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逃走犯はオトコノコ!  作者: 青い鯖
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第7章

 新幹線を降りると、駅のホームには制服警官の姿は見かけなかった。まさか一日でここまで逃げていると予想していないのだろう。


 忍び込んだ家で女性用の衣類とバッグがなくなっているのが分かるのも、まだ当分先のはずだから、警察が追っているのは男の達也でしかない。女装して逃走しているなど、想像しているはずがない。


 達也は、名古屋に着く手前で車窓から見えた大型のショッピングセンターで旅行に必要な品物を揃えようと思い、JRの普通電車に乗り換えた。


 初めての女性デビューなわけだから何を買ったら良いのか分からなかったが、当面必要なものだけをピックアップした。替えの下着や衣類、化粧品など。しかし下着を選ぶにしても、女性用のサイズが分からない。


 達也は下着売り場で自分のサイズが分からなくてあたふたして不審がられることが無いようにと、まず本屋で「自分に合ったファウンデーション選び」という本を買ってきた。


 さらにメジャーも買って、トイレでウェストやらアンダーバストなどの寸法を本に書かれている通りの方法で採寸した。またメイクアップの教則本も買ってきて、必要な化粧品もメモした。いよいよ買い物である。


 禁断の園に恐る恐る足を踏み入れる。


 目当てのサイズを見つけるが、色や形が多過ぎて、どれを選んで良いのか分からない。ワイヤの有り無しとか、カップの大きさとか、デザインとか、見ているだけで顔が赤くなる。


 少し躊躇しながらも手に取り、それを着けた時の自分を想像して

思わず恥ずかしくなってしまった。


 あれやこれやと悩んでいると、店員が声をかけてくる。


「ご試着なさいますか?」


 えっ、試着何て出来るのか! 達也は驚いた。


「サイズはいくらですか?」


 達也はしかし手を横に振りながら、掴んだ商品を黙ったまま籠に入れた。


 何とか下着を買い求め、今度は服売り場へと向かう。


 今までガールフレンドの買い物に付き合わされた経験はあるものの、その娘たちは茶髪の不良娘ばかりで、達也が考えても趣味の悪いファッションばっかりだったから、全然参考にはならない。


 結局母親の姿を思い出して、七分袖の花柄ワンピースやシンプルな白のカットソー、薄いグリーンのフレアスカートなど、多分無難と思われる服をいくつか買った。


 苦労したものの、なんとか必要な買い物を終え、それらを買ったばかりの大きめのキャスター付き旅行鞄に詰め込み、一旦コインロッカーにしまい込んでホッとした。一息つこうと思い、目に付いた駅前の喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら、もう一度女性週刊誌を広げた。


 今日泊まる予定のホテルの住所と電話番号をメモし、雑誌に載っている適当な広告主の住所から番地だけを変えて偽の自宅の住所をこしらえ、また その町の市外局番の下に適当な番号をつけた偽の電話番号を作った。 


 そして偽名を考えた。どんな名前にしようか、できるだけ知り合いとは関係のない名前を付けよう。詳しいプロファイリングでも名前から足がつくことのないように、慎重にあれやこれやの名前をひねり出した。


 達也の姓は田川である。これを川崎などにしたら完全に「川」がかぶる。しかし山本にしても、田に山というのは連想されそうな気がしてためらった。よくよく考えて、ごく無難な佐藤にすることにした。


 次に名前である。今まで付き合ったガールフレンドの名前を思い出したが、名前から当人のキャラクターを思い出してしまい、あんなちゃらちゃらした娘にはなりたくないと思って、自分がなりたい女性のイメージを思い描いた。


 鏡で見る自分の容姿は、活発な女性と言うより少し控えめな印象だ。今までツッパッタ人生を送ってきたけれど、本来の自分はそうではなかったのかもしれない。


 達也はどちらかと言うとおとなしい、育ちの良さそうな「お嬢さん」という役柄をイメージした。そして今の自分には、それが一番合っているような気がした。


 それにふさわしいできるだけポピュラーな名前を考え、達也は「美咲」という名前にすることにした。そして「佐藤美咲」と小さくつぶやいてみる。確かにどこにでもいそうだが、それなりに素敵な名前だ。


 新しい財布も買ってお金を移し替えながら残金を確かめる。まだ一泊二泊の宿泊費くらいはありそうだ。この財布の持ち主は給料日直後だったのか、何か大きな買物に出掛けるつもりだったのか、若い女性の割に結構な金額だった。


 その女性には申し訳ないが、達也は自分に運が回ってきていると感じていた。金が無くなったら得意の車上荒らしや空き巣をやればいい。だが今は無理して危険を冒す必要はあるまい。達也は奪った財布をショッピングセンター裏の川に投げ捨てた。


「美咲」こと達也は、喫茶店を出て電話ボックスに入った。電話ボックスに入るなんて何年ぶりか、前に使った記憶すらない。自分の携帯電話はもちろん警察に押収されているし、新しい携帯電話を手に入れることもできない。


 もちろん誰かからの電話やメールを待っている訳ではないから携帯が無くても関係ないのだが、日頃常にいじっている携帯が無いと、何か手持無沙汰で落ち着かないものだ。


 それに若い女性が携帯の一つも持ち歩いていないのも不自然かもしれない。ホテルに電話して携帯の番号も聞かれたらどうしようかと思い、適当な番号を考えてから電話をした。


 達也の声は、不良をやっている頃はわざとドスの効いた低音を心がけていたが、仲間とカラオケに行ったときなどは、女性ボーカルの歌を完璧に歌いこなせるほど、本来のキーは高かった。


 ちょっと女性のような声を試してみると、それなりに高い声が出せた。しかし女性言葉など話したこともないから、どんな口調でしゃべれば良いかは分からない。今までつきあっていたガールフレンドのため口では恰好がつかない。かと言って他のまともな女性と話した経験など殆どない。


 仕方なく事務的な話の内容をメモして、それを二、三回練習してからその通り電話をする。すると別に他のことを聞かれるでもなく、あっさり予約が取れてしまった。達也は電話ボックスを出て駅に戻り、特急電車の時刻を確かめ切符を買ってから駅のトイレに入り、個室でさっき買ったばかりの花柄のワンピースに着替えた。


 カーディガンを羽織り、踵の低いカジュアルシューズに履き替え、個室を出て洗面台の鏡で姿を確認する。母親の姿を手本にしたせいか少し時代遅れに感じたが、先ほどのスーツ姿の時より若く見え、自分で設定した二十四歳にしてはむしろ若すぎるのではないかとまで思えた。


 ブラシで髪の先を整え、唇に薄いピンク系のルージュを引き直すと、達也のイメージ通りの「佐藤美咲」が出来上がる。手錠をすり抜けて逃走してからまだ二十四時間も経っていないのに、達也はもう警官の目は気にならなくなり、逃走しているということさえ忘れそうになるくらい楽しい気分になってきた。達也は、ワンピースの裾を翻しながら、軽やかに中央本線の特急電車に乗り込んだ。


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