36 目印
「まあ、考えるのは侯爵の情報源よりこれからの交渉のことだな」
「そうですね」
考え過ぎてもよくない。わからないものはわからないのだ。
「ところでお二人は迷わず進んでいますが、道がわかるのですか?」
早足で路地を進む二人に遅れないようにレイドがついて来る。通りに出る道がわからないのでアーリアたちについて来るしかない。
「私たちも覚えてませんよ。 目印に従って歩いているだけで」
「目印?」
レイドが首を捻る。誰もがわかるような目印は付けられないが知る者が見ればこの上なくわかりやすい目印が実はある。
「目印は、アレだ」
ジェラールが路地の一角を指差す。
彼が指し示した場所には柄の悪そうな男たちが数人壁に寄りかかってこちらを見ている。よく見れば彼らの一人がある方向を示していることがわかる。
ジェラールがその方向へ曲がるとその先にまた数人の男たちがいた。
「まさか、あの人たちも騎士なんですか?」
到底騎士には見えない外見の者たちばかりだが、レイドが気づいたとおり、彼らは騎士団の仲間だ。
「その通りです。 行きも彼らの案内に従って目的地までたどり着いたんですよ」
アーリアが手を振ると彼らも小さくそれに応える。
「本当に…」
レイドが驚きとともに呟く。こんなに多くの騎士がいたことに驚いているようだ。
少し広い通りに出た。ここからなら迷うこともない。道案内をしていた彼らも撤収していた。
「これから―――」
レイドの言葉が不自然に途切れる。見開いた瞳が危険を訴えている。
「…?」
振り返ろうとするアーリアの背後からナイフを抜くような金属音が聞こえた。
「…っ!」
視線から凶器の場所を予想し、体を逸らす。
避けられることを想像していなかったのか、襲撃者が慌てて身体を反転しようとする。
それよりも早くアーリアは動いた。逸らした身体を勢いのまま回転させ、襲撃者の背中に蹴りを叩き込む。
倒れるほどの衝撃にも襲撃者はナイフを落とさない。
しかし彼が身を起こすよりもジェラールが手を押さえる方が早かった。
ナイフを掴む手を靴で踏みつけ、凶器を取り上げる。
「やれやれ、こんなおもちゃで俺たちを襲撃するなんて…」
「何者でしょうね。 物取りには見えませんが」
あっさりと襲撃者を押さえた二人にレイドは呆気にとられていた。
「お二人とも、お怪我は…」
「あるように見えますか?」
「いえ…」
短く問い返すとレイドが感嘆の息を漏らす。
「驚きました…」
「知らなかったんですか?」
騎士団に所属していることも言ってあるのに。
「予想はしていましたが…。 それ以上です!」
「?」
「その嫋やかな外見からは予想も出来ない、軽やかな身のこなし。
暴漢を打ち倒す鮮やかな技は舞踏のようで…。
まるで古に聞く戦乙女ですね…、とても美しい」
レイドの手が髪に触れる。
「金糸の髪が広がる様は一枚の絵画のようでしたよ。 …取っておけないことが残念なほどに」
称賛をどう取っていいのか狼狽えていると呆れた声が横合いから聞こえた。
「馬鹿やってないでこいつを縛る紐を持ってこい」
「?! は、はい!」
ジェラールの声に慌てて走り出す。
頬に感じた熱はレイドによるものなのかジェラールに見られていた恥ずかしさか。
「…!」
視線がいたたまれなくて全力で路地から逃げ出した。




