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「湿気つえーなー」

「本当に。……髪が痛む」


 凛音が怖いくらい男らしい声で憎々しげに呟く。ちょっと迫力ありすぎてビビる。

 机の上に握られている拳はわなわな震えて、席に座っているだけなのに妙な迫力が溢れている。

 今日は和羅も休みだし俺がこの不機嫌な凛音と一緒なのか。心細い。


「やっぱ髪は大事なんか」

「そりゃね。私は顔も足も毛が生えるし声も低いし体格もごついけど、髪だけは丁寧に手入れして、本物で女性に勝ってる自信がある。僕の美しさの自信だ」

「僕?」

「……いや、なんでもないわ、気にしないで」


相当参ってるな、こりゃ。っていうか女の喋り方しすぎてそっちが素だと思ってたけど、男みたいな喋り方の方がこいつの素っぽいな。

 素が出るほど参ってるのか~こいつのこと三ヵ月は見てるけど僕って言ったの初めて見たぞ。そんなにか、梅雨。

 むしろ放っておいた方がいいのかもしれないが、こいつをこれで放置するのも少し心配だ。

 

「そういやお前英語めちゃくちゃできるのな。なんかいい勉強方法でも知ってんの?」

「それは……まあ、うん。実戦あるのみよ」

「実戦。イギリス人と喋るとか?」

「ええ」


 予想外の答えに思わず聞き直しそうになる。だってつまり、こいつが外国人と喋ってるということだ。

 フリークとして見られている気がするがそもそも外国人と喋るってどれだけ会話が続くのか。


「あれか? 英語の塾に行ってるとか」

「ノンノン、今時そんなことしなくても平気なのよ」

「じゃ、なに?」

「……まあ、その、ブログの方でちょっと」


 ブログ!? 聞き慣れない単語に少し色めき立つ。それってあれだよな、芸能人とかがやってる、なんか炎上とかコメントとかしてる日記。

 高校生の身分でそんなことしてるのも驚きだし、それで外国人と喋るっていうのが何より驚く。ワールドワイドなブログなのか。


「どんなブログなんだ? 何書いてんの?」

「そこはヒミツ。乙女のね」

「どの口だよ」


 やっと、凛音はけらけら楽し気に笑った。つかこれくらい安心してる感じは今までで初めてかもしれない。

 ブログやってるなんて話自体、こいつなりに歩み寄ってくれたからなのかもしれない。

 別に、そんなに気にしなくていいと思うけど。

 三ヵ月。

 意外とお喋りが好きで、人懐こいところもあって、たまに耐えきれなくなって男みたいに笑うやつ。

 三ヵ月ずっと一人で過ごしていた凛音のことを思うと、他の奴より何か感じるものがある。

 寂しいやつだよな。自分から声かけたり友達作らないのは、空気のせいもあるだろうけど。


「お前さ、嫌なこととかあったら言えよ」

「なに、急に? 湿気が本当に最悪だけど」


 いらん気を回して話を振り出しに戻してしまった。うへへと申し訳なく笑ったら何それ、気持ち悪い、と一蹴された。いらん気は回すもんじゃないな、全く。

 まあ時間も時間だし席に戻ろう、とした時だった。


「陽人、ありがとう」

「ん? おう」


 んまあ伝わってるなら安心だ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(陽人、本当に良い奴なんだよな……)


 大黒凛音にとって、実際その三ヵ月の時間は楽なものではなかった。充分耐えられるものではあったが、それが三年間続くとしたら……という不安は狂おしく寂しいものである。

 体育で組も作れないほど凛音は人見知り、というか内気な性格で、打ち解ければ容易いが、女装故のアウェーで誰かと関りを作り始めるには大変な勇気が必要であった。

 頻繁に休む和羅がいたからこそ、陽人と知り合い、近づくことに成功したのであるが、彼に近づいた理由はそんな寂しさだけではない。

 

(……どうしよう、どんどん好きになってしまう)


 女装する理由というのは、各人理由があるだろう。自己の実現や性の不一致、ファッションとして、など数あれど、大黒凛音が女装する理由は単純明快に『男性が好きだから』である。

 女性の姿をしていれば、美しければ好きになってもらえるかもしれない。発端はそれである。

 陽人に声をかけたのも、単純にクラスメイトの中で外見が好みだった。顔で選んだ友情だった。

 それが存外に良い奴だったのだ。


(ガタイ良いしめっちゃフレンドリーで肩とか組んでくるくせに凄い心配性で優しいのは狡いって。好きにならない方がおかしい)


 割と童顔、髪が短め、笑顔が似合う、その他様々な凛音の基準に照らし合わせても陽人は合格であったが、何より彼は優しかった。自分の姿にも理解を示してくれた。

 しかし、その性的指向にまでとは限らない。

 友情と恋愛が別、というのは至極真っ当な考えであるが、それでも男女の友情は成り立つのか、難しい問題である。

 しかし同性なら簡単に分けられる、というのが通俗の考え。

 陽人も凛音のことは友達の変なやつ、と考えている。

 では男性に恋愛感情を覚える凛音にとって、男と友情を育むことができるのだろうか。

 答えはイエスなのだ、和羅との距離感は心地よく、様々な相談相手にもなってくれる。

 でも陽人は別。そもそも性的に見ていたのだから、その切り替えは難しい。

 

(抱きしめたりしたら引くだろうな。手つないだりとか、もっと気持ち悪そう。普通に肩組んだり……ってかそもそもこれでいいのかね?)


 向こうは友達と思ってくれているのに、自分が劣情に塗れていることは失礼だと思う。

 だがしかし、今は本当にいい関係なのだ。確かに陽人のことを好きかもしれないが、それ以前に話しかけてくれた気の置けない親友であることもまた事実。

 今の関係性を続けたい気持ちも、それより親密になりたい気持ちも、どちらも嘘ではないのだ。


(都合よくいかないし黙っているのが一番なんだろうけど……)


 好きだ、という気持ちだけでも伝えたい。そんなセンチな感情は男だろうと抱く。フラれると分かっていても、自分の気持ちに整理をつけたい。

 また入学時に続いた、孤独な生活に戻るとしても、それよりなお酷い目に遭ったとしても、今目の前にある幸せをつかみ損ねても、思いを清算したいと……。

 思うような、思わないような。


(とりあえず、黙っておこうか。黙っておこう。うん、喋るようになって間もないし)


 体育で組を作るために初めて声をかけた時でさえ、半ばやけっぱちだったのだ。今、安心がそこにあるのなら無理に壊すこともない。

 はぁぁ、と変わらない結論に溜息しながら、それでもまた明日、陽人に会えることを楽しみにして凛音は眠りに落ちた。


―――――――――――――――――――――――――――


「おっす凛音」

(うわぁ近い)

「おはよう」


 背中から肩をぐいと引っ張られ、ともすれば頬が触れ合うのではないか、と思うほどの距離で、そっと凛音は髪を梳いて顔と顔の間に髪を運ぶ。


「お前の髪ほんといい匂いするよな」

「そう? ありがとう」


 そっけなく言葉を返すものの、心臓はバクバクと鳴り響いて緊張が伝わっていないかとまた緊張するほどに嬉しい。

 髪は、特に凛音の命であった。自らの男を隠す部分であり女性よりなおも女性らしい、凛音の最大の武器にして精神的支柱。丹念に手入れし大事に扱っているからこそ、褒められると嬉しさも一入だ。

  

(う、うれしい……どうしてこうも言ってほしい言葉を言ってくれるんだ)


 そわそわ、痛まないように髪を優しく撫でながら凛音はそんなことを思うのであった。

 まだ秘密に、もう少しだけ今の時間を続けよう、なんて自分をごまかしながら。

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