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夜明けが近かった。
チューズデイの目測が正しければ、もうすぐ目標地点である。彼女は衛星写真を再度確認。薄暗闇の中、上空から見た光景と写真とを照らし合わせた。
岩の形は、写真のそれに近い。しかし、要塞らしきものは見あたらなかった。もし要塞があるとすれば、この近くの丘と丘の合間、渓谷付近にあるはずだと彼女は踏んでいたのだが、それらしき人工物は見あたらなかった。
完全なカモフラージュか。それとも情報が間違っていたのか……。彼女は疑念の眼差しで、単眼鏡を覗き込む。すると、そのときだ。突然、眼下で橙色の光が炸裂したかと思うと、ポンッ! という破裂音が聞こえてきたのだ。音はチューズデイから見て十時の方向から聞こえてきた。
すぐに彼女は身を乗り出し、音の方向を見やった。そこには、何かが爆発したような後が残されていた。破片らしき物体と、死体らしきものが砂上にうっすらと見える。
――現地ゲリラの衝突か?
チューズデイははじめそう思ったが、よく見れば爆散した何かの近くを、車両が通り過ぎていくのが見えた。その車両は丘を越え、谷間に入っていった。
するとどうか。暗い岩場の中から、岩壁に擬装したハッチが開くのが見えたのだ。そして車両は、その中へと入り込んでいく。間違いない。この先にあるのが、シンジケートの要塞。ハートブレイカーの隠し場所だ。
チューズデイは舵を切ると、開いたゲートの周囲をぐるりと旋回。上空で偵察を始めた。アナログな単眼鏡を片手に、彼女は岩場をのぞく。たしかにここは、ただの岩場ではないようだった。ところどころ人工的に岩を切ったようなあとが見え、さらにそこが継ぎ接ぎされているようにも見える。これでは偵察衛星や無人偵察機では捉えられまい。
チューズデイは徐々に降下を開始。着地地点を定めながら、静かに下降していった。
*
レノックスを乗せた装甲車は、クネイトラ北方にある要塞に入った。その要塞は、スタッフの内では仮に『雷神の丘』と呼ばれていた。理由は一つ、要塞が擁する巨大な兵器に由来する。
丘の外と内では、構造は大違いだった。要塞内部は、空気の乾燥した荒野などではなく、鉄筋コンクリートの近代的な建造物だ。外からではとても見当がつかない。
アチザリット装甲車は、運動場ぐらいはあろう要塞の駐機スペースに停車。他に何十台と並ぶ装甲車や、輸送車と肩を並べた。
停車した装甲車から降りると、レノックスを待っていたのは白衣姿の男だった。ハートブレイカーの主任研究員である、ヴァシリー・ルドニコフ。ロシア人ではあるが、研究者としてシンジケートに参加している。彼は研究さえできれば、どの国家であろうと関係ない。それどころか、兵器になっても構わない。むしろ兵器開発こそやりたいという男で、いわゆるマッドサイエンティストだった。
ルドニコフは、薄い金髪の禿頭をかきながら、カラシニコフを構えた兵士を引き連れてやってきた。物々しい雰囲気に、ルドニコフは自らに酔うような振る舞いを見せる。
「こんばんは、ミスタ・ブラッドレイ。いや、おはようございますかな? ま、ともかくご苦労さまです。お見事でしたよ? ロンドンでの一件」
「どうも、ドクター・ルドニコフ」レノックスは事務的に返す。「それで、ハートブレイカーの実戦データですが、こちらに」
上着のポケットから、USBメモリを一つ。レノックスはそれを、ルドニコフに手渡す。その中に入っているのが、ハートブレイカーの実戦での使用データである。サドルディンが使っていたものから抜き出したものだ。
「これはこれは……。どうもありがとうございます。いかがでしたか? 私が作った武器の使い心地は」
「おおむねあなたの計算通りですよ、ドクター。小型のままでもハートブレイカーは十分に価値のある武器だ。特に、暗殺にはもってこいでしょう」
「でもそれだけではない……。あなたもご存じでしょう?」
「もちろん。試射の準備は?」
「もう整っています。あとはあなたのデータを用いて最終調整を行い、上からの許可を待ちます。それが終われば、もうこちらのもの。世界が変わるんですよ、ミスタ・ブラッドレイ。楽しみだ」
「フムン。しかしあいにく私は、世界の変革がどうとか、そういうことに興味はなくってね。でも、自分が送り届けた兵器がどのような威力を有しているのかは気になる。最後まで見学させてもらおう」
「それはもう、どうぞごゆっくり。……それでは、私は準備のほうがありますので」
ルドニコフはそういうと、メモリ片手に兵士を侍らせ、要塞の奥へと消えていった。
それからレノックスは、『雷神の丘』のスタッフに連れられ、試験場の近くまで案内された。彼がやってきたのは、ちょうど大型ハートブレイカーが搭載された格納庫の、そのキャットウォークにある観測室だ。室内は強化ガラスと特殊合金によって完全にシールドされており、ものものしい雰囲気を帯びていた。
「この室内は厳重にシールドされているため、電磁パルスの影響は最小限に抑えられます。しかし、念のため電子機器の使用はご遠慮ください。それから、発射時にはサングラスをかけておいてください」
白衣姿のスタッフがレノックスに注意した。
彼は軽くそれを聞き流しながら、観測室奥にあるソファーに座った。その前には、コンピュータとにらめっこするエンジニアたちが並んでいる。彼らは画面上に無数に流れる文字列と格闘していた。
カタカタと小気味よいキータイプの音が響く中、スピーカーから声が轟いた。
『システム補正が完了。ハートブレイカー、発射準備段階に入ります』
『了解。試射の許可を乞う……試射の許可を乞う……』
『試験発射許可。ハートブレイカー、起動準備はじめ』
『エネルギー充填開始。照準セット。目標、方位一六八。クネイトラ近郊、ASIS一個小隊』
強化ガラスの先、巨大な単眼鏡が動き始めた。砲身の前方、岩場の擬装が油圧で上に上がる。外が見えた。まだ空は暗い。砲身は闇夜の中に延長を始める。さながらズームとピント調整を繰り返すカメラのレンズのように。
『こちら偵察衛星ズヴェズダ、目標確認。射角度の修正をされたし』
『本部了解。射角修正。右三、上二、角度修正』
『角度修正。照準あわせ』
『角度修正……完了』
『試験発射可能』
とたん、騒がしかったスピーカーが一斉に静まった。
それからして、観測室にルドニコフが入ってきた。彼は、顔見ただけでわかるほどの上機嫌で、どうにも嬉しさで動くのを堪えられないようだった。ルドニコフはレノックスの隣に立ったが、常に体を震わせてウズウズとしていた。
「みなさん、待望の時間です」とルドニコフ。武者震いか、声が震えている。「今までずっと待ち望んでました。さあ、この瞬間を。どうぞ特等席でご覧ください」
『対ショック、閃光防御。現場作業員は撤収。カウントダウンを始める。……カウント開始。一〇〇……』
カウントダウンが始まった。
巨大な単眼鏡のような砲身は、有明の空の遙か彼方、シリア国境に向けられていた。
*
チューズデイはグライダーをゆっくりと旋回させながら、指定座標の確認と侵入経路の設定を行っていた。本来は現地到着前に入念に調べておくものだが、偵察がままならない状況であったから仕方がない。ぶっつけ本番の敵地潜入である。
しかし好都合なのは、外に歩哨が見あたらないことだった。軍事基地と悟られないようにするためといえども、レーダーらしきものも見あたらない。それだけEMPの影響が色濃いのかと、チューズデイは思った。
そうしてそろそろ潜入経路を決定しようとしたときだ。
突然、まるで地震でも起きたように岩場が震え始めたのだ。その振動は丘の間の谷間にも伝わっていき、丘陵は徐々にその稜線をずらし始める。
丘が動いている。いまのいままで岩場だと思っていたそれが、すべて装甲板と擬装材であったと発覚した。大地が震え、その奥から本当の姿を現す。鉄とコンクリートに支えられた軍事要塞。ジャッキで押し上げられていく岩壁の向こうから、巨大な単眼鏡が顔をのぞかせた。間違いない、ハートブレイカーだ。
まずい、とチューズデイは左へ大きく舵を切った。
刹那、彼女のすぐ真下を『何か』が駆け抜けていった。それは視覚的には捉えられなかったが、しかしそこには確実に『何か』が存在していた。強烈な音が砂漠を震わせ、山岳地帯の向こう側まで通り抜ける。向けられた先は南東の方角――シリア国境だ。
――もう起動したのか?
チューズデイは焦りながら、舵を元に戻す。第一射は放たれてしまった。それがどれだけの効果をもたらしたかは不明だが、これ以上のさばらせておくわけにはいかない。
岩場が再び下がり始める。擬装材がゆっくりと降りて、ハートブレイカーを覆い隠そうとした。
――やらせるか。
チューズデイ、グライダーを放棄。
鉄骨の間から体を放り投げ、両手足を大きく開いた。ウイングスーツの翼膜が風を掴む。グライダーと違い、落ちることを前提に考えられたウイングスーツは、急加速を開始。閉じつつある要塞の入り口めがけて、チューズデイはまっすぐ滑空した。
――間に合え!
減速はギリギリまで許されない。ゴーグルをしているといえど、顔に風が打ち付けて恐怖を煽る。激突の恐怖。だが、それ以上の脅威は目の前にある。
激突寸前、彼女は大きく手足を開いて急減速。さらにバックパックからヒモを引っ張って小型のパラシュートを展開した。
急減速。しかし、それでもかなりのスピードだ。チューズデイは勢いそのまま敵地に飛び込んだ。何とか体を転がらせて衝撃を吸収。岩壁が下がりきる寸前のところで、要塞に転がり込んだ。
要塞内部はひどく静まり返っていた。ハートブレイカーらしき巨大な単眼鏡。その周囲には足場がいくつもあったが、しかし人っ子ひとりそこにはいなかった。
代わりに、ハートブレイカーを挟んでチューズデイの向こう側、キャットウォークを進んだ先にある観測室らしき部屋には、人影がいくつも見えた。
チューズデイは壁に身を隠し、様子を伺う。
すると要塞内部のスピーカーからアナウンスが流れた。
『こちら偵察衛星ズヴェズダ。目標、ASIS一個小隊の沈黙を確認。敵は応戦することなく、一〇秒以内に全滅した模様』
『本部了解。これより確認部隊を現地に向かわせる』
『ズヴェズダ了解。第二射まで待機する』
そして次の瞬間、要塞内部は歓声に包まれた。
ロシア語、英語、それからへブライ語やドイツ語で歓喜する声が響いている。白衣や作業着姿の者たちが互いにハイタッチを交わしている。
それから数人が観測室から出て、ハートブレイカーの方へと歩いてきた。
二度目を撃たせるわけにはいかない。一回目はあくまでも試験のようだった。だが、二回目はそうはいかないはず。この兵器は、世界に変革をもたらす最悪の殺戮兵器として名を残すことになる。それだけは、させるわけにはいかない。
しかし、この状況では、チューズデイ一人では逃げきれる自信は無かった。もし破壊するのであれば、第二射が行われる直前。作業員がすべて待避したところで、起爆。ハートブレイカーを破壊し、脱出するべきだ。
チューズデイは、ベストに備えたC4爆薬を確認。ハートブレイカーはかなりの大きさだが、なんとか破壊できるだろう。
それから彼女は、スリングから提げたクリス・ヴェクターを構え、ハンマーを起こして初発を装填。格納庫の片隅で、息を殺してその時を待った。再び作業員が消える、そのときを。
彼女が隠れたのは、ちょうど格納庫の資材置き場だった。たくさんのコンテナが積み上げられた場所は、隠れるには好都合だった。
チューズデイはコンテナとコンテナの間に隠れると、息を潜めて時を待った。格納庫内に響くアナウンスは、まだハートブレイカーが調整中であると告げていた。調整には、少なくとも三十分はかかるらしい。なんとももどかしい三十分だ。
その間、チューズデイはコンテナの中で完全に気配を消していた。どうやっても悟られてはならないと、胸の中で何度も念じながら。
そうして彼女が息を殺していると、格納庫の奥から足音が聞こえてきた。音からしてそれは作業員が使っているような安全靴の音ではなく、高価な革靴によるものだとわかった。
音が近くなるに連れて、その主が誰だかチューズデイにはわかった。
「しかし、よくできたものだな。私も神経をすり減らしてでも任務を完遂した甲斐があったかな」
しゃがれた男の声。聞き覚えがある。
チューズデイは耳をそばだてた。まもなく、男のいらへが聞こえた。
「上層部もさぞかし喜ぶはずです。効果はかなりのものと言っていいでしょう。いまはまだ試験段階ですが、今後は小型ハートブレイカーと出力増幅器の組み合わせで、世界中どこででも。空からでも地上でも、どこででも撃てるようになります。合衆国ももはや敵ではありませんよ。今や国連がうるさく、このような研究は我が国でもそうそうできません。ですから、感謝していますよ。シンジケートにも、そしてあなたにも。ミスタ・カッツ」
「その名で呼ぶのはやめてくれ。今の私はレノックスだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「失礼、ミスタ・レノックス」
男二人の声は、ちょうどチューズデイの隠れるコンテナの前を通過した。続いて、コンバートブーツとおぼしきカツカツという足音も響く。
ネイサン・レノックスは確かに反逆者だった。彼はシンジケートとつながりのある、二重スパイだ。チューズデイは確信を持つとともに、この九死に一生の状況に神経を衰弱させていた。
――行ったか……?
足音を聞きながら彼女は思った。
だが直後、革靴がカタンと音を鳴らしたかと思うと、しわがれた声の男が言ったのだ。
「そういえばドクター、私がロンドンから持ち出した土産はどこに? 別便でこっちに送ったはずなのだが……」
「ああ、それならそこのコンテナにあると思うよ。どのコンテナかは、私は知らんがね。そのへんにあるだろう。なにが入っているんだい?」
「MI6から手に入れたデータと、武器弾薬各種だ」
「なるほど、イギリス特有の珍兵器ですか」
「珍兵器ではない。使えるときもあるよ、ああいう手合いにもね」
レノックスはそういうと、また歩き出した。足音はチューズデイのほうへと向かってくる。
「先に荷物の点検をする。ドクターはハートブレイカーの用意を」
「わかっていますよ」
群を成した足音は、幸いにも遠ざかっている。しかし、レノックスらしき足音は、たしかにチューズデイに近づいていた。
ぎいっ、と扉を開ける音が近くでした。レノックスがコンテナを開いたのだ。それからまた閉じる音がして、また開く音がした。
――万事休すか……。
チューズデイはヴェクターを構えた。サプレッサーは装備している。最悪、ここでレノックスを殺して、コンテナに隠すのもやぶさかではない。しかしその場合、現場の人間がレノックスの死に気が付くまえにハートブレイカーを破壊せねばならない。あいにく、その方法は思いつかなかった。
カツ、カツ……。
足音が響く。それから扉を開ける音。「違うな」と首を傾げるような声。
息を殺すチューズデイは、自分の心臓の鼓動がうるさく思えていた。もしかしたら、この鼓動でバレてしまわないか? そう思えるほどに。
そうして三つ目のコンテナを開けたあと、レノックスはゆっくりとチューズデイの隠れるコンテナに近寄ってきた。
チューズデイは扉の前に張り付き、ヴェクターを構えた。開けた瞬間、レノックスに銃口を突きつけ、コンテナの中に押し倒す。そしてナイフで音もなく殺し、遺体はそのままコンテナに隠す。それで取り敢えずの危機は免れる。
ぎぃっ、と音を立てて鉄の扉が開き始めた。光が射し込んでくる。チューズデイは生唾を飲み、そしてヴェクターを腰だめで構えた。
しかし、驚いたことにそこにレノックスの姿はなかったのだ。目の前には誰もいない。開いた扉の向こうには、鉄筋コンクリート打ちっ放しの壁が見えるだけだった。
――彼はどこに……?
チューズデイはヴェクターを構えたまま、周囲を見回す。
すると振り向いた次の瞬間、彼女は頭に冷たいものを押し当てられたことに気付いた。
「ここでなにをしている、ミス・チューズデイ」
ネイサン・レノックス。
彼は扉を開けた直後、その扉の後ろに隠れていたのだ。まるでチューズデイがこのコンテナの中に隠れていたことを知っていたように……。そして彼は、チューズデイが慌てたところで銃を突きつけたのである。
こめかみに突きつけられたワルサーPPK/S。その冷たい銃口にチューズデイはひれ伏すしか無かった。
レノックスは、チューズデイの首筋を一発、マガジンの底で殴りつけた。彼女の視界は衝撃でゆがみ、まもなく完全に気を失った。




