人面瘡(じんめんそう)
また悪夢を見た。
肩に、人面瘡ができた。
最初に気づいたのは弟だった。
「おねえちゃん、おはよう。……パジャマの下がふくらんでるけど、どうしたの?」
わたしは右肩にさわった。違和感がある。パジャマの上を脱いで、肩を鏡に映した。
てのひら大の腫れものができていた。肉がいびつにもりあがっている。目・鼻・口があるように見える。
わたしではない人影が鏡に映った。母だ。
「あなた、肩に人面瘡ができたのね。きょうは学校を休みなさい」
「お母さん、わたし、病院に行きたい。この気持ちのわるいデキモノをとってもらいたい」
母は首をふった。学校は休んでいい、でも、病院に行くのは許さない、と断言した。
なぐられるのがイヤだったので、わたしはしたがうことにした。
さらに、母はおかしなことを言った。弟にも学校を休みなさいと伝えたのだ。
なぜ健康な弟が小学校を休まなければならないのか。疑問に思いながら、わたしは朝食を食べ始めた。
次の日の朝。
わたしは鏡のまえで、病院に行けばよかったと後悔した。
腫れものが大きくなっている。成長している。
だが、わたしが恐怖したのは、人面瘡が大きくなったからではなかった。肩で不気味に笑う顔が、わたしの知る人にそっくりだったからだ。
母だ。母の顔だ。デキモノは母親にそっくりなのだ。
わたしはパジャマで肩をかくして、
「お母さん、病院に行きたいっ。腫れものが大きくなっているの、絶対に病院に行きたいっ」
母が来た。わたしの腫瘍を服の上からながめて、
「だいぶ大きくなったわね。いいわ、病院に行きましょう」
わたしは医者に連れられて手術室へむかった。
奇妙な廊下にでた。左右のたなには、びっしりとガラスのびんがならんでいた。
「ひっ」
びんの中身を理解して、わたしを悲鳴をあげた。
顔だ。切り取られた数百の人面瘡が、ガラスびんにホルマリン漬けにされているのだ。
顔たちは生きていた。わたしを見て、いっせいに声をあげ始めた。
グバオアアアアア。
グバオアアアアア。
人の言葉ではなかった。
わたしは医者の手をにぎりしめた。
医者はやさしい声で、
「ここにあるモノは、みんな私が切り取ったんだよ。私は何百回も人面瘡の手術をしている。きみの手術もかならず成功するからね」
目だけが笑っていなかった。
わたしは手術台に横になっていた。全身麻酔を受けたはずなのに意識があった。
「それでは、手術を始めましょう。先生、よろしくお願いします」
と助手が言った。母だった。なぜ母が手術室にいるのか。なぜ母が医者にメスをわたしているのか。
メスがわたしに近づく。意識があるのに手術が始まってしまう。
わたしは必死でさけんだ。まだ意識があるの。麻酔がきいていないの。切るのをやめて。もう一度しっかり麻酔をして。だが、くちびるは動かない。
メスが肩に突きたった。わたしの肌を刃が進んでいく。痛みはなかった。
わたしは安心した。血や肉が視界に入るのがこわかったが、じっと耐えつづけた。
人面瘡がわたしから切り取られた。医者がデキモノを両手に乗せていた。ぴくんぴくんと動いている。
「人面瘡の切除は成功です。やっと手術が半分終わりましたね」
と助手の――母の声が聞こえた。手術が半分終わった、とはどういうことなのか。不気味な顔を切りとったのに、なぜ手術は完了ではないのか。
わたしの視界が急に暗くなった。麻酔がきいてきたのか、意識が遠くなった。
医者の声が聞こえた。
「手術は成功しました。さぁ、起きあがってください」
わたしは目をひらいた。手術室の壁が見えた。手術台にわたしが横たわっているのが見えた。おかしい。なぜ、わたしから、わたしの足の裏が見えるのか。
【わたし】が起きあがった。はだしで床にたった。全裸だった。肩には傷ひとつない。【わたし】の顔を見た瞬間、わたしはすべてを理解した。
わたしは、ホルマリン漬けのびんの中で絶叫した。
たちあがった【わたし】の顔は、母とおなじ顔だった。移植したのだ。わたしの顔を切りとって、代わりに、人面瘡を貼りつけたのだ。
【わたし】は笑顔だった。
母と【わたし】――おなじ顔をしたふたりが、うれしそうに抱きあった。
医者は、わたしの顔が入ったびんを廊下に運んだ。たなの一番上にわたしを置いた。わたしの横にも対面にも、人面瘡の浮いたガラスびんがびっしりとならんでいる。いや、人面瘡ではない。ホルマリン漬けにされた顔は、人間の顔なのだ。人面瘡に体をうばわれた被害者たちなのだ。
どれくらい時間がたったのか、廊下に再び医者がやってきた。ちいさな男の子をつれている。
弟だ。わたしの大切な弟だ。ひざには、異常な肉のかたまりがあった。人面瘡だ。母の顔だ。
ガラスびんの顔たちがいっせいにさけび始めた。わたしもさけんだ。
逃げて。手術を受けてはダメ。人面瘡に体をうばわれてしまう、顔を切りとられてホルマリン漬けにされてしまう。
だが、わたしの必死のさけびは、弟の耳にとどかないだろう。
グバオアアアアア。
グバオアアアアア。
意味不明の音をわたしは聴いていた。わたしの声だった。