第23章
亜由美は本当に楽しい「高校生活」を送ることができた。達也が経験できなかった普通の高校生としての経験を、女の子としてではあるが味わうことができ、人生をやり直しているという気がしていた。
時々「母校」である清泉女子も訪れた。
最初はドキドキしたし、そんな危険なことをわざわざしなくても良いとは分かってはいたが、図書館とかでは味わえない、学校に通っているという実感が欲しかった。
放課後ならば、廊下を歩いていても、誰からも不審な目で見られることはなかった。同じ制服を着ているのだから、少々見かけない子だったとしても、そんなに違和感はない。先生とすれ違っても、軽く会釈すれば、向こうも笑顔で返してくれる。
時には誰もいない教室に入りこみ、席に座って黒板を見つめながら、授業を受けている自分を想像した。音楽室では、皆と合唱している場面を思い浮かべた。
こうして二か月が過ぎ、寒さも段々と厳しくなってきて、街にはクリスマスムードが漂う季節となっていた。
亜由美は「高三」、そろそろ本格的に進路を決定しなければならない時期となっていた。奈緒美と清香もいよいよ受験ということで、十二月初めでバイトはやめることになり、亜由美一人続けるわけにもいかず一緒にやめて、その代わり二人の通う予備校の「冬期講習会」に申し込んで通うことになった。
亜由美はここ三カ月の図書館通いで勉強していた甲斐もあり、そこで行われた校内テストで、さすがに英語は平均点ぐらいだったが日本史は上位の成績を取り、奈緒美や清香以上に、本人がびっくりしてしまった。
「ねえ亜由美、どこ受けるかもう決めた?私たちは○○学院と××女子の英文を受けようと思っているんだけど、亜由美はもっとレベルの高いところでしょうね」と奈緒美が尋ねる。
亜由美は予備校に通うようになって仕入れた知識を基にいくかの候補を上げた。
「やっぱりレベル高いわね、私なんか地元の女子大かな。清泉女子はちょっと無理だけど。お互い最後まで頑張ろうね」と三人で気勢を上げた。
年も押し迫り、寒さも厳しさを増し、この街でも雪がちらつく季節となっていた。商店街はクリスマスのデコレーションが煌めき、クリスマスソングが街を一層華やかにしていた。白い厚手のマフラーを首に巻いた三人は、予備校帰りに賑やかな街を歩きながら、ミスドに寄って行くことにした。
三人は店に入りドーナッツを食べ、暖かいココアを飲みながら
「もう今年も終わっちゃうね。今年のクリスマスイブも清香といっしょか。進歩ないね」と奈緒美。
「今年は受験生だからしょうがないじゃん。それに今年は亜由美も加わったから大進歩じゃない」
「それはそうだけど、もうすぐ高校生活も終わっちゃうなんて、ちょっと寂しいよね」
亜由美も大きく頷いた。
予備校は大晦日も正月も関係なく授業があったので、亜由美が帰省しなくても不思議がられることはなかった。大家の商店主の奥さんが、おせち料理の差し入れをしてくれたくらいだった。
奈緒美や清香と一緒にいると、すごく心地よいし、安全だと思ったが、これ以上長続きさせるのも無理がある。亜由美は自分の制服姿を見ながら「これももうすぐ脱ぐことになるんだな」と、卒業間近の女子高生のように感傷に浸った。
達也は、高校を「卒業」してからどうしようかと考え、本当に大学受験をしてみようかと思った。そして書店で適当な私立大学の入試要項を手に入れて、大学受験をするために必要な書類を確認した。
そうすると、入学志願表と調査書ぐらいである。もちろん受験料は必要だが、それはコンビニでも振り込める。入学志願表は自分で記入すれば良いが、問題は調査書である。
達也はとりあえず、清泉女子高に向かった。もう何回も来ているので、校内の様子は大体つかんでいる。
放課後には、職員室に殆ど先生がいなくなる時間帯もあり、先生を探しているふりをしながら職員室に入っても、誰からも咎められない。
教科書やプリントやらで散らかった先生達の机の上には、大学入試に必要な調査書などの封筒が、開封したままで無造作に置かれていたりしている。それを簡単に持ち出して、コピーすることもできた。
事務室も時々無人になる時間帯があって、卒業証明書の用紙や印影を入手することもできた。学校というのは、セキュリティーが杜撰な所である。
達也は調査書を偽造して願書を出願した。大学側も、何万人もの受験生の調査書を、きちんと封がされているかのチェックはあるだろうが、中身については極端な成績や欠席、素行の悪さなどがなければ、いちいち精査しないだろう。
しかし願書を出してから何日かは、偽造を見破られて警察に通報され、警官が逮捕にやって来るのではないかと思い、別の私立大学を受験しに行くという理由を付けてアパートを離れ、他の街の受験生向けのホテルに泊まった。
だから受験票が送り届けられた時には、達也は大いに喜んだ。普通は合格して初めて喜ぶのだろうが、受験できるだけで満足できた。
さて受験校も決まり、亜由美は受験勉強に一層励むことになる。そして二月、あって無きような高校入試以来、達也にとって初めての本格的な入学試験を受けたのだった。
亜由美は鞄に参考書類を詰め込んで受験のために宿泊していたホテルを出て、大学へ向かった。雪がちらつく寒い日だった。亜由美は制服の上に厚手のコートを着けてマフラーを巻き、鉛筆を持つ手がかじかまない様に、手袋も着けた。
大学の正門では職員が受験票をチェックしている。亜由美は鞄からそれを取り出して見せると、当然何も問題なく通過できる。
試験会場となっている文学部A号館を探し当てて、受験番号の割り当てられた教室に入ると、既に多数の受験生が着席して参考書を眺めていた。亜由美が受験するのは文学部史学科だった。初めて勉強をしてみて、歴史の面白さに引かれたこともある。
文学部ということもあり、女子が多かった。同じ学校の友達同士で来ている受験生達も多く、不安を紛らわせるためか、一生懸命おしゃべりしていたりする。
係の人が何人か教室に入って来て、席に着くように指示する。亜由美も自分の受験番号が貼られた席に座って、問題が配られるのを待つ。教室内は静まって、緊張感が高まる。
一時間目は国語である。「始め」の合図とともに一斉に問題冊子を開く音が響き、何分かの静寂の後、鉛筆を走らせる音が聞こえ始める。
「やった」予備校の冬期講習会でやったのと同じ古文の文章が出ていた。国語では古文が一番心配だったのだが、それもあって一時間目の国語は、まあまあ満足のいく出来栄えだと亜由美は思った。
問題は二時間目の英語である。さすがに付け焼刃の勉強では長文の問題に手こずったが、終わってから友達同士で例年以上に難しかったと嘆きあっている子達が多数いたから、皆にとっても難しかったのだろう。
昼休みをはさんで、最後の社会の試験が始まった。亜由美は日本史を選択し、最も得意とするこの科目は、自分でも驚くほど出来た。
長い入学試験が終わって外へ出ると、友達同士で解答の試しっこをしている受験生の間をすり抜けて校門を出る。雪は止んでいて、見上げると空は晴れ渡って、春を感じさせる柔らかな光が降り注いでいた。
亜由美は気持ちよさそうに両手を上に差し出し、大きく背伸びをした。
それから二週間後、亜由美の元に合格通知が届けられた。京都の名門と言われる私立大学の文学部に合格してしまったのだ。しかも入学金と一年間の授業料免除という特待生として。
達也は翌日、大学の入学手続きに行った。少し不安だったが、案外必要な書類は多くはなく、それらは全て偽造して誤魔化すことが出来た。そして必要な書類が整っていたので、問題なく入学が許可された。
こんなに簡単に手続きが出来るのならば、ひょっとすれば、大学入学という機会を捉えれば、誰でも自分のように、別人としての人生を歩み始めることが出来るのではないかと、思った。
奈緒美と清香もそれぞれ地元の大学に合格した。
奈緒美は第一志望の大学ではなかったので大分落ち込んでいたが、亜由美と清香二人の励ましもあってすぐに立ち直り、お互いの合格祝いということもあって、三月の卒業式が終わってから、久々に街に三人で遊びに出かけた。
カラオケにプリクラという女子高生お決まりのコースの後、高校時代は少し敷居が高くて入りづらかったカフェに思い切って入り、三人で少し値段が高めのランチを食べながら、おしゃべりで盛り上がる。
「亜由美とは半年くらいの付き合いだけど、昔からの友達みたい」奈緒美が言う。
「初めて図書館で会った時は清泉の子だから私達と違う世界かなって思ってたけど、なんかすぐ打ち解けたよね」
清香も同じ気持ちの様だった。
亜由美も、このまま奈緒美と清香と別れるのは寂しかったが、反面もう嘘をつかなくても良いという思いが、唯一の救いだった。
三人は、図書館での出来事やファミレスのアルバイトでのお客さんとのやりとり、予備校の冬期講習会の先生の話しぶりなど、わずか半年足らずだったのに、次から次へと連なる思い出話に花を咲かせた。
高校生として過ごしたこの半年は、それまでの日々の中で達也が見つけられなかった、欠片を埋めてくれたのかもしれないと思った。
そして「これからも友達でいようね」との奈緒美の言葉に、亜由美は涙が溢れて出るのを止められなかった。
しかし、奈緒美と清香に嘘を通し続けてきたことへの罪悪感が、達也の胸を締め付ける。これからも友達でいたいと思ったが、もう二度と会うことは出来ないのだろうと思うと、余計に涙が溢れてくる。奈緒美と清香は、そんな亜由美の手を取って、強く握りしめた。
女子高生として暮らしたアパートも引っ越し、大学から紹介された女子学生専用マンションに移った。セキュリティもしっかりしている、1LDKの快適な部屋だった。
もちろん入居には保証人とかの書類も必要だったが、とにかく今度は大学の学生課からの紹介である。適当にこしらえて揃えれば、簡単に入居することができた。
「本物」の学生として、学生証も手に入れた。達也は晴れて、曲がりなりにも一つのIDを手にすることが出来たのだった。
四月から女子大生としての生活が始まる。どんな生活になるのか、達也には想像がつかなかったが、次のステップに移ることだけは、確かだった。




