母胎回帰
また悪夢を見た。
母を殺した。5分前までは生きていた。いまはわたしの足元で横たわっている。
どうやって殺したか、おぼえていない。だが、わたしの手は赤い。返り血だ。床も血が広がっている。刃物で刺したのだろう。
わたしは死にたかった。
しかし、死ぬのはこわかった。
だから、わたしは生まれるまえに帰ることにした。母の胎内にもどろうと考えたのだ。
母にたのんだ。お腹を切らせてほしい、内臓を捨ててほしい、代わりにわたしを入れてほしい、と。
母は拒絶した。正気なのか、あなたの体なんて入るわけがない、あきらめてくれ、無理だ、と。
だが、わたしにはなぜか確信があった。人ひとりなら、母の体に入れる。生まれるまえにもどれる。
だから、試してみることにしたのだ。
動かなくなった母を、うつぶせからあおむけにころがした。生きていたころより、重い。たぶん、母自身は動かず、わたしだけのチカラで動かさなければならないので、生前より重いと感じるのだろう。
わたしは包丁をひろった。大の字になった母の、ブラウスのボタンをはずす。視界に入る肌が増えていく。凶器を逆手ににぎり、母のみぞおちに突きたてた。へそにむかって刃をひく。赤い肉が見えると予想していたが、母の内側はピンク色だった。脂肪まじりの肉は赤くないのだと知った。
ああ、帰れるのだ。
わたしは生まれるまえにもどれるのだ。
もうだれとも会わなくていい。
どこにも行かなくていい。
未生の闇に帰れるのだ。
わたしは長い傷に両手を差し入れて、一気に傷口をひらいた。母のおなかは、わたしを受けいれるとびらとなるはずだった。
だが、腹部をひらいた瞬間、わたしは強いチカラで母からひきはなされた。手だ。母の内側から長い手がのびて、わたしを突き飛ばしたのだ。
母の内部でうごめくものは、腕だけではなかった。
母の中身とわたしは目が合った。うごめくものが言った。
「ここはもう、いっぱいだよ。あんたの入る隙間なんてない。あきらめな。ここは、あたしの場所だ」
3年前にいなくなった姉だった。姉は、母の胎内に帰還していたのだ。
「……だから言ったでしょう。ふたりも入るのは、無理だって」
たちあがった母がつぶやいた。腹部から、姉の顔がはえていた。