第20章
翌朝、制服を着込んで薄くメイクし、髪をポニーテールにして身なりを確かめ、前に電車で見かけた清泉女子高の生徒が手にしていたような鞄を手にして出かけた。
しかし出かけたものの、まさかそのまま清泉女子高に行くわけにはいかない。亜由美は駅までの道をわざと遠回りして時間を稼ぎ、他の学校の生徒達はちらほら見かけるが、清泉女子高の生徒が既にいなくなった時間の電車を選んで乗った。
そして清泉女子高の生徒なら降りるべき駅を通り過ぎて、そのまま一時間ほど乗り続け、乗っていた準急電車の終点で降りた。そこはもう隣の市になっていた。
達也の高校時代は、学校をさぼるなんて当たり前のことで別に罪悪感もなく、結局出席日数不足もあって退学に追い込まれたわけだが、学校に行かなくても他に行くところはいくらでもあった。
ゲームセンターにカラオケ、悪仲間のたまり場で喫煙場所ともなっていた喫茶店。それでもあまりに悪さが目立たない限り、補導員に注意されたり学校に通報されたりということはなかった。
しかし清泉女子高の女生徒がそんな所に行けるはずもない。学校で授業を行っている時間帯に町を歩いているだけで目立つだろう。ひょっとして心配して声をかけられ、学校に通報されてしまうかもしれない。
かと言ってアパートの部屋に閉じこもっているのも、近所の人々から不審がられる。あくまで普通の高校生と思われなければならない。亜由美は親に内緒で不登校になった子のように、下校までの行き場所に困ってしまった。
亜由美は空腹感を覚えたが、ファストフード店に入るのさえ補導されるのではないかと思うほど、初めて学校をさぼった優等生のような気分だった。
できるだけ人通りの少ない、しかし普通の生活道路を歩き続けて、いい加減疲れてきた時、市立図書館の分館と書かれた建物が目に入り、今まで図書館など学校の図書室さえ入ったことのなかった達也であるが、興味がてらに入ってみることにした。
入ってすぐ受付があり、何か手続きをしなければいけないのかと立ち止まっていると、係の女性職員が、「貸出ですか」と声をかけて来た。
首を横に振ると職員は関心もなさそうに、自分の作業を続けている。亜由美は入ってすぐ右手にある大きな丸いテーブル席に腰を下ろし、館内を見回した。
入って左側に書棚が並んでいて、その側にロッカーがあり「鞄を持ちこまないでください」との注意書きが貼られている。右側はこの丸テーブルの他、窓に向かってブースで区切られたいくつかの席があり、そこに何人かの制服を着た男子高校生が、教科書か参考書かを開いて、熱心にノートに何か書きこんでいる。
しばらくすると大きなバッグを抱えた二人の女子高生が入ってきて、隣同士のブース席に鞄を置いて確保してから、亜由美の座っている丸テーブルの反対側に座って小声で話している。
「奈緒美、三日連続欠席はまずいんじゃない?」
「昨日と一昨日はまじに頭が痛かったから家で寝てたんだよ。でも今日は数学と理科に体育と芸術で、午後は学年集会でしょ。入試に関係のない科目ばっかりだし、推薦はもともと無理だから出席は関係ないし、親にも図書館で勉強して来るって言ったら、『あらそう』って親から学校に電話してもらったし。清香もそうなんでしょ」
「そりゃそうだけど」
「今日中に英語の仮定法のところを仕上げちゃうつもり」
「そうね、がんばろう。入試まであと三カ月だもんね」
達也はこういった学校のサボり方があるのかと初めて知った。
達也は鞄をロッカーに入れて開架図書コーナーに入り、住宅地図を取り出して閲覧台に広げた。そしてこの市にあるいくつかの図書館の場所をチェックした。
さすがに毎日同じ図書館に通い詰めるわけにはいかないが、週に一度くらいなら、「入試に関係のない科目ばかりの授業の日」という理由で、夕方までの居場所を確保できるのではないだろうか。達也はその図書館を出て他の図書館を回り、そういった用途に使えそうな図書館を五つ以上見つけた。
翌日から亜由美は図書館通いを始めた。いつも定刻にアパートを出て、たまにアパートの大家さんが商店のシャッターを開けていると挨拶してから少し遠回りして電車に乗り込み、隣の市と更に隣の市に見つけた図書館へと向かう。電車の車内でも図書館でも、少しも不思議に見られることはない。
朝早く起きて、朝食の他昼食の弁当まで作るようになった。小さな弁当箱を手に入れ、冷凍食品も利用しながら、色彩に富んだ可愛らしいお弁当を作るのが、毎日の楽しみになってしまったくらいだった。それを持っていくので、お昼も外に出なくてすむ。
図書館で何もしないで過ごすわけにもいかず、教科書を売っている書店で清泉女子高の英語と国語と日本史の教科書を買って、図書館でそれを読むふりをした。
日本史と国語の現代文は読んでいて意味は分かるが、英語と古文は、高校三年生向けの教科書であるし、そもそも中学二年の後半から勉強に無縁であった達也にはちんぷんかんぷんである。
そんなちんぷんかんぷんの時間を一日何時間、週に五日も費やすのはさすがに嫌気がさしてくる。それならばと亜由美は中学校や高校一年生向けの参考書も買ってきて、本格的に勉強し始めた。
亜由美の部屋のラックには多くの参考書や問題集も並べられ、もし誰かが亜由美の部屋を訪れたとすれば、真面目な受験生と思うに違いない。
達也はもともと勉強が嫌いだったわけではない。小学校の時母親が男を連れ込んでいて部屋に閉じこもっている間、何もすることがなく、本や教科書を一生懸命読んでいた。だから中学校でも学校の成績は良く、中二の時には地区の名門高への進学を先生から勧められたことすらあった。
しかし達也の母親はそれには全く関心を示さず、むしろ中卒で働いてくれることを望んでいた。
そんなこともあって、達也は中三から生活が乱れ始め、悪仲間に加わって非行を重ねるようになり、高校へは進学したものの、内申点が足らず、結局地区の問題児が入学する実業高校にしか行けなかった。達也はあの時にかなわなかった普通の高校生としての生活を、今ようやく取り戻している気分になっていた。
ただし女子高生としてだが。
どの図書館にも週に一回行くか行かないかの頻度で通っていたが、何回か通ううちに、何度か同じ生徒とも出くわすようになる。
最初に入った市立図書館分館で出会った女子高生二人連れとも、何回か顔を合わせることとなり、奈緒美という女の子の方が亜由美に声をかけてきた。
「ねえ清泉女子の子でしょ?」
「ええそうですけど」
「やっぱり清泉ってレベル高いんでしょ」
奈緒美は亜由美の開いている参考書を覗きながら言った。
「ううん、そんな」
「高三?」
「ええ」
「私たちも高三なんだけど、どこ受験するか決めた?」と親しげに話しかけてくる。
亜由美は戸惑って「まだ決めてない」と答えた。
「へー、これからなんだ」と驚いた。
もう一人の清香が横から口をはさむ。
「でも清泉って上があるから」
亜由美が答える。
「上には行きたくないの」
奈緒美が
「あーもったいないな。私らなんか清泉女子大なんか普通じゃ受からないのに。だからここで勉強しているんだ」
「うん」と答え、清泉女子大がそこそこ難しい大学なのかと、亜由美は初めて知った。
それから亜由美は、曜日を決めて週に一度はその図書館を訪れ、奈緒美と清香と過ごし、一緒に勉強したり、お弁当を食べたりするようになった。あまり深い付き合いはまずいと思ったが、その二人と過ごしている時間は心地良かった。
二人は時々亜由美に学校のことを愚痴ったりしたが、亜由美から学校のことは話さなかった。もちろん話しようがなかったからだが。だが二人はついに尋ねてきた。
「亜由美って学校のこと言いたがらないよね」
亜由美は少し戸惑いながら、
「うん、あまり話したくない」
と言った。
「ごめん、言いたくなければいいんだよ」
「ちょっと、色々あって」
「そうだよね、色々ないと、清泉みたいな子が一人図書館で勉強なんかしていないよね。それに隣の市からわざわざここまで来ているんだものね」
亜由美は二人に親元を離れて一人でアパートに住んでいると、既に伝えてある。
「クラスの子と先生に、ちょっと会いたくない人がいるんだ」
「だから他所の大学目指しているんだ」
「うん、そんなところもある」
「私達にしゃべりたいことがあったら言ってね。だって友達になったんだもん」
「ありがとう」
三人は本当に仲の良い親友同士に見えた。
「週末にどこかに遊びに行かない?受験生でも気晴らしは必要よ、ねえ清香」と奈緒美。
「賛成、ねえ亜由美も行こうよ」と清香。
断る理由もなく「うん」と答え、街に遊びに行く約束をしてしまった。
「じゃあ土曜日に」
二人と分けれてから亜由美は、まず、何を着て行こうかと大いに悩んだ。
女子高生としての初めての街デビューだ。ティーン向けのファッション誌を何冊も買って調べ、何着も試してみて、ようやく、チェック柄のチュニックをスカートとして着こなし、薄いグレーのTシャツにカーディガン、そしてバギンスにブーツという、ファッション誌のオススメコーディネートに決めた。
「ちょー可愛い」
待ち合わせ場所のスタバで会うなり、奈緒美が声を上げた。清香もセンスが良いと誉めてくれ、亜由美はまんざらでもなかった。
三人はまずは定番のカラオケに行き、亜由美も結構歌い、次にファッションビルでアクセサリーの店を回って買い物をして、プリクラやろうということになった。
「女ひとり旅」の最中に写メで撮られて足がついてしまったわけだが「まあいいか」と誘いに乗って、何枚もポーズを変えて撮った。出来あがったプリクラを三人で見ながら、清香のお気に入りのお店でパスタを食べた。
「今日はちょー楽しかったね」と奈緒美。
「いつも奈緒美と二人だったけど、亜由美が入ってくれて、なんかレベルアップしたみたい」と清香。
「それって、私がレベル低いってこと?」
「ごめんごめん。でも亜由美ったらイイ線いってるじゃん」
「それは認めます。やっぱり清泉だもんね」
亜由美は二人の会話を、ただ笑いながら聞いているしかなかった。
「ねえ亜由美、バイトとかしてる?多分清泉だししてないと思うけど」
「ええ、してない」
「私たち受験があるから、そんなにいつまでもやってられないんだけどさ、私たちファミレスで火曜日と金曜日の五時から八時までバイトやってるんだけど、良かったら一緒にやらない? 最近一人抜けたから」と奈緒美。
亜由美はどうしようかと考えて「うん、ちょっと考えてみるわ」と答えた。
「じゃあ決めたら連絡してね。亜由美のメアド教えてくれない」
「うん」と言って亜由美は携帯の番号とメールアドレスを奈緒美達に伝えた。やっぱり携帯を確保しておいたのは正解だった。しかしこんな場面で使うことになろうとは、達也には思ってもみない展開だった。
三人一緒に電車に乗って、亜由美が一人で先に降りた。別れ際奈緒美が「バイトのこと考えといてね」と言うので、頷いてバイバイした。
達也は女子高生としての週末の遊びを完璧にこなせたことに満足しながら、しかし緊張感のあまり疲れ果ててしまい、アパートに辿り着くと、シャワーも浴びずに、花柄のパジャマに着替えただけでベッドに倒れ込んだ。




