再開
神話の世界のような神殿で、少女はうつ伏せの体を両ひじで支えて上半身だけ起こしていた。
白い布を巻き付けただけに見える姿が、景色に溶け込んでいて違和感が無かった。
目の前には手のひらに乗るサイズの黒い玉が、宙に浮かんでいた。
少女が黒い玉に手をかざすと、一瞬だけ黒い煙が消えて中が見えるが直ぐにまた充満して見えなくなる。
少女は寂しそうに笑みを浮かべて黒い玉を消した。
時は迫っている。
『これも運命よ…』
少女は立ち上がり宇宙を見た。
その時風が動いた。
「ここにいらしたのですか」
風に邪魔されながらも老人と若い女性が入ってくる。
老人の口調は明らかに少女を責めていた。
「お急ぎください」
老人の慇懃無礼な物言いにも少女は何も言わない。
風が少女を守るように流れた後、少女の姿は消えて空気に火の粉が舞っていた。
「來待てっ!」
「お前は来るな」
天界の空を虎に翼を付けた獣が2頭駆けていた。
その背の2人の青年は、各々手綱を引いていた。
先を走る來を遅れた青年が追う。
「結界を破れば処罰されるぞ」
「構わぬ」
「來っ!」
來の乗る獣の方が速くて、後ろを追う青年との距離は簡単に開いた。
「お前は待っていろ。俺が連れ帰ってくる」
「來っ!止めてくれっ!戻ってこいっ!」
來に青年の必死な叫びは聞こえなかった。
結界さえ超せれば。
來はその思いで一杯で、他は見えていなかった。
「振り切れたか」
後ろを確認してから、來は前に視線を戻した。
後ろの青年は來の友人だった。
その友人の弟が昨夜魔界への贄として連れ去られた。
100年に1度、天魔界と天界で贄として子供を取り替えるしきたりがあるのは知っていたが、まさか魔界ともあるとは知らなかった。
來が怒りで取り返しに行くと決めた理由は、贄の子の命を儀式で神に捧げると知ったからだ。
天界からだけでなく天魔界からも拐ってきて、儀式の贄として捧げる。
それを誰も止めないのが更に來を怒らせた。
「絶対取り返して見せる」
來は自分に言い聞かせるように口に出した。
『結界に阻まれるよ』
後ろから聞こえて来た声に驚いた。
自分が乗ってる獣より速い獣は天界に居ないはずだから、驚きが來に後ろを振り向かさせた。
驚きだった。
白い布の少女が獣と並んで飛んでいた。
來は自分の目を疑った。
有り得なかった。
「…嘘だろ」
ポカンと少女を見ていた所に、ガツンと衝撃が襲って体が撥ね飛ばされた。
急激な落下に何が起こったのか分からなかった。
視界の隅で乗ってきた獣も落下していた。
獣の方が重いので落下速度も速い。
そこでやっと結界にぶつかったと頭が理解した。
「ちっ」
舌打ちが出たがもう遅い。
下を見ると、かなり下に海と地上が見えた。
自力で空を飛ぶ力の無い來は、このままだと地面か海に叩き付けられ死ぬ以外道が無い。
冷静な自分に驚きながらも、自分のせいで獣まで命を落とすんだと気付いたら、申し訳なくなった。
『助けたい?』
「当たり前だっ」
横を見れば少女も並ぶように落下していた。
『助けてあげる』
少女は少し嬉しそうな顔をして、獣に手を向けた。
「…え?」
落下していた獣が翼を動かしてその場に留まる。
來はその手綱を掴もうと手を伸ばしたが、かすりもしなかった。
あっという間に、獣と來の距離は離れた。
「おいっ!」
來は横の少女に怒鳴っていた。
「俺も助けろっ」
少女はきょとんとしてからクスクス笑った。
少女の手が地上に向いた。
ふわり、と体が浮いた感覚にホッとした。
下を見ると、人間が作った町があった。
「ピー」
來は指笛を吹いた。
待っても獣の声が返って来ない。
見上げたがそこに獣は居なかった。
「どこ行ったんだ?」
周りをキョロキョロ探したが獣の姿は見当たらない。
今更だが、宙に浮いた自分に気付いてからは、來の目は前にいる少女に釘付けになった。
「お前は誰だ」
少女の目が悲し気に伏せられる。
「お前は誰だ、と聞いている」
少女は吹っ切るように顔を上げた。
『私は永遠』
「話に聞く風の民か?」
創世記に出てくる風の民は、空を自由自在に飛ぶ、と記録にあった。
「今は数人しか居ないと聞いたが、実在したんだな」
かなり失礼な言い方をしてるが、來は自覚してない。
『風の民ではない。我はこの星』
「人間、には見えないな」
來は胡散臭そうに永遠を見た。
その目は、やはり風の民だろうと言っていた。
永遠は諦めたように天界を指した。
『風に送らせよう』
永遠は宙に文字を書く真似をした。
「俺は行きたい所がある。お前、飛べるなら俺を魔界へ連れて行ってくれ」
『結界に阻まれる』
「神が勝手に決めた結界など糞くらえだ」
神を名乗る宇宙の従者は、天界、天魔界、魔界、人間界を互いに行き来出来ないよう結界を張った。
それぞれに門を作り、従者の配下を門番に置いた。
「俺は魔界に行きたい。行かなければならないんだ」
変わらない。
【鳳來】が眠る來は強引だった。
「お前の力で俺を魔界に連れて行ってくれ」
永遠は何も応えなかった。
來の友人の弟を魔界に拐わせたのは、宇宙の従者の指図で動いた者たちだった。
宇宙の従者は來が成人する昨日を待っていた。
成人と共に覚醒すると信じきっていた従者は焦った。
そこで思い付いたのが、來の友人の弟を拐う事だ。
危険に晒せば覚醒する。
従者は、永遠が來を【鳳來】を守るしかない状況を作ってから知らせてきた。
「俺は友の弟を助けてやりたい」
『生きて帰れぬやもしれぬ』
「覚悟のうえだ」
來は気負って言った。
天界人の母と天魔界人の父を持つ來は、天界に住んでいても友人は少ない。
來にとって、彼はその少ない友人の1人だ。
だから、助けてやりたいと心から思っていた。
『連れて行こう』
永遠は空に右の手のひらを向けた。
魔界の王は好戦的だが、今回に限り宇宙の従者が話を付けているはずだ。
「下ではないのか?」
『我に階層はない』
体が上に昇る感覚に來が咄嗟に永遠の肘を掴んだ。
永遠はビクンと震え、掴まれた腕を驚きの顔で見る。
來が見る永遠は泣き笑いの顔をしていた。
「あ…悪い」
來が慌てて手を離す。
永遠はただ首を振った。
「何処に向かっている」
沈黙に耐えられず、來が頓珍漢な話を振った。
『魔界に行くのだろう?』
永遠1人なら、魔界も自分の内なのだから思うだけで行けるが、來がいてはそうはいかない。
段階を経て移動するしかなかった。
「天界から真っ直ぐ行けるのかを聞いたんだ」
変わってない。
來のぶっきらぼうな言い方に永遠の顔が曇った。
「…悪い」
遠くに天界の神殿が見え、神殿の前にハープを弾く少年が見えた。
「見たことの無い顔だな」
來が何気無い感じで言った。
『彼は天魔界の少年』
永遠の返事に驚いて來が少年を見返した。
「あれが天魔界の贄か?」
來の言葉には悪意があった。
じっと見る來の口から冷たい言葉が出た。
「恨んでいるだろうな」
『何故そう思う』
「この星の犠牲だからだ」
來の言う意味が永遠には理解できなかった。
「星が安定しないから贄がいる。神がそう告げた」
『星のためだと?』
「そうだ」
永遠は静かに真実を語る。
『天界と天魔界の贄は、産まれた場所を正す儀式』
「産まれた場所?」
『稀に天界に産まれるはずの魂が天魔界に産まれる。逆も真実』
來が混乱した顔を永遠に向けた。
「…本当か?」
『天魔人の黒い羽根が白に生え変わり天界人になる』
「…生え変わる」