出掛けてるんですよねー。どこどこに野宮さんと行ったとか、野宮さんからこれ貰ったとか、今度野宮さんとここに行く約束しただの、本当にね、女子かっていう」
「そうですね」
この調子ならこの人が私に「何か話してください」と言われることはないだろう。
私は人の話を聞くのは好きだ。
というより人が好きなものについて話しているのが好きだ。
好きなものを話すとき人は皆瞳にまるで火が灯る。
火花と言ったらいいのだろうか。
でも山田さんのはとても穏やかで。
この人と暮らしていけたらいい。
この人が何もないと言う彦根で。
何もなくたってこの人がいる。
そう思えるくらいには私はこの人に好感を覚えている。
野球の話はさっぱり分からないけれど、誰だって自分が興味のないことは知らないものだ。
でも私は今日野宮司と野宮さん大好き佐野さんを覚えたから、家に帰ったらちゃんと調べようと思う。
「本当に可愛いんですよね。球団もセット推しって言うかまあ、仲がいいってのがあるからなんでしょうけど、最近やたらとプッシュしてきますね。有り難いです」
「はあ」
「あの、別にあれですよ。あの、俺が野宮とどうこうなりたいってわけじゃないんですよ。野宮のことは大好きですけど、あれです。野宮が嬉しいと嬉しいって言うか、野宮が大事にされてると嬉しいんですよね、もっともてはやされてもいい選手だと思うんですよ。足速いし、走るのがね上手いんです。守備も上手いんですよ。選球眼もいいから出塁率もいいし、最高の一番バッターだと思うんです。ファールもね何球粘るんだってくらい打つんですよ。これ凄く大事なんです。相手ピッチャーに球数投げさせるの。その打席は打てなかったにしても後で必ずそれが生きてくるんですよ」
「はあ」
「本当に野宮には幸せになって欲しいんですよね。野宮のお嫁さんね美人ではないんですけど感じのいい人なんですよ。性格が良さそうっていうか、いい人そうなんですよね。それが嬉しくて」
「はあ」
「だって嫌じゃないですかー。自分の好きな選手が、プロ野球選手ですよ、お嫁さん評判悪いのとか嫌じゃないですか。野宮のお嫁さんの手料理佐野のインスタによく載ってるんだけどむちゃくちゃ美味しそうなんですよ。それも又嬉しくて。野宮ちゃんとしたもん食ってんだなって」
「そうですか」
帰ったら佐野さんのインスタ絶対見なきゃ。
この人が何を見て美味しそうと思うか知らなくてはならない。
結婚が二度目と言うのはいいのかもしれない。
少なくとも失敗から学べるし、今度はこうしようと思える。
本当ならこの人と結婚してて、毎日こうやって野球の話してたのかな。
そうしたら今頃野球のルールも覚えられて選手の名前とか言えるようになってたのかしら。
お休みの日には一緒に奈良の野球場に行って応援して、そんな毎日だったのかな。
野球場にいる自分は想像もつかないけれど。




