第35章
あと少しのところで取り逃がした警察は、ホテル付近の聞き込み、防犯カメラの映像解析、タクシー会社への聞き取りなどで、ようやく翌日になって、田川らしき女性客を乗せたタクシーを突き止め、運転手が客を下ろしたと証言した場所へ、鶴田と立川が駆け付けた。
「こんな商店街で、ここからどこに向かったのでしょうかね」と鶴田。
「とにかく聞き込みだ」
二人は、一軒一軒店を聞き込みに回った。
するとほどなく、一軒の貸衣装店で訪問着をレンタルした女性を発見した。しかもそれが「鈴木亜由美」だ。
「おい、今度は着物姿かいな」
立川があきれ果てたように呟く。
「着物姿でどこに行こうと言うんだ」
鶴田は、前に婚約者の智美にアドバイスをもらったことを思い出し、電話をかけてみた。
「智美、あいつ今度は着物姿で逃げているんだけど、どこに行ったと思う?」
「例の逃亡犯ね、なかなかやるじゃない。着物姿だと、全然印象変わるからね」
「そんなものかね」
「それで、そこの貸衣装店で着付けしたのかしら?」
「着付け?」
「当たり前じゃない、一人で着物着つけられる人なんてほとんどいないわよ。まして男でしょ」
「分かった、聞いてみる」
鶴田が店の人に尋ねると、美容院を予約しているとのことだった。
「美容院で着付けると言っていたらしい」
「じゃあ、まずその美容院を探すことね。多分近くじゃないかと思うけど」
「分かった、探してみる。それで、その後は?」
「どんな着物を借りたの? 振袖?」
「クリーム色の生地にピンクの花柄をあしらった訪問着らしい」
「訪問着? 彼、女子大生でしょ」
「その情報、まだ極秘扱いだから、誰にも言わないでよ」
「分かっているわよ。でも女子大生が訪問着で出かける場所なんて、滅多にないと思うわよ」
「そんなものか」
「振袖とかだったら友達の結婚式とかもしれないけど、訪問着だったら、お茶とかお花の稽古くらいかな」
「お茶とかお花?」
「ま、どこかに弟子入りしてるとか」
「分かった、ありがとう」
智美のアドバイスは、役に立つのかそうでないのか分からない。でも携帯電話の件はずばり言い当てていたから、やっぱり、女性目線で考えなければいけないのだろう。
「立川さん、着物の着付けをした美容院をまず探しましょう」
二人は更にその商店街で、田川の着付けと髪のセットを行った美容院を見つけた。
「素敵な娘さんでしたよ」と言う美容師の言葉は聞き流したが、そこからタクシーに乗ったという証言は得られた。
タクシー会社に問い合わせ、すぐに行先は判明した。そこは市民ホールで、昨日まで生け花の展示会をやっていたとのことだった。
その主催者に入場者の情報を聞くと、確かに「鈴木亜由美」と記帳した人物が来ているとのことである。
「やっぱりお花か。でも、わざわざ鈴木亜由美という名前を書いているのは、まだその偽名がばれていないと思っているからなのでしょうかね?」
「かもしれんな。大川奈緒美から連絡があっても、まだ、我々がそこまで真相を突き止めていないと油断しているのだろう。でもおまえ、恋人に捜査情報漏らしているのは、ちょっとな」
「いや、漏らしているとかじゃないんですけど」
警察が情報を公開していないことは、達也にとっては好都合だった。
「お花と来れば、やっぱり次はお茶か」
鶴田は昨日やっていたお茶会とかを問い合わせてもらったが、該当するお茶会は、さすがに見つからなかった。鶴田は再び智美に電話する。
「お花は当たっていたよ。でもお茶は不明だ」
「そりゃそうよ。お茶会なんか、飛び込みで入れるものじゃないし」
「じゃあ、お花の次はどこなんだ?」
どちらが捜査員か分からない。
「でも、着物姿で逃走しているんでしょ。そんなに遠くへ行っているとは思わないわ。だって、ビジネスホテルから荷物を持って出たわけでしょ。だったらその荷物をまず駅にでも預けて、それから着物をレンタルに行くでしょう」
「確かにそうだろうね」
「だったら、その荷物を再び取り出してから、着物姿で大きな荷物を持って電車とかに乗るはずないじゃない」
「荷物を取り出してから、トイレで着替えるとかは?」
「着物を着た女性が、大きな荷物を持って駅のトイレとかに入ると思う?着物は、着るだけじゃなくて、脱ぐのも大変なのよ。脱いだ後にちゃんと畳まないといけないし。普通の女の子だったらまずしないわ」
「普通じゃないんですけど」
「とにかく、駅に一度戻って、そこからタクシーで移動しているはずよ。多分、その日予約していたホテルにね」
「分かった。タクシーを当たってみるよ」
智美の推測はずばり当たっていた。駅のタクシー乗り場から、クリーム色の着物を着た若い女性を乗せたタクシーがすぐに見つかった。そのタクシーが向かった先は、なんと昨日踏み込んだビジネスホテルの道向かいだった。
「なめたことしやがって」立川は舌打ちをした。
フロントで尋ねると、鈴木亜由美名ではなかったが、確かに着物姿の若い女性が、昨日から宿泊しているとのことである。それに、まだチェックアウトはしていない。
二人はすぐに応援を呼び、ロビーとフロアに配置し、鍵を開けて部屋に飛び込んだ。だが、誰もいなかった。
しかし、バッグは残されたままだった。クローゼットを開けるとワンピースが吊るされていて、引出しを開けると、着物がきれいに畳まれて収められていた。
「やつに違いない」
ホテルのマネージャーに部屋のセフティーボックスを開けさせると、中に現金が二百万余り残されていた。
「やつはここを根城に動き回るつもりだ。ここで張っていれば、必ずやつは戻ってくる」
向かいの部屋をキープして、二人は張り込むことにした。今夜には奴は戻ってくる。ようやく長い逃走劇も終了だ。二人で代わる代わるドアののぞき窓から外の様子をうかがいながら、その日のうちに逮捕できるという確信が湧いてきた。