第10章
「全く、逃した二人の警官は何やっていたんだ」
警察署長の葛城は頭を抱えていた。県警本部長からは詳しい状況報告を求められるし、地元マスコミからの突き上げも激しく、当然怒りの矛先は、達也を移送していた二人の警官に向けられる。ただ葛城は、「すぐに見つけられるだろう」と甘く考えてもいた。
事件発生一時間以内に主要幹線道路に非常線を張って全車両の検問を行い、最寄りの駅やバスターミナルにも警官を配置した。
バイクが発見された墓地の近辺には多量の警官を動員して徹夜で捜査に当たらせ、達也の知り合いや立ち寄りそうな場所にもすぐに監視を張りつけた。
とにかくこの騒ぎを終わらせるには、一刻でも早く達也を再確保するしかない。そしてすぐに確保できれば、それほどの打撃も無いだろう。
しかし葛城の期待に反して、その日の夜のうちに達也を見つけることは出来なかった。
翌朝には更に捜査員の数を増やし、バイク発見現場近辺を再度くまなく調べ直した。
警察犬も出動し、バイクの乗り捨てられた墓地からの追跡を試みてみると、住宅地に向けてなだらかに下る数十メートルの坂道を辿り、一軒の家の開け放されたガレージで足を止めた。
捜査員はすぐに無線で応援を要請し、多数の制服警察官でその屋敷の周囲を取り囲み敷地の中を注意深く探ったが、逃走犯が隠れている気配はなかった。
住人に話を聞くと、ガレージの奥にあった古い自転車が無くなっているとのことである。どうやら田川はここから自転車を使って逃走したようだ。警察犬での追跡も、そこでストップしてしまった。
自転車ではそんなに遠くまで行けないはずだが、土地カンのある田川なら、検問の張られていない裏道を夜通しこぎ続け、隣の町まで行って、他の交通機関に乗り換えることもできたかもしれない。昨夜裏道を無灯火で走っていたような自転車がなかったかの聞きこみと自転車の発見のため、捜査範囲を広げざるをえなかった。
自転車が、ただ徒歩より遠くに逃げるための手段と考えていたから、わずか百メートル先のため池に投げ捨てられているとはだれもが思いもしなかったのだ。
しかし昼前になって、逃走経路の途中のコンビニの監視カメラの映像とレジの記録から、弁当二食分とカロリーメイト、ミネラルウォーター二リットルを買ったという報告がなされた。まだ付近のどこかで、じっと潜伏している可能性も捨てきれない。
空き家とか倉庫だけではなく、事件発生時刻に留守だった家を含めて本格的にこの地区のローラー作戦を開始したのは、事件発生翌日の午後であった。
捜査員がバイク発見現場の周囲の家を一軒一軒回って聞き込み捜査を開始した。だが留守の家も多く、その家の住人が帰って来る夜遅くまで聞き込みを続ける必要があった。そしてその中には達也が潜んでいた家も含まれていた。
「昨日五時半頃、家に誰かいましたか?」
「いえ、娘と一緒に帰ってきましたけど、それが六時頃です」
「何か変ったことはありませんでしたか。誰かが侵入した形跡とか?」
「いえ、何も」
「そうですか」
そのまま引き上げようとした捜査員だったが、玄関扉の錠の形状に気付き、
「これ、古い錠ですね。これだとピッキングですぐ空き巣に入られてしまいますよ。早いうちに取り換えた方がいい。念のため、家の中を少し見させてもらって良いですか?」と頼んだ。
母親は少し躊躇したが、
「片付いていませんが、どうぞ」と警官を家の中に招き入れる。
警官は風呂場やトイレを開け、二階にも上がって押入れも開けさせた。念のために天井裏も覗いてみるが、誰もいない。警官は収穫がなかったとあきらめて「ご協力ありがとうございました。」と言い残して次の家に向かった。
隣の市との境に広がる山林伝いに逃げたかもしれず、警察犬を使って大がかりな山狩りも行ったが、こちらも成果は無かった。警察の面目を賭けて六百人体制で捜査を続けたが、二日かかって何の情報も得られなかった。
市内の小中学校は安全のため集団登下校が行われ、頻繁な検問で交通渋滞も激しく、市民生活にも影響が広がってきた。地元の新聞は連日一面で取り上げ、警察署長は焦りを感じ始めていた。現場の警官達は、もはや長期戦かつ広域捜査になると覚悟し始めていた。
四日目には達也の顔写真入り手配書が全国の交番や駅に張り出された。しかし思うような情報は入って来ない。各地の警察の協力を得て全国のネットカフェや簡易宿舎の捜査が行われたが、手掛かりは全く掴めないでいた。
「どこをどうすり抜けたんだ。それともまだこの辺りに潜んでいるとでも言うのか」
自身の今後の処遇にも影響を与えかねないこの事件に、署長は苛立ちをつのらせていった。