第一話_ハジマリノトキ
14年4月、職場が変わり、新しい人間関係になかなか馴染めずにいた頃につくった作品です。とにかく挫けず、とにかく前向きに。バカでもいいから、アホでもいいから何者にも負けない人物を書きたいと思いながらつくりました。
15年12月、つくり直しを始めました。
【第一話】わたしの足音
○ ハジマリノトキ ○
気がつくと、わたしはそこにいた。
何の前触れもない、まるで千年の眠りから醒めたかのような唐突な始まり――立派な造りのお座敷でまだ新品の、青さの残る上質な畳にお行儀よく座っていた。そうして目の前の、おかっぱ頭の女の子を眺めていた。ほんのりとした桜色の振り袖に身を包み、丸みがかった顔が色白で、まだ幼いけれど、いずれは町の男たちを悩ませる小町娘ともてはやされるだろう美しさの片鱗を備えた女の子。それを何をするでもなく、眺めているのだった。
この子はいったい誰だろう?
いや、それ以前に――。
一つ尋ねたいところではあるけれど、彼女はわたしを見てはいない。難しい顔をして向き合うのは、年季の入ったお琴。今は練習中なのだ。その証拠に、傍らには奏でる彼女の一挙一動を見守る、一人の女性の姿がある。顔は似ていないから、関係は親子ではなく多分、師弟の関係になる。それが女の子と同じように難しい顔をしているのは、彼女の演奏が下手だからだろう。
――ピン、ピン。
――ポロン。
尤も、わたしにも観点なんてよくわからないのだけれど。
ただ、こんなにも近くにいながらわたしに目もくれないあたり、二人が必死だということは確かに伝わってきた。まだ五つか六つだろうに、お嬢様も大変だ。良家――広いお屋敷に住んで、家庭教師を雇えるだけの経済的余裕がある家の者なら尚更だ。
「――ぃ」
その声が聞こえたのはいい加減、わたしが彼女の演奏に飽きてきた頃だった。辿々しい演奏が一段落するそのときを待っていたように、どこからか男の人の声が届いたのだった。
女の子はほのかに笑いながら傍らの大人を上目遣いに窺い、師匠はそれに答えるように小さく頷いてみせる。間もなく二人は揃って腰を上げた。練習はここまでにするということだろう。
漸くか――我慢していたわたしは白々しくコホンと咳払いを入れた。
「もし――」
引き留めるように発したわたしの声に、しかし二人が気づくことはない。それどころか振り向くこともせず、さっさと行ってしまうのだった。控えめに声をかけたのが裏目に出たのだろうか――いや、そんなはずはない。わざわざ目の前で演奏に付き合ってやったのだ、気づかないなどあり得ない。
いったいどういうつもりなのだろう――わたしもすぐさま立ち上がり、後を追う。開いたままになっている襖を抜けた。
広くて長い廊下を二人は歩いていく。やっぱりわたしには見向きもしない。
最初は何故、という疑問があった。しかし次第にふつふつと煮えたぎる黒いモノが胸の内に湧き上がってきて、いつしかそれが、わたしを動かしていた。どうしてこんな仕打ちをされなければならないのだろう――その怒りの捌け口を、わたしは欲していた。
人間誰だってそうだけど、一度頭に血が上ると、何物もその妨げにはならないし、なれもしない。一度転がり始めた石は、坂道が怒りや恨み辛みでできていると仮定して、最低でもその坂道がなくなるまでは止まらないのが鉄則だ。つまりは怒りに取り憑かれたわたしを止めることができるのはその成就だけということになる。
「待ちなさいよ、アンタたち!」
わたしは背後から、女の子の肩を掴んだ。