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第一話_ミツメルモノ

○ ミツメルモノ ○


 どのくらいそこで、眠っていたものだろう?

 わたしは、何かの気配を感じて目を覚ました。実体を持たない身である分、わたしは精神的な感覚――直感が研ぎ澄まされているのかもしれない。

 辺りはまだ暗い。今の自分にどれだけの防衛能力があるのかはわからないけれど、逃げることくらいはできるだろう。昼間のことを思えば体力にだけは自信を持ってもいいはずなのだ。

 動物然に、四つん這いに身構えて、闇に目を凝らす。するとなるほど、そこにはわたしを見つめる者の姿があった。そうはいっても実際のところ、「者」という表現は正確ではない。相手は人ではなかったからだ。また見つめる、という言い方もやはり正確ではない。それには目というものもなかったからだ。

 ソレは、人間の足――足首の辺りから先の部分――を生やした、お釜大の卵だった。目も鼻もなく、ただ口だけは人と同じ形のものを一丁前に持っている。孵化しかけの鳥類だってこうはいかない。大きさといい容貌といい、ソイツときたら一目にして瞭然とするような、化け物だったのだ。

 そりゃあ勿論、恐ろしくはあった。こんな風体をしているのだ、いきなり大口を開いてわたしを飲み込もうと襲いかかってくるかもわからない。

 でもわたしは、その姿に驚きこそすれ逃げはしなかった。恐怖のあまり動けなくなったというわけでは、ない。逃げずにいた――踏み留まっていられたその理由は、この化け物がこれまで誰も気にかけてくれなかったわたしを目に留めてくれたからだ。人は勿論、動物も、物にさえ無視され続けたわたしのために、初めて足を止めてくれたからだった。理由としてはたったそれだけのこと。以上も以下もなく、本当にそれだけだ。でも、それだけのことがわたしには、嬉しくて堪らなかった。

「べとべと」

 化け物の口が動き、風邪で喉を痛めた子どものような声が言った。どうやらそれがこの者の声。そしてまたこの世界で、わたしのためだけに発された最初の声でもある。せめて意味のある言語を投げかけて欲しかったところではあるけれど、贅沢は言えない。わたしはしみじみと、最初の言語を授けられた初原の人類のような気持ちで、その言葉を繰り返した。

「べとべと」

 途端に、表情なんてあるのかどうかもわからない卵お化けの、表情が変わったのがわかった。それが良い変化なのか悪い変化なのかまでは流石に理解できかねるけれど、確かに、目の前の卵はわたしの声に反応して表情を変えたのだ。

 さぁ、次はどう出る――。

 そんなことを考えるわたしに卵は、しかし何もしてはこなかった。強いて言うならわたしに背を向け、てくてくと歩き出したくらいだろう。

 あの「べとべと」という言葉が何かしらの合図になったのか。或いはこの行動そのものに意味があるのか。何にせよ追うにも見送るにも情報が少な過ぎる。

 そうこうしている内にも、立ち尽くすわたしから離れていく卵。それが不意に立ち止まり、わたしへと振り返った。

「……」

 ありもしない瞳でわたしを見つめる卵のお化け。言葉はなかったけれど、わたしの直感はそこに一つの意思を感じ取っていた。ついてこいと、コイツは言っている。

 望むところと心を決めたわたしの顔には自然と笑みが生まれていた。ここに留まったところで、どうせ一人ぼっちなのだ。足を止め、一生かかっても答えの出ない無意味な自問自答を繰り返すよりよっぽど生産的だろう。それにこの卵は初めて、わたしという存在に気づいてくれたのだ、それをみすみす逃がしてしまうのは、損だ。

 わたしは卵について歩き出す。多分それがわたしの選ぶべき道だから。

 いや。

 それこそがきっと、後悔のない道なのだ。

 そうと決まれば――追いついた卵に、まずその名をわたしは問いかける。

「あなたの名前は?」

「べとべと」

 返事は先と変わらない調子で、すぐさまあった。そういう名前なのか、或いはそれしか喋ることができないのか、わたしにはわからない。それでも、いい。相手はわたしに応えてくれた。

「それじゃあ、あなたは」

 最低限度の敬意を払ってわたしは、言った。

「今から、べとべとさんね」


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