09
白と黒の火花が消える頃には、ネロはぐったりとし動かなくなった。数秒待ってもネロが動き出そうとしないのを確認すると、女は安堵のため息を一つついて口角をつり上げる。
「幽霊君だけなら分かるけど、分身ちゃんまで庇うなんてバカね」
倒れたネロの側にしゃがむと、女はクスクスと笑って言う。ネロを倒したため、ビアンコやブランテは手を出せないだろうと油断している。実際に二人は動いていないため、その推測は正しいのだが。
「ふぅん……こうしてみてみると、結構可愛い顔してるじゃない」
目を閉じたネロの頬を軽く撫でて、女はペロリと舌なめずりをした。どうやらヴァンパイアとしての性能を抜きにしてもネロを気に入ったらしい。「お持ち帰りできてよかったわ」なんて楽しそうに呟いていた。
「……ッは、誰、が……お持ち帰り、だって……?」
「ッ!!」
バカにするような声と共にネロの目が開く。バカな。あれだけしっかりと魔力を散らしたのだから、暫くは意識を失うはずだ。なんて女は狼狽える。ビアンコの存在を失念した結果だ。
「悪い、が……俺、は、一人じゃ、ねえ……ん、だよ」
苦しそうに顔を歪ませて、呼吸も辛そうで、話すのがやっとだといった風なのにどうしてネロは笑っているのだろうか。女はネロを理解できない。思わず、おぞましいものを見るような目を向けてしまう。
「ビアンコ」
「分かってます、バカ主」
ネロが声をかけたのは女の背後。全身から影を発し、大量の魔力を溢れさせているビアンコが駆けていた。
「な、なんで……」
振り向き、その姿を確認すると、女は震える声で言う。動くことなんてできない。驚愕のあまり、身体が硬直してしまっている。
「貴女のような三流の魔術師の魔術なんて、とるに足らないということです」
ビアンコは冷たくそう言い放つと、たんっと地面を蹴り飛び上がり、空中で身体を捻らせ回転を加えながら強烈な蹴りを女にお見舞いした。
受け身もなにも取れなかった女は蹴りをモロに喰らい、思い切り吹っ飛ばされる。そのまま左側にある壁に派手に激突すると、全身を襲う痛みに顔を歪ませながら「どういうことよ……なんだっていうのよッ!!」とヒステリックに叫んだ。
十字架が突き立てられる直前、魔力を散らされてしまうほんの少し前に、ネロが自分の魔力をビアンコに粗方注ぎ込んで明け渡したというだけの話なのだが、きっと女は暫くして冷静にならなければ気付かないだろう。女の最大の失敗は、ビアンコに一度使った技をもう一度使ったところにある。それがどういう魔術であるか分かってしまえば、いくらでも対処することができるのだ。自分でも同じようなことを言っていた筈なのに。
「もう一度問おうか」
ゆっくりとネロは立ち上がり、息を吐く。その瞳は怪しく光っていた。
「クリムとビアンコに手ェ出して」
ビアンコに明け渡した魔力が徐々にネロに返される。もう動けるような力など残っていない身体を、その返ってきた魔力で補強すると、ネロは女の方へゆっくりと歩き出した。
「挙げ句の果てクリムを傷付けて」
いつの間にか女の身体は影で拘束されており、女は逃げることも動くことも許されない。恐らく、拘束されていなかったとしても、恐怖で硬直してしまい動けなかっただろうけれど。それを思うと、動けない口実ができて幸いというべきか。先程まで余裕たっぷりだったのに、なんとも恥ずかしい話だ。
「覚悟は、出来てるんだろうな?」
女の目の前まで来ると、ネロは左手でガシッと女の頭を掴む。すると徐々に女の顔が絶望に染まっていった。
「あ、ああ……嘘よ……嫌、嫌よ、やめて……やめてぇぇぇぇッ!!」
ネロが手を離し女の拘束を解くと、女は頭を抱えて狂ったようにわめき出した。
ネロの得意分野は記憶。相手の頭に触れれば、自在に記憶を操ることができる。ネロは今回、女の記憶をいじってトラウマを引きずり出した。更に、『幻覚を見せられている』という記憶まで植え付けたのだった。
「ずっとそうしてろ」
ネロはゾッとするほど冷たい声で、狂ったように頭をかきむしる女を冷たく見下ろしていた。