第16章
達也が落ち着き先として目を付けたのは、名古屋に近い県庁所在地だった。小さな町では目立ち過ぎる。東京や大阪といった大き過ぎる都会では、目立たないかもしれないが、かえって警戒が厳しいかもしれない。
達也は大き過ぎず、小さすぎないその街に適当な部屋を借りて住むことを考えた。
そのためには、まずその近辺に何日か留まって、適当な部屋を探す必要があった。だが「女ひとり旅」とは違って、都会のシティーホテルに女性一人で何日も泊まるのは不自然かもしれない。達也は考えて、女性二人で泊まるという設定にすることにした。
二倍の料金がかかり、そこまでしなくても良いかもしれないが、用心するにこしたことはない。
「姉妹が何かの用事で三日ほど滞在している」ということにすれば、理由は付けられるだろう。今は携帯電話も持っているから、その点では安心だ。
前もって電話で予約していた駅前の大きなホテルに旅行鞄を引いて入り、フロントで宿泊カードに高田恵と百合子という二人の名前を書いてチェックインする。達也は二十二歳の妹百合子ということにした。
ボーイが荷物を運ぼうとして「お連れ様は?」と尋ねるが、「姉は後から来ることになっています」と言うと、なんら不審がられることも無かった。
一人の料金で二人が泊まるといった不正には目をこらせているかもしれないが、二人の料金で一人しか泊まらなくても、何ら問題はない。
警察は多分ネットカフェや顔を合わすことなくチェックインできるようなビジネスホテルの一人客などに目を光らせているのかもしれないが、こうして堂々と贅沢なホテルに泊まり歩いていて、おまけに女性二人で泊まっていることになっているとは思うまい。
部屋に入ると達也はコンビニで購入した住宅情報誌を開き、ターミナル駅から伸びる私鉄沿線に適当な部屋をいくつかピックアップして、下見に行くことにした。
家賃は六万円以内にしたいと思った。得意の空き巣や車上荒らしだが、続けていくのは危険である。やはりアルバイトでも良いから仕事を見つけ、質素に生活していった方が安全だ。
だがあまりにも安い物件は捜索の対象になるかもしれない。普通の女性が住んでいて不思議でない程度の部屋を、達也は女性の視線で探すことにした。
一件目は少しにぎやか過ぎた。二件目は夜道が暗そうで、独り歩きには少し危険そうだった。三件目は駅からそれほど遠くなく、近くに大型のショッピングモールもある便利な場所で、建物も新しくきれいで間取りも良く、達也はこれを候補と考え、ページに折り目を入れた。
その他いくつかの候補を選んでページに折り目を入れていったが、達也にとってはこれもまた、新鮮で楽しい作業だった。
いくつかの候補を決めてから、物件の下見をするために色々な駅で乗り降りした。アパートだけでなく、仲介不動産屋の様子も調べた。
一通り下見を終え、ホテルに戻ろうと電車に乗ると。モスグリーンのチェックのブレザーとスカートという可愛らしい制服の女子高生たちが多数乗り込んできて、達也の座席の前に立っておしゃべりを始めた。
「今日の英語のテスト、ちょーやばいんですけれども」
「えーうそー。プリント見てれば楽勝じゃん」
テストがあったので、普通より早い下校となっているようだ。
「それだと、よその大学の推薦やばいかも」
「でも付属だし、行くとこないっていうわけじゃないからさ。親もそれが目当てで付属女子に入たんだから、まあいいっか」
「で、明日テスト終わったらどこ行く?」
「佳代は一人暮らしだから自由に出かけられるけど、私実家からだから、親がうるさくてあんまり出られないんだよ」
「私だって毎晩親からアパートに電話があって、門限があるようなものよ。それもわざと時間決めないでかけてきて、お風呂に入っていてちょっと電話をとるのが遅いと、どこ行っていたんだとか怒られるし」
「結構うちの学校って一人で暮らしている子多いよね、佳代みたいに。そんな遠くからわざわざ入る学校でもないと思うんだけども」
「最初は寮に入るけど、先輩にいじめられたとか言い訳作ってすぐ出ちゃうんだよね」
どこかの私立大学の付属女子高校に通う生徒達のようだった。達也が一年半通っていた高校の茶髪の女子生徒達とは比べ物にならない、良い家庭で育った娘たちなんだろうと思った。
受験の話をしているくらいだから三年生なのだろうか。幼く見える子もいるが、佳代と呼ばれている子は結構大人びていて、制服を着ていなかったら「百合子」と歳が大して違わないような雰囲気である。
達也は近くの様子を調べようと次の駅で降り、柱に貼られた周辺地図を見て、先ほどの女子高生たちの通っていそうな高校を調べると、案の定一駅前に「清泉学園女子高」という学校があった。その位置を確かめてから再び電車に乗り込み、ホテルに戻った。
達也は、部屋をどうやったら借りられるかと考えた。
女性として借りれば追跡は逃れられるという自信はあったが、仮にOLとして借りるなら、身分証とか勤め先をどう偽造するか、保証人はどうするかといった問題をクリアしなければならない。
身分証は、携帯を手に入れた時の様に、誰かの免許証を本人が知らぬ間に少し拝借するとか、免許証を持っていないからと言って他のもので代用することが出来るかもしれないが、保証人はやっかいである。
もちろん「保証人不要」という物件もあるし、保証人代理会社を使う手もある。しかしそういった物件は危なっかしそうだ。わけありの人々が住んでいて、警察もそういった部屋からまず調べるかもしれない。
達也は、安全な保証人の確保ができないかと頭を巡らせた。
大手不動産屋の仲介となれば、本人だけではなく、保証人の審査も厳しそうだ。しかし町なかにあるような小さな不動産屋なら、それほど厳しくないだろう。保証人さえ確保できれば、融通が利くかもしれない。しかし他人に頼むわけにはもちろんいかない。
達也はホテルの部屋で鏡に向かいながら長い時間考えて、書類に少々不備があっても、相手が借り手として安心できるシチュエーションを整えるならば、可能かもしれないと考えた。
その時、達也は電車で乗り合わせた高校生のことを思い出した。そして達也はメイクを一度落としてもっとナチュラルなメイクに直し、長い黒髪のウィッグの後ろ髪を束ねてポニーテールにしてみた。
「これならいけるかも」
最初に泊まったホテルのバーテンダーからも言われたし、化粧品の販売員からも指摘されたが、達也は二十二歳という設定をもっと若く、例えば十八歳としても十分通用できることに自信を持った。
世の中、そんなに杓子定規ばかりではない。大体、最も厳密かと思われていた国の事務作業でも、例えば税金や年金の業務で、かなりいい加減だったりする。別に詐欺で相手に損害を与えようとしているわけではなく、ちゃんとお金を払うのだから、相手が納得さえすれば、なんとか障害は乗り越えられると思った。
翌日再び清泉学園女子高を訪れると、テストが終わって下校を始めた多くの女子高生で校門周辺は混み合っていた。グラウンドを見ると、陸上部やソフトボール部などの部活生が、練習の準備を始めている。
達也は駅前のスポーツ用品店に寄って無難なTシャツとジャージを買い求め、学校近くのショッピングセンターのトイレで着替え、髪を後ろで一つに束ねた。
再び学校に向かうと、帰宅部の生徒達はすでに下校を終え、グラウンドで運動部の練習が本格的に始まっていた。
達也は何気ないふりをして学校の敷地に入り込み、体育館の方に向かった。所属はどの部か分からないが、どう見てもどこかの部活生にしか見えない。
落ち着いた足取りで体育館横のプレハブの建物に近付いてみると、やはりそこが部室だった。たいていの部室がそうであるし、逆に女子高だからという油断もあるのだろうが、どの部室もドアが開けっぱなしになっていた。
達也はソフトボール部の部室に入り、若い女の子の体臭に少しクラクラとしながらも、一つのスポーツバッグの中を素早く探り、定期入れから学生証を抜き去り元に戻した。
そして体育館の横を通り抜けようとした時、教師らしき年配の男性がこちらに向かって歩いてきた。どうしようかと迷ったが、思い切って何気なさを装って歩き続け、横をすれ違った。教師はただ無関心に通り過ぎて、校舎の中に入って行った。
達也は校門を出ると早足で少し離れたコンビニに向かい、そこに備え付けのコピー機で学生証の両面をカラーコピーした。そして学校に戻って再びソフトボール部の部室に向かう。しかし今度は部室に誰かいるようだった。
まだ部活が終わる時間ではない。本当ならば一刻も早く学生証を元に戻してからその場を離れたかったが、仕方なく一旦部室を離れ校舎の中に入ると、一階のピロティーでは業者が今まで何かを販売していて、それを片付けているところだった。
良く見ると体操服だった。達也は片付けを始めている業者の男性に、「まだ買えますか?」と声をかけた。
「注文票は?」との問いに「忘れちゃった」と答えると、一枚の紙を渡され、そこに学年・組と氏名、サイズの記入欄があったので、先ほどの学生証の生徒の氏名を書き込み、サイズはМと記入して手渡すと、「三千五百円ね」というので、おつりがないように手渡し、透明なビニール袋に入った上着とジャージをレジ袋に入れて売ってくれた。
達也はそれを持ってトイレに入り、さっそく新しい体操服に着替え、それまで来ていた服を丸めてレジ袋に押し込め、廊下に出た。
これで余計に目立たなくなった。達也は余裕を持って学校を一回り見学してから部室に戻ると、今度は誰もいなくなっていて、先ほどのバッグの中の定期入れを取り出して学生証を戻し、校門を出てショッピングセンターに戻り、コインロッカーに預けていた元の服に着替えて電車に乗り込んだ。
ホテルに戻り、帰る途中で買った、あの女子高の制服に似た薄緑色のチェックのブレザーを、白いブラウスの上に羽織る。
鏡に向かって髪をポニーテールにし、薄いメイクを施して携帯で顔写真をとる。
何枚か撮った写真の中で、気に入った写真を選び、ホテルのビジネスセンターに向かった。
学生証のコピーをスキャナで取り込み、さっき写した写真もパソコンに取り込み、学生証の写真を自分の写真に置き換え、氏名も今度は「鈴木亜由美」に変えてプリントアウトした。
再び部屋に戻ってからそれを両面に張り付けて、事務機屋で買ってきた小さな装置でラミネート加工し、周囲をカッターできれいに仕上げると、本物そっくりの学生証が出来上がった。
免許証などの公的証明書の偽造は難しく、すぐに見破られるかもしれないが、学生証くらいならこれで分かりっこない。
もう一度鏡を見ると、清純で可愛らしい女子高生が写っている。
「いけない、いけない」
達也は雑念を振り払い、女子高生となった自分の学生証を眺めながら、部屋を借りる段取りを頭の中で組み立てた。
「これならば上手くいく」