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第一話_タビダチ

日差しの強い冬です。

朝晩は冷え込むのに、日中は汗ばむ冬です。

おかしいですねえ。おかしいですねえ。

本当におかしいですねえ。

○ タビダチ ○


 当然の帰結ではあるけれど、彼女の話を聞いたわたしは正直に、素直に困惑した。それはそうだろう。自分は付喪神で、九十九人の想いが詰まった感情の集合体で、今はまだ違うけれど、人間になることができて、そのためには名前をもらわなければならなくて、名前をもらうためには自分を見ることができる人間に会わなければならなくて、そしてそのために旅に出なければならない。のっけからそれだけの情報を一息にかまされたのだ、わたしでなくたって面食らう部分はあるはずだ。

 とはいえわたしとて、いつまでも戸惑ってはいない。これもきっとわたしを形成する感情の一部によるものだろうけど、どうやらわたしは、自分がそうやって停滞することを快く思わない性質らしい。要点は受け取っているのだから、理解もできているのだから、あとは興奮が醒めるまでの、時間の問題だ。

 わたしは大きく伸びなどして、併せて深い呼吸を数度繰り返した。

 今回、自分が何者なのか、それがはっきりしたのは実に大きな収穫だ。何よりも正体を知ることは自分自身に対する信頼に繋がる。そして自分の知識に対する裏付けも為されたことは、安心にも繋がってくる。感情の集合体という心許ない身の上ではあるけれど、九十九の想いに支えられている自分を今は頼もしくも思う。

 加えて目的を示してもらえたこともまた、大きな収穫だ。歩き出すためには目的が、夢が必要だ。裏を返せば目的が、夢がなければ正しい方向に歩き出すことはできない。この世界の基本単位として、まだ始まってすらいないわたしに、彼女は夢を与えてくれた。日陰者――舞台裏の存在に過ぎないわたしが陽の当たる場所に、舞台に立つ権利を持つことを示してくれた。わたしは自分の誕生に意味を、存在に希望を持つことができたのだ。

 俄然、やる気も湧いてくる。彼女に従い、旅に出よう――わたしの心は早くも決まった。

「どうやら定まったようだね」

 わたしは頷く。それを見届た彼女は改めて胸を撫で下ろす。出会ったばかりのわたしたちだ、信用するだけの関係にはない。またこの話の根拠というものも示されてはいない――彼女の方にも、余計な知恵をつける前に会えてよかったと、口にした彼女ならではの不安があったのだろう。

「あなたは、自分が人間になろうとは思わなかったの?」

 わたしは尋ねた。それはまぁ、わたしのような者を導く存在が不可欠であることも理解できないではないけれど、彼女にだって、今彼女自身が語ってくれたようにその権利はある。それを犠牲にしてまでここに留まる理由は何だろう。

 彼女は慎ましく笑って、わたしへと頷いた。そして言うことには、

「もう一度会いたい者がいるのだよ」

 それは彼女の恩人――今回彼女がわたしにしてくれたことを、もう何百年も前に、彼女にしてくれた者のことだと、彼女は言った。

「ただ――会いたい思いもあれば、そうあって欲しくないと願う気持ちもある」

「どっちなの?」

「さぁね……自分でもよくわからない。だがその機会が与えられるならば、それはこの地をおいてないと思っている。だから私はここで、そのときを待ちながらお節介焼きなどしているのさ」

 ふぅん、と生返事で答えるわたしに、「そうだ」と思い出したように彼女は言う。

「ここを出たらまずは、『九十九の夜』というものを訪れてみるといい」

「ツクモノヨル?」

 彼女は頷いた。

「恩人がここを去るときに残していった言葉だよ。詳しいことは知らないが、何年かに一度行われる、古今東西の付喪神による集会らしい」

「付喪神の……集会?」

 怪しい――というのが、わたしの素直な感想だった。日の本中の付喪神がそんな一堂に集まって何をする、何ができるというのだろうか。

 ただ、やはり興味は惹かれる。

 毎年ではなくわざわざ幾年に一度きり開かれる集会だ、盆踊りだとか、そんなことのためではないだろう。もっと大切なことが話し合われる。もしくはそのときにしか起こらない、何か特別なことがあるか――だろう。確信はまだ持てない。でも何にせよ、一度足を向けてみる価値はありそうだとわたしはそれを判断する。

「その人、九十九の夜について他に何か言っていなかった?」

「他――か。何しろ気の長くなるほど遠い昔の話だからね」

 彼女ははっきりそうとわかる顔で思案して、やがて言った。

「そういえばイヅチか、イヅミだったか……いや、イヅナだ。イヅナを探すと言っていた」

「イヅナ?」

「そればかりは私にもさっぱりだよ」

 ふぅむ、と唸り声とも取れる微妙な音がわたしの口から漏れた。訪れてみればと気軽に言ってはくれるけれど、探そうにもそれだけではかなり心許ない。

 でも――後ろ向きになる自分に、待ったがかけられる。

 元々宛てなどない旅だ、何を目指そうが何を標としようが、その決定権はわたし自身に委ねられている。そのわたしの中で生きている九十九が、果てしない未知を既知に変えていく楽しみを訴えている。無謀だろうが何だろうが無駄にはならない、ということだ。行ってみる価値はありそうだ――というのが、わたしの判断だった。

「もう、行くのだね」

 わたしは頷く。

「出口はあそこにあるよ」

 そう言って彼女が指し示した先には、いつそこに現れたのか――さっきまではなかったのだ――小さな木戸がある。そしてその前には、何食わぬ顔で佇むべとべとさんの姿があった。

 ――コイツ。

 思い起こせばコイツのおかげで大切な出会いを経験することができたわけではあるけれど、コイツのせいで死にかけてもいるわたしだ。感謝と怒り――優先すべきは、言うまでもないだろう。わたしの感情を察知した卵のヤツが、逃げるように駆け出した。

「待――このっ」

 わたしも追うように床を蹴った。とはいえ相手はたかだか足の生えた卵だ、造作もない。わたしは難なくそれをやり遂げたのだった。

 気づけばわたしは、朝露の眩しい森の中にいた。いつの間にそれだけの時間が経っていたのか知れないけれど、清々しい気分になったわたしは、卵を放り出して新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 心が、洗われる。

 何も知らず我武者羅に走り続けたあのときと、自分の正体を知り、目的も定まった今では空気の匂いが違う気がする。この瞳に映る世界の色さえも、同じではない。


 ――ここが、これからわたしが上がるべき舞台。

 ――わたしが、生きていく世界。


 胸が高鳴る。心躍る、とはきっと、こういうことなのだろう。

 よし、行こう――決意新たに立ち上がる。

 踏み出したわたしの背後で、彼女の声が言う。

「行っておいで。そして二度と、ここには戻ってくるんじゃないよ」


ただ今胃腸炎にて療養中です。

飲んでも食べても、体を起こすだけでも苦しい状況ですが、一日家で過ごせる貴重な時間に、この作品を除く全作品に登場する「ノエル」の過去についての物語のプロットが、出来上がりました。

やりたい作品とやらなければならない作品とが雑居していますが、そちらも丁寧に仕上げていきたいと思います。

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