15 誘拐
「さて…」
どう来るかな、と想像を巡らせる。
港から続く道は暗くて狭い。
肌に感じる夜気はざわりとする生温かさを孕んでいる。
緊張よりも高揚の方が強い。
必ず来ると確信していた。
拳を軽く握りしめてその時を待つ。
怖いとは感じない。ひとりじゃないと知っているから。
少し離れたところにある気配を確かめると余分な力が抜けていく。
信頼している。その後に続く言葉が一つだけある。
一度も口にしたことのないその言葉を胸の中だけで唱える。自らに誓うように胸に手を当てひっそりと祈りを捧げた。
「…」
背後に不穏な気配を感じとり足を止める。
振り向く前に足音が聞こえてきた。
ばたばたと大きな音を立て、取り囲む男たちの中心には予想通りの顔があった。
その男は芝居がかった足取りで近づいてきた。
「こんばんはお嬢さん」
さきほどの夜会でも声を掛けてきた青年は衣装を変え、身にまとう雰囲気までがらりと変えてアーリアの前に現れた。
「あなたは…」
聞いていないので呼ぶ名前がない。躊躇った間を埋めるように男が距離を詰める。
「名乗るほどの者でもありませんが、あなたの進む道に付き添いたいと願う者です」
言葉まで芝居めいていて、ふざけているとしか思えない。
「こんな暗い夜道をおひとりで歩くなんて、不用心ですね」
すっとまっすぐに伸ばされた手。
そこには光を薄く反射する細いナイフが握られている。
「私を誘っているのかと思いましたよ」
ふざけた言葉とは裏腹に瞳には残忍な光を湛えていた。アーリアの行動如何によってはナイフが脅しではなくなるのだろう。
黙っていると男が更に一歩を詰める。
手の届く距離に入り、優位を確信すると無遠慮に男の手がアーリアに伸びる。
「…っ」
肌に這わされた手の感触に息を漏らす。
「ふふ、怖がらなくていいんですよ。 あなたを待つのは決して痛みのある未来ではないのですから」
気色悪さに声を上げそうになり、くちびるを噛んで堪えた。
「あなたが何故こんなところを歩いていたのかは答えなくて結構ですよ。 人目を避けたいこともあるのでしょうからね」
男の声にはおもしろそうな響きがあり、その音色に不審を感じていると男の後ろから拘束されたジェラールが出てきた。
咄嗟に潜入するときに使っている偽名を叫ぶ。
「ジェイル!」
「リーナ!」
引き出されたジェラールもアーリアがいつも使っている偽名を呼んだ。
悲痛そうな表情は演技だとわかっていても真に迫り、胸が痛くなる響きを宿していた。
問いただす視線に男が悪辣な笑みで答える。
「人知れぬ恋人たちの逢瀬には興味などないのですがね、彼が一緒の方があなたも淋しくないでしょうから、一緒に来ていただくことにしたんですよ」
潜入する前のやり取りを見られていたのか、青年はアーリアとジェラールが恋人だと思っているようだった。
「そんな、彼は…!」
「まあいいところのご令息のようですから多少騒がしくなるかもしれませんが。
よくあることですよ、冒険してみたくなるのは…、この年頃にはね」
男はジェイルの恋人、リーナに向かって言葉を続ける。
「思いあう秘密の恋人と消えたとなればご家族はともかく周りは納得しますから」
必要とされる役割を勘だけで演じる。
今の役は身分違いの恋人たち。
リーナは絶句した。思い人が自分のせいで家族と引き離されるなんて彼女には受け入れがたい。
「ジェイルだけはどうか逃がしてください! 私は逃げませんから!」
男に向かってリーナが懇願する。涙ながらの言葉を男は一蹴した。
「残念ですが、それはできません。 今、彼を放せば我々に危険が及ぶかもしれない」
助けを求められては困るのだと男が笑う。夜会で男が見せていた顔とは比ぶるべくもない不気味な笑顔だった。
「彼を逃がすのはあなたが逃げられなくなってからでいいのでね」
表情よりも言葉の内容がリーナを震えさせる。
「さあ、まいりましょうか」
男の言葉を合図に周りを囲んでいた男たちが歩き出す。
促されて歩き始めるアーリアの目に一瞬だけ振り向いたジェラールの視線がぶつかった。
「―…」
言葉を掛ける前に男の手がアーリアを引き戻す。
止められていた馬車に連れ込まれ、二人は見知らぬ場所へ連れて行かれようとしていた。




