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天界から天上界を通り人間界に向かった。
「おい、ここは聖なる天上界じゃないのか」
來が興奮した声を出した。
「神の逆鱗に触れるぞ」
永遠は答えず天上界を抜けた。
「天上界は楽園だと神々は言っていたが、本当は何も無い所なんだな」
『神の前では言わぬ事だ』
「そうだな。天上界には神より尊い方が居ると父と母が言っていたが、嘘だったのだな」
『居るのは無力な者よ』
永遠は目を伏せて言った。
永遠に宇宙の従者の行動を止める力は無い。
來の言葉は正解では無いが嘘でも無かった。
天上界から人間界に移動した。
「遠回りしたのか?さっき人間界に行ったよな」
『天界と人間界の結界は厚い。神は天界と人間界の繋がりを1番嫌う』
「天界人は無意味な争いを繰り返す人間を嫌う。仲良くなりたいとは誰も思わない」
人間界を通り抜けようとして、來の前に畑が見えた。
人間が耕し、苗を植え収穫する。
早送りのように続く光景に人間の営みが見えていた。
『何も変わらぬ』
どの界に住んでいても欲望に際限がないのは同じ。
「あれは何だ?」
崖の下に鹿の子供がしゃがんでいた。
「崖から落ちたのか?」
來が助けに行こうとした。
『よせ』
永遠が止める。
「何故だ」
『周りに群が居ない。足を折って動けないあの子を助けても1頭では生きていけない』
「可哀想だろ」
永遠は來を黙って見返した。
「お前が助けないなら俺が助ける」
永遠は來の好きにさせた。
この生を終え、転生の流れに乗る事が小鹿にとって1番苦痛の少ない道だと、來には分からない。
『みな生きている。強い者が弱い者を食み、弱い者は更に弱い者を食む。それが命の営みよ』
「弱い者は助けるべきだ」
『來。お前が作る宇宙はそんな宇宙であれば良いな』
互いに助け合う世界は理想だが、叶わぬ夢と永遠でさえ知っている。
欲があるから命は生きていて、暮らしを営む。
《何故見捨てる》
來の中の微かな声を、永遠は聞こえない振りをした。
來が手を尽くしても、小鹿は弱り力尽きる。
哀れではあっても、その骸を食んで生きる命がある。
「お前には助けてやれる力があるはずだ。何故助けてやろうと思わない。その神と似た衣は偽か」
永遠はふわりと笑ってマントのように布を纏った。
『私は神ではない。この星よ。我が命の輪を乱せば、この星が歪む』
「意味の分からない話は良い」
來の切り捨てる口調に、永遠は目を伏せる。
『目先の哀れだけを見て星を変えてはならぬ』
「たかが、小鹿1頭」
來は鼻で笑った。
《育む者が見捨てるか》
永遠の痛みに耐える表情に來は気付かない。
『生きるとは命と真摯に向き合う事。我はそれを見守るのが勤めよ』
「無力だな」
來の言葉に痛みを感じながら、永遠は静かに微笑む。
「あれは何処だ」
『転生の流れに向かう門』
「地獄か」
來の声が緊張した。
『地獄ではない』
「神は地獄だと言っていたぞ」
『そうか』
永遠は肯定も否定もしなかった。
産まれ落ちて後、宇宙の従者は【鳳來】を望み永遠を退けてきた。
【鳳來】を拒み、拒まれた永遠を宇宙の従者は拒む。
それをとがめる気持ちは永遠に無い。
この転生で【鳳來】の【覚醒】は望むが、その横に自分を望む気持ちは消え失せている。
【鳳來】の【覚醒】の後は、この宇宙に自分がいる意味も消える。
それまでに、可能な限り命の営みの大切さを見せてやりたかった。
それを終えたら静かに消えたい。
それが永遠の望みだった。
永遠とて孤独を選びたかった訳ではない。
自分の中の譲れない物を守れば、残る道は少ない。
永遠は横の來をそっと見た。
【覚醒】して、【鳳來】になってしまった來とは、こうして隣に居る事も叶わないだろう。
つがいとして産まれてきて。
星の寿命の大半を孤独に過ごした。
【鳳來】の付けた傷が星の寿命を縮めたと閻魔は言ったが、そうではない。
心の寒さが星から熱を奪う。
かじかんだ手を温める術もない己を笑う。
來の中に【鳳來】を見る永遠の目は穏やかだった。
『寄り道していこう』
「儀式は迫っている」
永遠がふわりと笑った。
小鹿にその無い時間を割いたのは來だ。
本当に変わってない。
『お前に見せたい物がある』
永遠は強引に転生の門に向かった。
重々しい空気に來が緊張するのが伝わってきた。
「悪人はここで裁かれるのか」
『裁かれはせぬ』
「じゃあどうするんだ」
來は喧嘩腰に聞いてくる。
『魂を清める』
「それは悪人だけだろ」
『負の感情は誰にでもある。嫉妬、憎しみ、妬み。数えればきりはない』
「それは【本能】だ」
『それを押さえるのが【理性】よ』
いくら話しても來は理解しないだろう。
『【理性】が【本能】に飲まれれば【欲望】になる』
分かって欲しいと願いながら、永遠は言葉にする。
『久しいな』
門で閻魔が待っていた。
「ようこそおいで下さいました」
神と対等の力を持つと言われている閻魔が、永遠に膝を折ってかしずく。
『來に【命の蓮】を見せたくてな』
「來、にですか」
『…届けば良いが』
永遠と閻魔の視線が絡んだ。
「おい」
後ろで焦れて声を上げる來を閻魔が呆れて見た。
「これは…」
閻魔の顔に『残念』とあった。
『天界の者【來】だ』
閻魔に來を引き合わせる。
來は挨拶もしない。
『門を守る【閻魔】だ』
「お前が閻魔か」
閻魔が僅かに目を見開いた。
「來とやら、物言いを改めぬと命を縮めるぞ」
静かだが有無を言わせぬ閻魔の声に來が怯んだ。
「…悪かった」
渋々謝る來を永遠だけでなく閻魔も残念そうに見る。
來の中に眠る【鳳來】の意識は遥か遠い。
「今案内の者を」
『良い。我が連れていく』
永遠が來を連れて行ったのは、先が見えないほど広い睡蓮の花が咲く池だった。
「これは見事…」
息を飲んで景色に見入る來に転生の記憶は甦らない。
横で來を見守っていた永遠は、落胆の表情を隠した。
「これを見せたかったのか?確かに綺麗だが態々見せるほどの物か?」
來は投げるように言った。
『あれを見よ』
蓮の蕾が開き、中から丸い小さな玉が空に昇る。
「あれが?」
來は気付かない。
『ここは【命の木】があった場所』
「【命の木】?」
來はめんどくさそうに言った。
『記憶に、琴線に触れぬか』
「何の事だ?」
永遠が諦めを面に乗せた。
來は不思議そうに永遠を見た。
『お前が目にしているのは命の誕生』
「命の?あれが人間になるのかっ」
來が驚きの声を上げた。
『ここを見て昔菩薩が言った。ここは【涙の産まれる場所】だとな』
「涙の?何故だ?」
『生きるのも苦しいからであろう』
「これだけの数が人間になればそうだろうな」
『人間になるのはわずかよ』
「なら何になる」
『全ての命に。あの小鹿も転生の門を潜り、生まれ変わる。中には天界に産まれる魂もある』
すると來が凄く嫌な顔をした。
「神の種族と小鹿を一緒にするな」
『本当にそう思っているのか』
永遠の声に期待は無かった。
沈黙を破るように、閻魔が2人の後ろに立った。
「【命の蓮】の後はどちらへ?」
『このまま魔界に行きたいが、天魔界にて慣らさねば、來にはきつかろう』
閻魔が頷いた。
神の企みで界毎に空気の重さは違う。
神が手が出せない天上界が1番過ごし易く、天界、人間界、と続く。
目的の魔界は負の気が強く、來だけなら息が出来ず行く事も戻る事も叶わないだろう。
「天魔界に知らせを届けておきましょう」
『無用』
「通り過ぎるだけでも、お顔をお見せ下さりませ」
閻魔が白虎を指しているのは聞かないでも分かる。
昔、無理をさせた気持ちがあるから、永遠も頷いた。
それに…。
天魔界には來の【覚醒】に大切な役割を担う【宝】が静かに眠っている。
「天魔界に行けるのか」
來の顔は期待に輝いていた。